戦争で死にたる犬や猫の数も知りたし夏のちぎれ雲の下
笹公人『終楽章』
本コラムを書き始める前にまず巻頭歌を選ぶのだが、これがけっこう楽しい作業なのだ。歌集を読むときに「これは」と思った歌には付箋を付けておくので、巻頭歌を選ぶときも付箋の付いた歌から選ぶことが多い。しかし時には付箋のない歌に目が止まりそれを選ぶこともある。あまり考察される機会のないテーマに、歌とそれを読む人の心の関係がある。その時その場のふとした心の翳りに触れて来る歌というものがどうやらあるらしい。
日本の夏、とりわけ八月は死者に想いを致す月である。広島と長崎の原爆忌、終戦記念日、御巣鷹山の日航機墜落事故、そして死者の霊が戻ってくる盂蘭盆会と続く日々で、私たちの脳裏には顔のある死者のことも顔のない死者のことも浮かぶ。しかし巻頭歌で作者が想いを馳せるのは、戦火の犠牲となった犬や猫たちである。当然ながら飼われていた犬や猫にも空襲で死んだものがいただろう。しかし誰もその数を知らないという歌である。五・七・六・七・八という破調だが、韻律より意味が勝った結果だろう。意味が勝ると音数が増えるのはいたしかたない。
笹公人といえば、『念力家族』『念力図鑑』に始まる念力短歌でその名を知られた歌人である。
注射針曲がりてとまどう医者を見る念力少女の笑顔まぶしく
『念力家族』
ベランダでUFOを呼ぶ妹の呪文が響くわが家の夜に
キムタクよ返事をしろと妹の焚く護摩の炎の冬空高く
『念力図鑑』
公園の鳩爺逝けば世話をした無数の鳩に天に運ばれ
ところが『終楽章』は今までの歌集とかなり趣が異なる。あとがきによれば、きっかけの一つは和田誠、大林宣彦、岡井隆という笹の三大師匠が相次いでこの世を去ったことだという。これによって笹はしばらく創作意欲を喪失した。もう一つのきっかけは父親が重篤な脳腫瘍を患って認知症となり、介護する日々が続いたことである。折から笹は『短歌研究』に三十首連作を書くように求められ、編集長の國兼秀二に現実の生活の歌を書くよう強く勧められたという。それが本歌集に収録された連作の一部となっている。いくつか引いてみよう。
居間に座す父に「どなた?」と問われれば脳内に壺の割れる音する
レントゲン写真に映るわが父の左脳に巣食うカモメの卵
真夜中に何度もトイレに行く父をエスコートする長男われは
浅き眠りの父の傍に読みふける介護の歌なき万葉集を
流木のような足首持ちあげて最初で最後の親孝行せん
今まで想像力が生み出した念力少女やオカルト雑誌『ムー』の世界を思わせる歌を作って来た笹も、怒濤のように押し寄せる現実を受け止めなくてはならなくなったのだろう。中学生の頃からまともに口をきいていない父親であっても、その最期は看取らなくてはならない。万葉集に介護の歌がない理由の一つは、当時はみんな早く死んだからである。平均寿命で世界のトップとなったこの国に、介護という新しい問題が生まれたということだ。
作者の介護に対する態度も歌に向き合う姿勢も真摯であり、赤裸々に詠まれた歌は心を打つ。人生の重大事にあって歌に嘘や虚構はそぐわない。人生の重大事は常にリアルに迫って来るからであり、それには真摯に対処しなくてはならないからである。そんな怒濤のような日々の渦中にあっても、いかにも笹らしい視点の歌もある。
朝六時の母の電話に覚悟して出れば「来るときタッパー返して」
まだ遺品ではない本を整理する『完全なる結婚』の埃拭いつつ
断捨離でモーム全集捨てたこと言えずここまで来てしまいたり
エンディングノート見つけて色めくも全頁白紙のエンディングノート
引き出しに数多見つかる吾の記事の上にぽたんと落ちる涙よ
一首目、かかって来る電話が怖くて、リンと鳴り出すとびくっと飛び上がるという経験は私もした。親が入院している病院からの知らせかと思うからだ。覚悟を決めて受話器を取ると、このあいだおかずを届けた時のタッパーを返してという母親の言葉に気が抜けるという歌。二首目の『完全なる結婚』はオランダの婦人科医師のファン・デ・フェルデが書いた夫婦生活のマニュアルである。親の本棚にあるとちょっと気恥ずかしい。三首目の断捨離はブームになった言葉だが、2009年に刊行されたやましたひでこの本で世に広まったそうだ。作者は親には内緒でモーム全集を処分したのだ。モーム全集というところに時代を感じる。四首目はくすっと笑える歌で、引き出しを片づけていたら父親のエンディングノートが見つかった。父親も意気込んで買い込んだのだろうが、結局は何も書かなかったのだ。白紙であったことに作者は心のどこかでほっとしただろう。もし何か書かれていたら、それを実行する心理的義務が生じるからである。五首目はほろりとする歌。笹の活動を認めていなかった父親が、笹についての新聞記事を切り抜いて密かに保管していたのだ。
巻頭の「七転び八起き ~ 私の平成・令和仕事年表~」は、平成元年の中学二年生に始まり、令和三年の46歳までの履歴書のような連作である。一首一首に詞書きが付されている。
『寺山修司青春歌集』手にとれば歌詠みはじむ 約束のごと
岡井師も見ていたらしいレイザーラモンのコスプレで「フォ~」と叫んでいる吾を
一首目は平成5年18歳の頃の歌である。『寺山修司青春歌集』は1971年に角川文庫から刊行されていて、中井英夫が解説を書き、寺山自身が後記を書いている。笹の出発点は寺山修司であり、笹もまた青春の寺山病に罹患した一人なのだ。二首目は平成17年の歌で、笹がNHK「日曜スタジオパーク」に出演した折のことを詠んでいる。私もたまたまこの番組を見た。お笑い芸人のレーザーラモンHGがハードゲイの扮装に身を包み、両手を上げて「フォ~」と叫ぶ芸はその頃TVでよく見かけた。笹はそのコスプレで何とNHKの番組に出演するという暴挙に出たわけだが、案の定大スベリだった。笹にはそういうところがあるが、たぶんサービス精神が人一倍旺盛なのだろう。笹は世の中に短歌をもっと広めたいという願望を強く持っている。そのために笹が始めたのは「歌人のキャラ化」だと思う。実は穂村弘も目立たないように歌人としての自分のキャラ化を行なっていると私は密かに考えているのだが。
本歌集の他の連作にはかつての念力短歌風の歌も少なくない。
雪女溶けて残れる水たまりのみずは甘いか日本鼬よ
午睡するマタギの踵の角質は亀の子たわしで削られるべし
「百年は帰しませんよ」と微笑んだパブ竜宮のママのお歯黒
予定地に光の柱のぼらしめ宗教画めくマンションチラシ
前の世でユニコーンの角に貫かれた証だという胸の黒子は
このような歌はおそらく笹なりのロマンティシズムの発露なのだろう。ロマンティシズムの本質は、失われた世界への哀惜、手の届かない彼方にある世界への渇望である。笹の場合はそれがオカルトの方角に向けられたということだ。笹の師である岡井隆の『現代短歌入門』に次のような一節がある。もちろん笹のことを書いたわけではないが、師の慧眼は時代を超えて彼方から届くかのようだ。
これらは、作者が、そう書きとめることによって、あるやすらぎを得、そう書きとめ、人に示すことを好んだという意味で、さまざまにあり得べき自らの姿の一つなのであり、いわば夢の実現なのである。これを、浪漫的と呼んでもさしつかえなく、生活の細部は、すべて〈浪漫的断片〉としてのみ、この定型詩にとどめられる。
歌集後半には昭和ノスタルジーの香る歌が多く見られる。
大王との戦いに挑むマリオ氏の8ビットには映らない汗
河童みたいな名前の海外マジシャンが東京タワーを消したあの夜
富士の湯のえんとつの梯子錆びておりむかし信夫が登った梯子
サイレント映画のような悲しみが四十五歳の夏を包めり
団塊世代の青年の霊か髪長くコーラの瓶を持ちて怒れる
二首目のマジシャンはデビッド・カッパーフィールドである。オカルトに目覚め、ノストラダムスが流行り、口裂け女の恐怖が囁かれた昭和は笹にとって発想の源泉なのだろう。そう言えば穂村弘も昭和の子供時代をよく歌に詠むようになった。どちらも相応の年齢を迎えたということもあろうが、平成を挟んで令和の世となった今、昭和という時代を距離を置いて眺めることができるようになったということなのかもしれない。昭和が歴史の一部になったということでもある。
最後にちょっとカッコ良すぎる歌を挙げておこう。今は懐かしいオキシローの『ギムレットの海』に登場してもおかしくない場面である。しかし今の若者には刺さらないだろう。時代の感性は確実に変化したのだ。
透明な月球のごとき丸氷にバーボン注げば夏がきている
余談ながら、今回『念力短歌トレーニング』を読み返していたら、この本の元になった「笹短歌ドットコム」に笹井宏之がよく投稿していたことを知った。
グリズリーに跳ねあげられた紅鮭の片方の眼に映る夕虹
ひとしれず海の底へと落とされた大王烏賊のなみだを思う
ひとすくいワイングラスに海をいれ夕陽のあたるテーブルへ置く
雨になるゆめをみていた シャンパンを冷蔵庫深くにねむらせて
見覚えのある歌がある。笹井の短歌の透明なポエジーは投稿者の中では異質な輝きを放っている。