何時までが放課後だろう 春の夜の水田に揺れるジャスコの灯り
笹公人『念力ろまん』
先日、用もないのに近所の書店に行くと、新刊書籍の棚に短歌の入門書が三冊も並んでいたので、思わず全部買ってしまった。笹公人『シン・短歌入門』(NHK出版)、榊原紘『推し短歌入門』(左右社)、我妻俊樹・平岡直子『起きられない朝のための短歌入門』(書肆侃侃房)である。新刊書籍の棚に短歌入門書が三冊並ぶというのは、滅多にあることではない。帰宅してパラパラめくって見ると、いずれもひと癖ある入門書でおもしろい。榊原の本は、「推し」をキーワードに書かれている。「推し」とは、自分が特にひいきにしている歌手・俳優や、マンガのキャラクターをさす。我妻と平岡の本は、短歌をめぐる二人の対談形式で書かれている。短歌入門書では例歌を挙げて説明することが多いが、この二冊は最近の若手歌人の歌をよく引いているという点でも特徴的である。これにたいして笹の本では、昔の歌から最近の歌までまんべんなく引かれていていちばんオーソドックスである。今回は笹の本を取り上げてみたい。
『シン・短歌入門』は、2020年から22年まで「NHK短歌」のテキストに連載された文章をまとめて加筆修正したものである。タイトルの『シン・短歌入門』はもちろん、「シン・ゴジラ」や「シン・仮面ライダー」など、最近の邦画で流行っている「シンもの」に乗っかったものである。
サービス精神の旺盛な笹だけあって、本書には読者を飽きさせずいかに短歌へ導くかという工夫が凝らされている。まず本人は、アイドルグループ「アララギ31」のプロデューサー「笹P」として登場し、アイドルの明星コトハがアシスタントを務めるという設定だ。サングラスを頭に押し上げ、セーターを肩に巻く似顔絵は、1990年代のトレンディードラマのプロデューサーそのもので、レトロ感が強い。
さて内容はというと、驚くほどオーソドックスで、若干ふざけ気味の設定とは裏腹に、直球勝負のアドバイスが並んでいる。短歌入門書にはそれを書いた人の短歌観がよく出る。笹は念力短歌やオカルト短歌を書くアブナイ人と思われているが、実は正統派の歌人なのだ。
本体は短歌のQ&A形式になっていて、短歌初心者から出そうな質問に笹Pが答えている。たとえば「歌を作るには何から始めたらいいですか」という質問には、「定型さえ守ればいいのです」「巧い下手にはこだわらず、最初の二、三年は、モノマネでいいので、どんどん歌を詠んでみてください」と答えており、「短歌ができないときはどうしたらいいでしょうか」という質問には、歌は非日常体験から生まれることが多いので、「電車で知らない駅に降りることをお勧めします」と答えて「乗越しし駅のベンチに何するとなく憩へれば旅のごとしよ」という高野公彦の歌を引いている。
私が知らないことも書いてあった。上句で情景を、下句で心情を述べるという短歌の基本形式は、平安時代中期の廷臣歌人藤原公任の歌学書『新撰髄脳』に書かれたものだという。藤原公任と言えば、「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなお聞こえけれ」という『千載集』の歌がよく知られている。上句で情景、下句で心情という形式は、形を変えて永田和宏の「問と答の合わせ鏡」(『表現の吃水』)としてよく知られている。我妻・平岡の『起きられない朝のための短歌入門』でも、平岡が最初の一首の作り方として、「なにかしらの気持ちを書いたパーツと、なにかしらの物の描写を書いたパーツをまったく別々につくって、それを組み合わせる。『心情+景』または『景+心情』というのはかなりオーソドックスな短歌のかたちなんだけど、それをまずはインスタントにつくってみる、というやり方です。(…)とにかくばらばらにつくったものを最後に組み合わせることで一首を完成させる」と推奨している。もしこれが俳句ならば、「冬薔薇や賞与劣りし一詩人」(草間時彦)のように、上五に季語を置き、中七・下五に遠く呼応する景を配するというのがオーソドックスな形式ということになるだろう。これから短歌を作ってみようという人には役立つ実践的なアドバイスである。
また短歌がなぜ五・七・五・七・七の三十一字なのかは諸説あるところだが、『知っ得短歌の謎 古代から現在まで』(學燈社)の佐佐木幸綱による序文に、『冷泉家和歌秘々口伝』の説が紹介されているという。一ヶ月は三十日で終わりそれから次の月の第一日がやってくる。天をめぐる月が一周りして、さらに周りつづけてゆく「天道循環無窮」を象徴する数が三十一だというのである。天道循環無窮とは、当時は天動説なので、天体が地球を中心として永遠に回り続ける様を言い表したものである。笹によると、三十一字が天体の運行と関係しているという説は『ホツマツタエ』にも書かれているらしい。
ここで『ホツマツタエ』が登場するとは! 『ホツマツタエ』とは、本邦最古の文献とされる『日本書紀』『古事記』より古く、漢字渡来以前に日本にあった古代文字で書かれているとされる書物である。こういう古代文字を総称して神代文字という。学会の定説としては偽書とされているが、松本善之助『秘められた古代史 ホツマツタヘ』(毎日新聞社)、鳥居礼『ホツマツタヘ入門』(東興書院)などの解説本も多く書かれている。私は言語に関係するものには何でも興味があるので、こういう文献も趣味で蒐集しているのだ。密かな裏テーマと言えるかもしれない。
本書の終わりの方には、笹がいままでいろいろな媒体に書いた短歌論が収録されている。私が思わず笑ったのは、「誤読の可能性」という文章である。「砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている」という俵万智の歌について、「なぜ卵サンドが気になっていると思う?」と問い掛けると、元AKB48メンバーの北原里英は「夏でしょ? 卵サンドが腐っていたから」と答えたという。笹は「この子は鋭い !! と驚くとともに、コロンブスの卵的な回答だと感心した」と続けている。
永田和宏はよく短歌の読み(意味解釈)に正解はないと言っている。確かに一首の読みは人によって大きく異なることがある。しかし北原の答は、短歌が抒情詩であるという前提から外れているので、短歌的にはややまずいだろう。
本書の巻末には「シン・短歌ドリル」として、虫食いにした歌に当てはまる語句を選ぶというドリルがある。たとえば、
[ ]にゆかざる男みちみちるJR線新宿駅よ (大滝和子『銀河を産んだように』)
という歌に入る選択肢は次の四つである。
1. スポーツジム 2. 墓参り 3. 同窓会 4. 羚羊狩
正解は4.の羚羊狩である。確かに四つの中ではいちばんぶっ飛んだ候補だ。試しにドリルを全部やってみたが、正答率は8割くらいだった。
という工合で、『シン・短歌入門』には短歌の素人を短歌へと導くべくさまざまな工夫が凝らされている。笹はすばらしい短歌というものがもっと世の中に広まってほしいと願っている人なので、本書も多くの人が手に取ってもらいたいものだ。