第316回 野上卓『チェーホフの台詞』

交番の手配写真に過激派の若き微笑はながくそのまま

野上卓『チェーホフの台詞』

 詠まれているのは日常よく目にする景色である。町角の交番の前に手配写真が貼られている。たいていは逃亡中の殺人事件などの凶悪犯の写真だ。みなそれなりの顔をしている。他とちょっと違うのは、60年代末から70年代の初めにかけて、各地で爆弾事件などを起こしたかつての新左翼の過激派である。彼らは大学生だったのでみな若い。そして写真は事件を起こす前に撮影したものだから、ふつうの学生の表情で微笑んでいる。それから半世紀近くの時が流れた。結句の「ながくそのまま」に苦さを感じ取るのは、私もその時代を生きたせいかもしれない。

 野上卓は1950年生まれだから、いわゆる団塊の世代の尻に位置する。第一歌集『レプリカの鯨』(現代短歌社、2017年)に詳しい経歴が書かれている。野上はキリンビールに長く勤務し、子会社の物流会社の社長まで務めて58歳で定年退職したサラリーマンである。勤務のかたわら劇団櫂のために戯曲を書き、そのいくつかはかつて渋谷にあったジァンジァンで上演されたという。小椋佳のような例はあるものの、こういう二足の草鞋は珍しい。退職してから短歌を作り始め、新聞投稿を主な活動の場として、毎日歌壇賞、文部科学大臣賞賞などを受賞し、新年の歌会始にも入選している。一時「塔」に所属したが、現在は「短歌人会」所属。『レプリカの鯨』は第4回の現代短歌社賞で佳作となったもの。『チェーホフの台詞』は2021年に出版された第二歌集である。

 歌集を読み始めたとき、正直言えば私は最初「これはほんとうに短歌なのか」と感じたものだ。次のような歌がぶっきらぼうな顔をして並んでいるからである。

禿げよりも白髪がいいと思いきし白髪となりて薄くなりゆく

勉強さえできれば後はついてくる父の叱咤は半分真実

その昔とおい昔はバナナにも種があったが今はもうない

パルコ三棟過去に追いやりヒカリエのガラス細工のオベリスク建つ

王冠を二度叩いてから栓を抜く儀式もありぬ壜のラガーに

 一首目、若い頃は禿げより白髪の老人になりたいと願ったものだが、実際に歳を取ると、白髪にはなったものの禿げもまた進行しているという自嘲とユーモアの歌である。二首目と三首目は懐旧の歌で、いずれも断定が主で短歌的余韻というものがない。三首目は仙波龍英の「夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで」という秀歌を遠くに感じさせつつ、資本主義の欲望のままに変貌を遂げる東京を詠んだ歌である。五首目は若い人にはわからないかもしれない。そもそも缶ビールが主流となった現在では、茶色の壜ビールの栓を抜くことも少なくなった。なぜか昔のおじさんは、栓抜きで栓を二度コンコンと叩いてからシュポッと抜いたものだ。ちなみに作者の野上は酒をまったく飲まないという。私の父も酒造会社に勤めていたが、酒造会社には酒が飲めない人がけっこういるらしい。それを「もったいない」と思うのは酒飲みだけである。

 上に引いた四首目と五首目には少しくその影はあるものの、最初の三首には短歌的抒情というものがまったくない。しかし歌集を読み進めてゆくうちに、「こういうのもありかも」と感じ始め、最後まで楽しく読み終えることができた。

 ふつう短歌ではずばり真実を断定するのは避けることが多い。短歌は基本的に抒情詩なので、その目的は真実を断定することにはなく、心情を叙述し詠嘆することにある。たとえ世の不滅の真理を述べる場合でも、それを物に託し余韻を残して表現するのが常套である。

蒸しかえす議案もあればかたちなきほどに煮込まれ消ゆる論あり  

                    小高賢『本所両国』

 小高もまた出版社に勤務するサラリーマンであった。詠まれているのは会社の企画会議か何かだろう。一度は消えたはずなにの復活する議案があるかと思えば、あれこれ議論されているうちに原形を留めなくなったものもある。会議ではよくあることだ。しかし小高の歌の重点は、そのような会議の虚しさに徒労感を覚える〈私〉の方に傾いている。短歌が「自我の詩」であり、一人称の詩型であるゆえである。

 しかるに野上はあまり〈私〉には興味がないらしく、自分を見つめる眼は時に冷徹で皮肉も感じさせる。

ランボオの筆おる歳の三倍をいきてのうのうわれは歌よむ

アルバムにともに写りし部員らの半ばの名前もはや出でざる

祖父母父母それぞれもてる戒名を私は一つも覚えていない

他人には言えぬ濃厚接触の場所はこの先まがったところ

わが戯曲読まざる妻がしっかりと目を通しゆく給与明細

 ランボオの名が出るところに世代を感じる一首目は自嘲の歌で、このように自分を突き放して見るスタンスが野上のベースラインと思われる。歳を取ると記憶力の減退が著しいが、祖父母の戒名まで覚えている人は稀ではないか。四首目は新型コロナウィルス流行ならではの歌で、パンデミック以来、「三密」「濃厚接触」「社会的距離」「おうち時間」「オンライン授業」など新しい言葉が増えた。このような言葉を詠み込んだ歌は、数十年経った未来には、時代を感じさせる歌となるにちがいない。

遺伝子の組み換えなしと書かれたるポップコーンに塩がききすぎ

四十年過ぎて上海バンドにはあふれる光ビジネスの話

「感性の経営」という不可思議な言葉煌めき揺らぎ消えたり

メーカーの勤めを終えて十年余いまだに弊社の製品という

特攻機ゆきし出水の滑走路十八ホールのゴルフ場となる

 野上の視線はたやすく文明批評の色を帯びる。それは自らの裡の心の揺らぎよりも、現実と外部世界の有り様に興味を引かれる心性のなせる業である。そのような心性の持ち主には抒情よりも叙事が向いている。詠嘆よりも事実の提示が似合うのである。一首目、材料のじゃがいもは遺伝子組み換えではありませんと誇らしげに表示しているポップコーンに塩が利きすぎていて、そのほうが高血圧に悪かろうという歌。二首目、40年前に中国を訪れた時には、紅衛兵が毛沢東語録を振りかざして資本主義を攻撃していたが、今ではビジネスの話しかしないという歌。三首目、「感性の経営」というのはバブル経済の頃に言われたことだろう。四首目、会社を辞めて10年経っても弊社というサラリーマンの悲しい性を詠んだ歌。五首目の出水いずみは鹿児島県で旧日本軍の航空隊基地があった場所。そんな過去の記憶に満ちた場所も、資本主義はゴルフ場にしてしまうのである。

干満のはざまに草魚腹見せて動かざるまま雨の駒形

夏の日は海の底から大空を見上げる色に暮れゆきにけり

苦瓜の蔓を払えばリビングの外に大きな秋空のあり

ダージリンティーにそえたる砂時計ひそかに吾のときを奪いぬ

皿の上にパセリ一片残されて窓の向こうは秋雨の街

欲望は果てなきものか寄り来たる鯉の口腔うつろに深し

棺桶に閉じ込められて君は去りわれら散りゆくクッキーを手に

 集中では珍しく抒情的な歌を引いた。最後の歌は友人の葬儀の場面を詠んだ歌で、クッキーは会葬者に配られたものだろう。「散りゆく」と「クッキー」が縁語になっている。

 野上の歌は、骨太でぶっきらぼうで断定的で批評的であり、冷徹な視線にユーモアがまぶしてある。昨今あまり「男歌」「女歌」という言い方は流行らないが、野上の歌はまぎれもない男歌である。それはまた短歌人会の伝統のひとつでもあるのだろう。