杉崎恒夫『パン屋のパンセ』
歌集題名は「パンセパンセパン屋のパンセ にんげんはアンパンをかじる葦である」という歌から採られている。「パンセ」は17世紀フランスの哲学者 Blaise Pascalの残した断章録だが、フランス語ではごく普通に使う「考え、思い」という意味の語である。パスカルの「人間は考える葦である」を「にんげんはアンパンをかじる葦である」とひねるところに、作者杉崎の権威を嫌い市井の生活を暖かく見る目が感じられる。杉崎は三鷹にある東京天文台(旧国立天文台)に長く勤務したという。掲出歌は天文台勤務という職業とつながりのある歌だが、平明な口語短歌のなかに透明な詩情を滲ませる杉崎の作風をよく表している。
収録された歌は編者たちの手により春夏秋冬の四季の順番に配列されている。恋の部こそないが、勅撰和歌集の部立と同じである。春の部からいくつか引いてみよう。
観覧車は二粒ずつの豆の莢春たかき陽に触れては透けり
爆発に注意しましょう玉葱には春の信管が仕組まれている
高貴なるムスカリ・ボトリオイデスは伯爵家のような長き名をもつ
噴水の立ち上がりざまに見えているあれは噴水のくるぶしです
濁音を持たないゆえに風の日のモンシロチョウは飛ばされやすい
滄海に自在のくじらを泳がせて地球は春の軌道をめぐる
観覧車のゴンドラと豆の莢、玉葱と手榴弾、噴水と踝の例が示すように、杉崎の目線は日常的事物の中に「おや、これは」と呟く発見を見いだしている。このささやかな見立てが成功したとき、そこにメルヘンのような詩的世界が立ち上がる。井辻朱美は栞文のなかでこれを「杉崎マジック」と呼び、その本質は初期化されたまっさらなフレームを作ってその中に事物を配置することによって、世界が独立浮揚するというプロセスだと分析している。確かに杉崎の短歌は歌の〈外部〉を感じさせず、ひとつひとつが独立の小世界のようだ。例えば一首目を例に取ると、切り取られた四角いフレームの中に2基ずつ対になった観覧車のゴンドラと降り注ぐ陽光だけが静かにあり、それ以外の物の気配がない。また二首目は話しかけるような口語口調なので、ふつうはそこに話し手がいるはずなのだが、実際に受ける感じはまるで絵本の1ページのようだ。これは絵本の語りであり、そこに話し手はいない。杉崎は過剰な〈私〉を消去することで、まるで物が中空にボツリと浮かんでいるような静謐な画面を作り出している。
過剰な〈私〉を消去すると書いたが、だからと言って杉崎が世界を眺める目線がなくなるわけではない。例えば次のような歌には、日常ふと感じる寂しさやふとした疑問などが、詩的昇華を経て表現されている。このつぶやきのようなユーモアもまた杉崎の魅力である。
気付きたる日よりさみしいパンとなるクロワッサンはゾエアの仲間
選ばれしものはよろこべシャボン玉をふくらましいる空気の役目
ゆっくりと桜を越ゆる風船に等身大の自由あるなり
駅前にたつ青年が匕首のごとく繰り出すティッシュペーパー
目の前を時計回りにめぐりいるもと回遊魚のまぐろのにぎり
一首目のゾエアはエビやカニの幼生のプランクトンのこと。ある日ふと、三日月型のクロワッサンはゾエアと同じ形をしていることに気付く。その日からクロワッサンがさみしく感じられるというのである。二首目ではシャボン玉をふくらましている空気にも、喜ばしい役目があると言い、三首目ではふわふわと飛ぶ風船に自由を感じている。こんな所に杉崎の生活信条や一種の述志を読み取ることもできる。四首目は街頭のティッシュペーパー配りの手つきが、まるで道行く人に匕首を突きつけているようだと、その押しつけがましさを感じている。五首目は回転寿司の歌。「もと回遊魚」には思わず笑ってしまった。回転寿司の歌と言えば、小池光の「回転の方向はそれ左回り穴子来て鮪来てイカ来て穴子来」などの一連の歌があるが、杉崎の歌もこれと並ぶ佳作と言えよう。
次はいささか機知を働かせた歌。
コバルトのとかげ現れ陽を返すÇのお前のシッポ
わが胸にぶつかりざまにJeとないた蝉はだれかのたましいかしら
セディーユというのは、フランス語でcの文字の下に付くニョロとした記号のこと。とかげの体がCの文字のように曲がり、尻尾がセディーユの形に見えるのである。記号と言えば、「丈たかき斥候のやうな貌をして∫ が杉に凭れてゐるぞ」という永井陽子の歌があるが、ともに形に着目した機知の歌である。二首目のje はフランス語の一人称代名詞。蝉の鳴き声がje「私」と聞こえるのである。杉崎はよく蝉を歌にしており、夏の短い期間やかましく鳴いて命を終える蝉を愛おしんでいたようだ。「仰向けに逝きたる蝉よ仕立てのよい秋のベストをきっちり着けて」という歌も集中にある。
次の歌は自分の死に思いを馳せたものだろう。
ビオラには二つの∫字穴がある一つは死んだぼくにあげます
ぼくの去る日ものどかなれ 白線の内側へさがっておまちください
星空がとてもきれいでぼくたちの残り少ない時間のボンベ
一首目についてご子息の杉崎明夫さんが、父親は若い頃に結核を患って肺が片方機能しないことを明かし、この歌は動かない自分の肺を詠んだものに思えてならないと書いている。二つある∫字穴が左右一対の肺臓に見えるからである。二首目や三首目に見られる死への思いにも激しさは微塵もなく、静謐な思念と思いやりに溢れている。
「バゲットを一本抱いて帰るみちバゲットはほとんど祈りにちかい」と詠む杉崎にとって、短歌とは一種の祈りであり、薄暗さを増す夕暮れに一本の蝋燭を点すような行為だったにちがいない。それにしても高齢になるまでみずみずしい詩心とやわらかい目線を保ち続けたのは驚くべきことである。杉崎の短歌を読んでいると、歳を取るのも悪いことばかりではないと思えて来る。またそんな杉崎の思いを受け止め続けた短歌というささやかな詩型も、あらためて愛おしいものに思えるのである。