「短歌研究」が今年の六月号からリニューアルした。それまでの白地にイラストという表紙から、カラー地に猫のイラストに変わった。イラストが猫なのは、小島ゆかりの「サイレントニャー 猫たちの歌物語」という楽しい連載が始まったからだろう。その他にも、吉川宏志の「1970年代短歌史」、工藤吉生の「Twitterで短歌さがします」などの新連載がスタートしている。六月号では「31年目の穂村弘『シンジケート』論」、「篠弘インタビュー『「戦争と歌人たち」を語る』」、YouTube書評家・渡辺祐真(スケザネ)の「俵万智の全歌集を『徹底的に読む』」という三つの特集が組まれており、リニューアルにかける編集部の意気込みがうかがわれる。
穂村弘の『シンジケート』の特集が組まれたのは、一九九〇年の刊行から三一年経った今年、新装版が出版されたからである。その後の短歌シーンを大きく変えた穂村の歌集について大勢の歌人がエッセーを寄稿していて興味深い。穂村と東直子を世に出すのに林あまりが大きな役割を果たしていたことを、林のエッセーを読んで知った。また水原紫苑の「私だけが分からなかった『シンジケート』」と題された文章には、穂村からもらった歌集を癇癪を起こして破り捨てもう一冊もらったこと、当時はどうしても穂村の短歌がわからなかったことが率直に書かれている。〈自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて〉という穂村の新作を見せられた時、山崎郁子は目をきらきらさせていたが、水原はどこがいいのかわからなかったという。どうやらこのあたりに時代の感性の分岐点があったことがうかがえる。穂村の初期作品にはキリスト教の影響が見られることや、穂村は古典和歌の発想を現代に変奏しているところがあるという水原の指摘は注目される。
「短歌研究」八月号は、水原紫苑責任編集「女性が作る短歌研究」という特集を組んでいる。全二九二頁のうち三分の二以上を当てるという力の入れようである。過去の号と較べても、年末恒例の短歌研究年鑑を除けば例のない厚さとなっている。特集の目玉企画は、「歌と芸」と題された馬場あき子と水原紫苑の対談と、「女性たちが持つ言葉」という田中優子と川野里子の対談である(田中優子は前法政大学総長で江戸文学の研究者)。
対談「歌と芸」には司会として演劇評論家の村上湛が加わり、塚本邦雄と前衛短歌の出発点、大岡信と塚本との「調べ」をめぐる論争から、古典と芸へと話が及んでいる。田中と川野の対談では、田中の専門分野である江戸文学に女性の表現者が多かったことや、樋口一葉、与謝野晶子、石牟礼道子らの仕事について縦横無尽に論じられていて話題は尽きない。
とりわけ興味深く感じたのは田中の次のような指摘である。『たけくらべ』冒頭の「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の往来にはかり知られぬ全盛をうらなひて…」というくだりの現代日本語訳が「私は」から始まっているのを見て、これはまずいと感じたと田中は語っている。田中は次のように続け、川野もそれに応じている。
田中 あそこにあるのは、主語じゃないんです。空間なんです。物語自体が、あの吉原という空間の中に一歩も入らず廻っているんです。冒頭がまさにその象徴なんですよね。これは、歌詠みじゃないと理解できないのだろうなと私は思いました。日本の古典を読まず翻訳物や現代小説で文章を学んだ人は、理解できないんですよ。
川野 いったん「私」を置いて空間全体をふんわりと把握するような描写力というのは、和歌の基本的な表現力だと思います。
この指摘は古典和歌に留まらず、現代短歌にも同様に当てはまるだけでなく、さらに広く日本語という言語の深い特性に触れている。かつてアメリカ人の日本語研究者ジョン・ハインズは、『日本語らしさと英語らしさ』(くろしお出版、一九八六)で次のように述べた。英語は人を表す主語に焦点を当てる「人物焦点」(person focus)を好む言語で、日本語は人ではなく状況・場を中心に文を組み立てる「状況中心」(situation focus)の言語である。そのことは英語の My mother called today.と、日本語の「今日母から電話があった」や、I see a ship far away.と「はるか遠くに船が見える」のちがいを見ればよくわかる。日本語には「私」が表面に出ない文がたくさんあり、主語がどれかすら判然としない文もある。『たけくらべ』の冒頭の吉原の描写は、一見すると作中の「私」が見た情景のように描かれつつも、実は無人称的な空間が支配する描写なのである。
日本を愛し日本で半生を送ったポルトガルの外交官・詩人のモラエスは次のように書き残している。「ヨーロッパの言語は(…)能動的で倦むことなく、ひどく個人的、利己的、自我的で、心的で物的な〈我〉を反映しているのに対して、日本語は無人称性、すなわち、すべての自然の様相の中に積極的な能動者として自ら進んで参加しない」(『日本精神』)。
特集「女性が作る短歌研究」にはこれ以外に、阿木津英と黒瀬珂瀾のジェンダーをめぐる論考と、多くの女性歌人の短歌作品が掲載されている。ジェンダーの問題は、これから短歌の世界においてたびたび取り上げられる重要な問題となるだろう。
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本誌八月号では大特集「1964」が組まれている。言うまでもなく一九六四年は前回のオリンピック東京大会が開催された年で、今年また東京でオリンピックが開かれたことにちなんでの特集である。
興味深いのはその年の一月号から十二月号までの本誌の目次が写真版で掲載されていることだ。縮小してあるのでルーペが必要だが、土屋文明、土岐善麿、窪田空穂、葛原妙子、齋藤史、近藤芳美らの居並ぶ名前を見ると、すでに戦後短歌と前衛短歌の時代を迎えてはいるものの、戦前派もいまだ健筆を振るっていたことが知れる。
また大井学の「昭和ジャンクション」には、本誌編集部のメンバーが同年六月に交代したことをきっかけに、塚本邦雄や寺山修司の作品が掲載されなくなり、富士田元彦の言葉を借りれば「前衛パージ」が始まったことが書かれており、当時の歌壇の動きがうかがい知れて興味深い。大井の文章を読むと、当時の短歌シーンで深作光貞(一九二五〜一九九一)が大きな役割を果たしていたことがあらためてわかる。深作は文化人類学者で京都精華大学の学長を務めるかたわら現代短歌に深く関わり、中井英夫と共に「ジュルナール律」という短歌誌を発行して、村木道彦ら新人を世に出した。現代短歌のフィクサーとも呼ばれている。岡井隆を京都精華大学教授に招いたのも深作である。岡井はこの間、京都で開かれていた荒神橋歌会、神楽岡歌会、左岸の会などに参加して、後輩歌人たちに大きな影響を残したと言われている。
大特集「1964」の「当時の思い出」というエッセーを読むと、佐佐木幸綱が早稲田大学の大学院生だったとあるので、前回のオリンピックからどれだけの時間が経過したかがわかる。また森山晴美のエッセーには、当時の自分の月給が一八、五〇〇円で、食パン一斤が三十五円、コーヒー一杯が六十円だったと書かれている。こういう日常の暮らしの細かな情報はすぐに失われてしまうので貴重な証言である。特集に寄せられた文章を読むと、いずれも当時の日本を包んだ熱狂からは遠く、再び巡ってきた東京オリンピックにも冷静な反応を示している人がいて特に印象的に残った。今回のオリンピック東京大会は将来どのように語られるだろうか。
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「現代短歌」九月号は「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」(一九九〇年以降生まれの歌人の選集)という特集を組んでいて、なかなか読み応えがある。六十人の若手歌人の自選十首と、自分が最も影響を受けた一首を挙げて短く解説を付けるという企画である。一九九〇年生まれの人は今年三十一歳になるので、取り上げられているほとんどは二十代の歌人である。冒頭には「売り出しだ、ユダヤ人も売らなかったもの、貴族も罪人も味わわなかったもの、大衆の呪われた愛慾にも地獄めいた正直さにも知られていないもの」という一節で始まるランボーの「大売出し」という詩の粟津則雄訳がエピグラフとして掲げられている。
一九九〇年生まれの井上法子に始まり、二〇〇〇年生まれの川谷ふじので終わる若手歌人の短歌を通観すると、現在の短歌シーンを形作っている風景の一部が見えてくる。なかには山川築、睦月都、鈴木加成太、立花開、道券はななどの角川短歌賞受賞者、川野芽生、佐伯紺、帷子つらねらの歌壇賞受賞者、平出奔、郡司和斗ら短歌研究新人賞受賞者、現代短歌社賞の西藤定の名前も見えるが、それ以外にも活躍している歌人が幅広く取り上げられている。日頃接している媒体のちがいからか、それとも当方の不勉強のせいか、初めて名前を見る歌人もいて、視野を広げるのに非常に有益である。どのような歌人を選んで取り上げるかに編集者の腕前が表れる。
自選十首を見てみると、当然ながら受賞作やすでに出版された歌集から自信作を選んでいる人が多い。
フードコートはほぼ家族連れ、この中の誰かが罪人でもかまわない 阿波野拓也
月を洗えば月のにおいにさいなまれ夏のすべての雨うつくしい 井上法子
わがウェルギリウスわれなり薔薇とふ九重の地獄ひらけば
川野芽生
その一方で、短歌賞の受賞作ではなくあえて新作を選んでいる歌人もいる。
でも触れてあなたを噛んでわたくしを残す日の万華鏡のかたむき 立花開
春の二階のダンスホールに集ひきて風をもてあますレズビアンたち 睦月都
立花の歌は角川『短歌』二〇一九年一月号の「新春79歌人大競詠」に出詠されたものであり、睦月の歌は「歌壇」の今年の六月号に掲載されたDance with the invisiblesという連作中の一首である。
特集の誌面を眺めていると、小原奈実と川野芽生が見開きで並んでいて、二人が本郷短歌会で同学年だったことを改めて思い出す。菅原百合絵(旧姓安田)や寺井龍哉の名も見えて、本郷短歌会十一年の活動が現代短歌にとってどれほど重要なものだったかがわかる。老舗の早稲田短歌会や京大短歌会の出身者が多いのは当然として、岡山大学短歌会(川上まなみ)、大阪大学短歌会(佐原キオ)、九大短歌会(石井大成、神野優菜)、立命短歌会(安田茜)、東北大学短歌会(岩瀬花恵)など、十数年前から雨後のタケノコのように増えてきた大学短歌会出身の歌人が少なからずいる。若い人たちに短歌が浸透するのに大学短歌会が一定の役割を果たしていることがうかがい知れる。
特集には「このアンソロジーの読みをめぐって」という大森静佳と藪内亮輔の対談がある。二人はそれぞれ、特集で取り上げられた歌人の自選十首の中から秀歌十首を選んで対談に臨んでいる。二人の選が一致したのは〈灯さずにゐる室内に雷させば雷が彫りたる一瞬の壜〉(小原奈実)と、〈火は火でしょう、ひとつの名字を滅ぼして青年の手はうつくしいまま〉(帷子つらね)であった。小原の歌は同人誌「穀物」創刊号(二〇一四)に掲載されたもので、帷子の歌は「塔」の二〇二〇年十月号「十代・二十代歌人特集」のものである。
対談の二人の発言から興味を引かれた部分を引いてみよう。大森は〈会っているとき会いたさは昼の月 即席のカメラで撮ってみる〉(橋爪志保)という歌を引いて、「橋爪さんに限らないですけれど、〈認識+景〉、〈内面の独白+景〉みたいな歌って全体的に、ほとんどなかったですね。初期の吉川宏志さんみたいな歌の作り」と述べている。これは永田和宏の「『問』と『答』の合わせ鏡」(『表現の吃水』而立書房、一九八一)のような作りの歌が少なくなったということである。確かに上句と下句が反照し合って修辞が増幅される歌は少なく、全体的に淡々とした歌が多い。ただし大森はそのことをネガティブに捉えているのではなく、若手歌人に広く見られる新しい作歌の傾向と見ているようだ。
藪内は「井上法子さんの歌がこれからのひとつの軸になっていくのかなと思いまして」と発言している。〈陽に透かす血のすじ どんな孤独にもぼくのことばで迎え撃つだけ〉という井上の歌を引き、「この人も言葉の信者なんですよね。言葉教の信者で『ぼくのことば』で『迎え撃つ』んだっていうヒロイズムがあるんですよね。このヒロイズムっていうのは今、若手の歌のキーワードのひとつになるのかなと思っています」と述べている。
おもしろいのは若手歌人が影響を受けた一首として挙げている歌人の顔ぶれだ。三人が選んだのは俵万智、雪舟えま、笹井宏之、平岡直子、小原奈実で、二人が挙げたのが与謝野晶子、葛原妙子、穂村弘、小島なお、五島諭、服部真里子、大森静佳、山中千瀬、浅野大輝であった。小原と山中と浅野はこの特集に取り上げられている若手歌人なので同世代である。選ばれたほとんどの人は現代短歌の歌人でしかもまだ若い。少し意外だったのは穂村弘がトップではなかったことだ。一九八一年生まれの永井祐の世代の歌人はほぼ全員が穂村チルドレンである。永井より十年後に生まれた世代は穂村以後の歌人の影響下から出発したことがわかる。
もうひとつの特徴は選ばれている歌人の世代幅が狭いことだろう。斎藤茂吉や岡井隆や石川啄木の歌を挙げた人は一人ずつしかいない。昔の歌人よりも、自分の年齢に近い身近な歌人に共感を感じる傾向が見える。世代の輪切りがいっそう進行しているのだろう。若手歌人のそのような横顔を見せてくれるという点でも、興味深い特集となっている。