第265回 相原かろ『浜竹』

通らない時にもレールがあることの表面に降り濡れてゆく雨

相原かろ『浜竹』

 去る8月24日に、京都の宝ヶ池にあるグランドプリンスホテル京都で開催された塔のシンポジウム「言葉と時間」に足を運んだ。シンポジウムは二部構成で、第一部は高橋源一郎の講演会である。東京から新幹線に乗る前に弁当を買い忘れ、京都駅に着いて何か腹に入れようと思ったら、塔の人に拉致されて会場まで連れて来られたので、ハイチュー一つしか食べていないという話に始まり、大阪にいる弟と久しぶりに会ったら、墓をどうしようかという話になったとか、二転三転するヨタ話が続いてどうなることかと思ったら、フィリピンで戦死した伯父の足跡を辿る旅のあたりから真面目な話になり、結局「過去からの声を聞くことの大事さ」に着地する話芸はなかなかのものだった。第二部は「古典和歌の生命力」と題した吉川宏志と小島ゆかりの対談で、小島の話のうまさに舌を巻いた。会場には短歌関係の出版社もブースを出していて、たくさんの歌集・歌書が販売されていた。塔は大きな結社だから一大イベントなのだ。

 そんな「塔」の結社誌を読んでいて、いつも感心するのは相原かろのユニークさだが、その相原が第一歌集を出した。版元は青磁社で、装幀は「塔」の花山周子である。ふつう第一歌集を出すときには本人も力が入っていて、結社の主宰か重鎮に跋文や帯文を書いてもらったり、栞文を寄せてもらったりするものだが、そういうものは一切ない。今気がついたが帯もない。あとがきと略歴も実に簡素である。そこに作者の人柄を見る。

 相原の短歌のどこがユニークかは、何首か読めば誰でもわかるだろう。

満員の電車のなかに頭より上の空間まだ詰め込める

アンコールし続けている手の平がかゆくてかゆくて出てこい早く

椅子の背にタオルを一枚かけますとあなたの椅子になるわけですね

いま闇に点っているのは蚊を落とす装置の赤いランプそれだけ

屋根のあるプラットホームに屋根のないところがあってそこからが雨

 一首目、満員の通勤電車にも頭上に空いた空間がある。それはそうなのだが、「まだ詰め込める」と言われてもそれは無理だ。「満員寿司詰め」で「立錐の余地もない」電車にも実は空いた空間があるという当たり前のおかしみがある。二首目、コンサートの最後に観客がアンコールの拍手をしている。ところが演者がなかなか再登場しないので、拍手のしすぎで手がかゆくなるというあるあるだ。三首目、座席を取る時、あるいは中座する時に持ち物を置く。掛けられたタオルは「これは私の席です」というサインである。ただの椅子が「私の椅子」になるのは、大げさに言えば存在論的変容である。四首目、何と言うのか知らないが、電動の蚊取り装置が作動している。作動中であることを示す表示ランプが点灯している。ただそれだけを詠んだ歌である。五首目、プラットフォームの屋根のある部分には雨が降っていない。屋根が雨を遮断しているからである。ところが一部に屋根のない部分があって、そこには雨が降っている。本当はどこにも雨は降っていて、ただ屋根が雨を防いでいるだけで、そのことは誰もが知っているのだが、結句で「そこからが雨」と言われると、「雨の降っている世界」と「雨の降っていない世界」とが並立して存在しているように思えて、頭の中でコトリと音がする。

 特に短歌の素材となるとは見えない日常の些細な事柄を取り上げて、それを実に真面目に増幅して詠うところにそこはかとないユーモアが漂う。一見すると奥村晃作の「ただごと歌」と似ているように見えるかもしれない。

これ以上平たくなれぬ吸殻が駅の階段になほ踏まれをり  奥村晃作

あのとりはなぜいつ来ても公園を庭のごとくに歩いてゐるか

一定の時間が経つと傾きて溜まりし水を吐く竹の筒

 しかし奥村が『抒情とただごと』(本阿弥書店 1994)に書いているように、奥村にとって最も重要なのは抒情であり、近代短歌の写実は方法論として破綻したという認識から、それに替わる方法としてただごとを選択しているのである。ところが相原の短歌を読んでいると、相原にとっていちばん重要なのが抒情だとはあまり思えないのである。では相原にとって何がいちばん重要なのか。それを明確に特定するのは難しいのだが、「世界がかくあることを改めて認識する」ことと、「かくある世界の手触り」ではないかと思う。ただ、これは相原の短歌を読んだ私の勝手な想像なので、本人から「いや、私はそんなつもりで短歌を作っているのではない」と否定されるかもしれないが。

 とにかく尋常でないのは肩の力の抜け方である。

階段を松ぼっくりが落ちてきてあと一段の所で止まる

男子用公衆トイレ掃除する女性の横で男性はする

ポケットの中で紙片の手ざわりを小さく固く折りたたんでゆく

透明なケースに画鋲に犇めいてどれもどこにも刺さっていない

新しい年になったが手のほうが去年の年を書いてしまった

 近年「脱力系短歌」という言葉が使われるようになった。永井祐や笹公人らの短歌を指すことがあり、しばしば否定的な意味で用いられている。相原の短歌も広い意味では脱力系に入るのかもしれない。しかし「脱力系」などというラベルを貼ってひと括りにしても何がわかるわけでもない。

 例えば上に引いた一首目である。あと一段落ちれば地面に到達できたのだが、そこで止まってしまった松ぼっくりは、挫折した人生の喩と読むことも可能だろう。しかし二首目の公衆トイレの歌や、四首目の画鋲の歌はどう見ても何かの喩ではない。ましてや五首目をやである。もしそうだとすると、一首目の松ぼっくりも何かの喩で、それが作者の感情を表していると読むべきではないだろう。おそらく相原は松ぼっくりがあと一段の所で止まったという事実を事実として詠んだのであり、それ以上でも以下でもない。ではこういう歌のどこがおもしろいのか。それは誰も注目しないような細かいことを歌にすることによってそこに生じる「世界の手触り」もしくは「存在の肌理」のようなものが感じられるからである。それはたとえば次のような歌によく感じ取ることができるだろう。

用水路に膝まで入れた両足が生み出している水のふくらみ

枇杷の葉のかたさを指でかるく曲げ戻ろうとする力に触れる

 私はイタリアの画家モランディの絵が好きなのだが、モランディは次のようなことを述べている。曰く、私たちは物を見るとき「これはコップだ」と概念を通して見ている。もし「コップ」という概念を取り払って見ることができたならば、それは抽象的で非現実的なものとなる、と。おそらくそこに顕ち現れるものは、言葉以前の「存在の肌理」のようなものなのである。

 かと言って相原の歌に抒情や感情の吐露が皆無だということはない。

 

くっついた餃子と餃子をはがすとき皮が破れるほうの餃子だ

煌々とコミュニケーション能力が飛び交う下で韮になりたい

履歴書の空白期間訊いてくるそのまっとうが支える御社

吊り革を両手で握りうつむいて祈る姿で祈らずなにも

前任の方は大変いい人であったそうですそのあとの俺

今日からは二十五分で一台を作れと言われ作れてしまう

将来をあきらめたふうする日々にちにちをわれ歯磨きの習いをやめえず

 

 どうやら相原は雇用の不安定な職業に就いているようである。一首目の餃子は言うまでもなく〈私〉の喩である。このように自己を低く捉える歌を読むと、自然と石川啄木の歌が思い浮かぶ。相原の歌には啄木に通じるペーソスがある。おそらく相原も啄木が好きなのではないだろうか。奥村晃作もどこかで啄木は脱力系だと書いていた。

象の目は濡れていたのか横ざまに倒れたときの風はもうない

みぎひだり重なり合うことない耳が傾けているそれぞれの雨

炎天下を駅まで歩く道の辺にひるがおの花、花のひるがお

サイレンが鳴り出す前はわずかなる空気の引きがありて怖れる

雪の死はいつからだろう既にして見られてしまった時かもしれぬ

この犬のあるじこの世にもうおらず犬の中にも過ぎるか時は

憎しみは蜜柑の皮の剥きかたもつかまえてくる季節を越えて

枯れながら生えている草かぜ吹けばうつつに在りて線路のわきの

 印象に残った歌を挙げた。一首目と二首目は続きの歌で、耳は象の耳である。象の大きな左右の耳が雨を傾けているというのはおもしろい捉え方だ。相原の歌は一見すると棒立ち短歌にも見えるが、きちんと短歌的修辞は押さえている。たとえば三首目の「ひるがおの花、花のひるがお」という逆転リフレインや、八首目の結句の「線路のわきの」のいいさしのような置き方は工夫されたものである。

 とりわけおもしろいのが連作のタイトルだ。「ずっとパン生地」「強制的にゴリラ」「くりぬいた日のソネット」「いい夫婦落ちています」「まさか助六」」といった具合だ。どうやって作っているかというと、たとえば「強制的にゴリラ」だと次の二首から語句を切り取って貼り付けているのである。

止まったら強制的に電源を切って再び入れれば直る

幼稚園のゴリラ先生とすれ違うもうゴリラではなくなっていた

 最後に二首とても美しい歌を引いておこう。

水面に吸い付きやすく花びらはついぞ流れの底に届かず

夢のそとにも降っていたかと覚めぎわを降る雨の音さかのぼる