第373回 川本浩美『起伏と遠景』

白壁にあかく日の差す丁字路の突きあたりまであゆみつつをり

川本浩美『起伏と遠景』

 白壁なので倉のような漆喰塗りの壁だろうか。あかく日が差しているのだから、晴れた日の午後か夕方だろう。おおまかに場所と時間が書かれている。〈私〉は丁字路の突きあたりに向かって歩いている。突き当たれば右か左に曲がるしかない。いったい何の用があってそこを歩いているのだろう。それはわからない。ただ〈私〉が他ならぬその場所を歩いているという感覚のみが詠われている。

 こういう歌の魅力を説明するのはむずかしい。私はこの歌を読んで、まるで茂吉だと思った。「雪の上にかげをおとせる杉木立その影ながしわれの来しとき」(『白き山』)という歌と造りが似ている。叙景歌かと言えばそうなのだが、景色に還元することのできない何かがある。それは歌の中を移動している〈私〉の感覚である。これが古典和歌とのちがいで、「あふち咲く外面の木陰露落ちて五月雨晴るる風わたるなり」という藤原忠良の歌にはそういう意味での〈私〉が不在である。描かれた絵の中に〈私〉の感覚や身体に関わる情報が埋め込まれていない。たとえ潜在的にでも歌の中に〈私〉を内包したのが近代短歌と言えるだろう。

 川本は1960年生まれ。藤原龍一郎の歌集『夢見る頃を過ぎても』(1989年)を読んで短歌を作り始めたという。1990年に「短歌人」に入会。二年目に新人賞(現在の高瀬賞)を、1998年には短歌人賞を受賞して注目される。その後、「関西短歌人会」などで活躍するが、2013年に52歳で死去。『起伏と遠景』は、その早すぎる死を惜しみ、歌業を世に残すべく短歌人会の歌友が2013年にまとめたのが本歌集である。解説を藤原龍一郎が、川本の紹介を歌友の斎藤典子が書いている。

 本歌集は、2012年に始まり1991年で終わる逆編年体で構成されている。佐々木実之の『日想』もそうだったが、逆編年体で編まれた歌集を繙くとき、一抹の哀愁にとらわれる。正岡豊『四月の魚』のような例外はあるが、始まりの年以後、作者にはもう時間が流れることがないことを思い知らされるからである。望遠鏡を逆さまに目に当てたときのように、レンズの向こうの風景が拡大されるのではなく、逆に縮小されて見えるような気がする。

 本歌集を読み始めると、川本の作品世界にすぐ引き込まれた。何という手練れだろう。よいと思った歌に付箋を付けてゆくと、あまりに付箋が多いために、歌集の天はハリネズミのごとき観を呈する有り様である。読み進むにつれて、作者の人柄や、ものの感じ方や、人生観から日々の暮らしぶりに至るまで手に取るようにわかる。読み終えると、極上の歌集を読んだ満足感と同時に一抹の哀切が胸を過ぎった。それは川本の歌が「この世に在ることの悲しみと淋しさ」を詠んでいるからである。

わが稼ぎ乏しきを嘆きこのあした確定申告ほ書きをへにけり

糖衣錠ひとつぶがたたみに落ちてゐてさみしいわれは呑まむとしたり

ひとりきりタコの滑り台をすべらむとするわたくしはいま世界の外

「超高層マンション建設予定地」と大書せり就中その「超」あはれ

ひともとのさくらまづしくアパアトの「しあわせはいつ」に散りかかりをり

送電線はるかにわたるくもりぞら人のおこなふことのさびしさ

 美術大学を出た作者は、フリーでイラストレーターをしていたという。一首目は収入の少なさを嘆く歌である。近代短歌と貧乏の歴史は長い。二首目は孤独の歌で、孤独は短歌の伴侶と言ってもよい。貧乏と孤独は個人がたまたま置かれる偶有的な状態なので、収入のよい職業に転職したり、恋人ができたり結婚したりすれば、その状態は解消される。しかし川本が感じていた悲しみや淋しさはもっと根源的なものだったと思われる。三首目は、よい歳をした中年男が平日の昼日中、児童公園の蛸形の滑り台を滑っている光景を詠んでいる。その時、〈私〉はこの世界に属してはおらず、世界の外にいる。このようにふらっとこの世の外に出てしまう感覚が川本の歌にはある。四首目は人の営みの虚しさを詠う歌である。高層マンションは今ではタワマンと呼ばれることが多い。タワマンの最上階は勝ち組の住居である。高層マンションの頭に「超」を付けて人々の欲望をさらに煽るのがこの世のならいである。五首目には言葉遊びがある。アパートの名前は「幸せハイツ」なのだが、ひらがなで書かれているために、「しあわせは、いつ」と読めてしまうのだ。六首目にも人の営みの淋しさが詠われている。高圧送電線は遠くの発電所から市街地まで電気を送る。なぜ高圧にするかというと、電流は長い距離を走る間に減衰するのだが、高圧にすると損失率が低く押さえられるからである。そんな送電線を人類の英知の賜物と見る人もいるだろう。しかし川本にはそれが人の営みの淋しさと見えてしまうのである。

 川本がとりわけ才を発揮するのは、道端の異景・不思議を発見する能力である。

石材展示場無人のひるにして何も彫られざる石碑はそびゆ

冬の日暮の生前戒名普及会ここなる門をわれ入らざらむ

すれちがふ下校の子らのひとむれゆ「冷凍ネズミ」と言ひをる聞こゆ

ゆきずりの川のほとりの「故池田警部殉難之碑」も記憶の栞

軍人墓域に花嫁人形飾りありたりあなあはれ夢の景色ごとく

梅田空中庭園にしろき灯はともり神の水母くらげはそこに顕ち来も

 一首目の石材は、いずれ死者の名が彫られる墓石だが、展示場なのでまだ誰の名も彫られていない。確かに不思議な光景である。ネットで調べてみると、二首目の生前戒名普及会は実在する団体である。その門の前を通りかかるのは、冬の日暮れという絶妙な時刻だ。三首目は子供が何か言ったのを聞き違えたのかもしれないが、実際に蛇を飼う人は冷凍ネズミを餌に与えるらしい。四首目の碑は池田警部殉職碑といい、大阪の生野区にある。昭和21年に起きた事件だという。五首目、旧日本軍人の墓に飾られている花嫁人形は、若くして結婚する前に散華した兵士を哀れに思って置かれたものである。六首目の梅田空中庭園は、1993年に竣工した建築家原広司設計の梅田スカイビルの屋上庭園で、大阪のランドマークのひとつとなっている。そんな建物も川本にかかるとまるで佇立する神の依り代である。

 何より川本の作歌技術が光るのは、トリミングの巧さと、最小限の的確な言葉で情景を描出するその能力だろう。

塀のうへブリキ煙突のあたま見ゆそのH字の影のゆふぐれ

午前より剣道のおとひびきけり夏椿咲く警察署うら

白シャツの影座れるは少年か泌尿器科医院のガラスとびら

とほりかかる一瞬にしてびはの木よりびはの実落ちぬその水の音

ももいろに褪せたる文字の皮フ科のフざわりゆらめく棕櫚の葉かげに

 塀の上に突き出たH字煙突が道に落とす影、剣道の練習をする声が響く警察署の裏に咲く夏椿、泌尿器科の医院の磨りガラスに映る少年の影、枇杷の実が落ちるその瞬間、医院の看板の「皮フ科」のフの字が色褪せた様子。どれも絶妙な切り取り型でトリミングされ、よく選ばれた言葉で描き出されている。

 

鳥の影ふともよぎりて西窓はあはき春陽はるひを容れゐたるのみ

コスモスの花のため降るひでりあめ市立授産場の庭にうつろふ

ケイタイの灯にうつむけるかほはぬ牡丹灯籠の女のごとく

とほく咲く白さるすべり小用の便所の窓ゆ見つつかなしも

ひしひしと夏空あをし煙突掃除のひとりの影ののぼりゆくとき

おとろへてゆくあさがほがしぼりだす赤紫色せきししょくのはな雨は撫でをり

 

 付箋の付いた歌からほんのごく一部を引いた。いずれも言葉の斡旋よろしく、その歌の想は心に沁みる。川本のような優れた歌人の歌業が広く人に知られることを願うばかりである。