第367回 源陽子『百花蜜のかげりに』

庭から呼ぶ生きものの声あるような苔盛りあがる美しい冬

源陽子『百花蜜のかげりに』

 居間のテーブルの上に置かれたフルーツバスケットに一顆の洋梨がある。果皮が緑色のラ・フランスではなく、茶色のジェネラル・ルクレールだ。ルクレール将軍は、ナチス・ドイツに占領されていたバリに連合軍とともに入城し、パリを解放した英雄で、パリの通りにその名を残している。縄文土偶のように腰の張った洋梨は、夕光に照らされて輝く。内部には芳醇な果汁が満ちているが、それは時間が生み出したものだ。梅雨の雨、夏の日照り、秋の台風を経験し、樹上でゆっくりと熟す以外にそれを生み出すものはない。源の歌集を読んでそんなことを感じた。

 源陽子は1955年生まれ。「未来」で近藤芳美や岡井隆に師事したとプロフィールに書かれているので、近代短歌のまさに本流にいたことになる。これまでに四冊の歌集がある他、歌誌『鱧と水仙』の創刊にも参加している。余談ながら従前より不思議に思っていたのだが、なぜ歌誌には『柊と南天』とか『羽根と根』のように、『○○と××』という題名が多いのかしらん。

 さて、源の歌集のタイトルに注目しよう。百花蜜という単語は『広辞苑』には立項されていないが、レンゲ蜜やアカシア蜜のように単一の花から採られた蜂蜜ではなく、蜂がいろいろな花から集めた蜜を言う。集中の「百花蜜の褐色やまた琥珀色あつまる蜜の一様ならず」という歌からわかるように、人間もまた様々に異なっているのが自然であるとする考え方が根底にある。今風に言えば「多様性」(diversity)である。

 佐伯裕子が栞文を寄稿しているが、佐伯は源の「未来」入会時からの知り合いらしい。そして集中の次のような歌が懐かしいと書いている。

ブラウスのウェストをさらう腕に似た風に巻かれぬ春の路上に

暮れきらぬ光の粒が樹のうえに押し上げられて溺れゆきたり

 佐伯は源の歌風を「光線をまとう色香」と表現し、二首目のように自然の情景を人間界に引っ張ってきて、最後にエロスを醸しだすのが初期の頃からの源の歌の特色だと続けている。一首目では春の突風をウェストを抱きとめる男性の腕に喩えている。男性は歌の〈私〉をさらってどこかに連れて行こうとしているのだ。二首目は陽が傾くにつれて陽の当たる場所が少しずつ樹の上方へ移る様を詠んでおり、結句の擬人化は光が樹を離れて空へと溶け込む様子を描いているのだろう。どちらにも人と自然との距離感の表現に、情に傾くよりも知的処理が施されているように思える。佐伯のように源の歌に色香やエロスを感じる人もいるかもしれないが、私はどちらかと言えば知的な処理を感じるのである。

てのひらに天の気、地の気うけて立つ庭の真下は中央構造線

全身に心臓を打つ青蛙濡れたヤツデの葉の奥におり

今日われは庭師脚立踏みしめて一段ごとにアリアは澄めり

こまごまと果樹の手入れの道具箱兄の軒下整然として

夜の空へ発つ観覧車秋ぐちの地上の暑き空気も詰めて

 一首目にあるように源は和歌山県に暮らしている。中央構造線は紀ノ川を作り、海を隔てて徳島県の吉野川まで伸びている。自然の豊かな環境なのだろう。二首目は庭の青蛙を詠み、三首目では庭師となって庭の手入れをしている。お兄さんは果樹栽培をしているようだ。根っからの都市生活者である穂村弘は、短歌の背景にある現代社会を「酸欠世界」と呼び、吉川宏志や小島ゆかりは一人用の高性能酸素ボンベを背負っているようだと書いた。(『短歌の友人』、p. 104)同時に穂村はかつて世界に酸素が溢れていた時代には特別の工夫は要らなかったが、酸欠世界の現代では歌をリアル・モードに切り替えるための構文の工夫が要るとも述べている。

 では源のように自然豊かな土地に暮らしていると格別の工夫は必要ないかといえば、当然ながらそんなことはない。人間と自然(リアル)との関係性を組み立てて歌に仕立てるにはやはり工夫は要るのである。例えば二首目では、「青蛙濡れたヤツデの葉の奥におり」は客観描写だが、上句の「全身に心臓を打つ」はそうではない。心臓の脈動で蛙の皮膚が波打つ様を、助詞の「に」と「を」をやや破格な使い方をしてうまく表現し、私はそう感じたと言っているのだ。三首目では、「今日われは庭師脚立踏みしめて」が場面の描写で、「一段ごとにアリアは澄めり」が主情の表現である。オペラのアリアを歌いながら脚立を登るにつれて、自分の歌声が遙か遠くにまで響くのだ。五首目の工夫は「発つ」の漢字を選ぶことで、あたかも観覧車が飛行機のように夜空に舞い上がるような幻視を一瞬生み出した点にある。

 集中には栃木県で一人暮らす老いた母親を詠んだ歌も多い。

チラシ広告の裏面のしろき宇宙ため母に八十一歳の夏

舞う写真、賞賛の額を住む壁にめぐらせひとり母の老年

ありがとうと電話をすぐに切りたがり母の草地が喰われゆくらし

もう舞わぬ床に洋梨ならべられ黄熟を待つ時間が青し

寂しさがつくりし顔にココガイイここが安心と言わしめ我ら

 遠方に暮らす親の介護は多くの人が抱える悩みである。。源の母親は舞踊の師匠をしていたらしく、おそらく気丈な女性なのだろう。故郷を離れることを嫌がり一人暮らしをしていたのだが、五首目にあるように、それもかなわなくなり老人施設に入所する。しかし子供としては親を施設に託すことに後ろめたい気持ちを感じてしまうのである。これも多くの人が経験することだ。このような歌は意味(内容)が勝っているため、形式の工夫は前面には出ない。

 一方、私が作者の個性を感じるのは次のような歌である。

瓦斯ボンベ換えんと高く声をあげ青年後期の人らし音す

踏切の保線工事の三人のひとりが若く立ち上がりおり

朝の陽にけばすなわち陰となる背に連なりてあじさいが咲く

搬送をおえたる帰路の救急車ゆるやかに昼の坂をくだれり

にわか雨過ぎてもどりし蝉声に砂の上の地図もう乾きゆく

 いずれも主情を押さえた叙景歌である。一首目、都市ガスが来ていないので、プロパンガスを使っているのだろう。業者がガスボンベの交換に近所を訪れている。この歌のポイントは「青年後期」である。姿は見えないが声の調子から判断して、それほど若くはないが中年でもない。そのような年齢を「青年後期」とまで細かく限定することはふつうしない。そこに独自の物の見方がある。二首目も同様で、三人の工夫が保線工事をしているという日常的情景を詠んでいるのだが、三人のうち一人だけが若いことに着目している。保線工事の情景を歌に詠むという発想がすでに独自だが、一人だけ若いと描くことでリアルが立ち上がる。ぐっと解像度が増すのである。三首目は「大阪北新地」と題された一連の中の歌で、都市の裏路地の光景を詠んでいる。ここでは路地の片側だけに紫陽花が咲いていることに着目しているのだ。四首目は、救急搬送を終えた救急車が病院から帰路に就く様を歌にしたもの。救急搬送は一刻を争うのでサイレンを鳴らしスピードを上げて走るが、帰りはゆっくり走る。「ゆるやかに昼の坂を」という語句がそれをよく表している。五首目の季節は夏。蝉の鳴き声がにわか雨で一時止む。そして雨があがるとまた勢いよく鳴き始める。それと同時に砂を濡らしていた雨水は乾き始める。ポイントは「もう」だろう。客観描写のこの歌の中で唯一作者が顔を覗かせているのは「もう」である。そこには「思ったよりも早く」という発見がある。五首の歌が示しているのは、源が独自の観察眼で現実を捉えて、それを適切な措辞を用いて歌に組み立てることで、〈私〉とリアルの関係性を構築しているということである。

 帯に刷られた自選五首に次の歌がある。

帰りたい場所なくいずれ清流の時間の岸辺だけがあざやか

 集中ではその隣に次の歌が置かれている。

ひとはみな小さな炎を手に囲みはるかに組まれし粗朶までをゆく

 流れゆく時間の豊かさを深く感じさせる歌集である。