第5回 中川宏子『いまあじゆ』

わたくしの夕暮れてゆく街にある影といふ名の数多のimages(いまあじゆ)
         中川宏子『いまあじゆ』
 私のように定期的に歌論を書いていると、常にアンテナを張り巡らせて注目すべき歌集・歌人を捜すことが日常になる。さもなくば早晩ネタ切れになるからだが、未だ知らない歌の世界と出会いたいという想いが強いためでもある。手許にある歌集の中には作者本人から恵贈いただいたものもあるが、大部分はどこかでアンテナに引っ掛かって買い求めたものだ。中川宏子の『いまあじゆ』もそうしてわが家の書架に収まったのだが、いつどこでアンテナに引っ掛かったのかは、もはや記憶の霧の中に埋もれている。
 歌集題名の『いまあじゆ』はフランス語の images から取られたもので、自解では「画像、絵などのこと」とある。掲出歌は歌集題名の由来となった歌。初句「わたくしの」の掛り方は微妙で、助詞「の」を主格と取れば「わたくしが夕暮れてゆく」となり、属格と取れば「夕暮れてゆくわたくしの街」となる。その両義性のあわいを揺蕩うとしておくのがよかろう。街にある多くの影と同様に、〈私〉自身もまた夕暮れて影となると解釈できるからである。作者の自解では imageは「画像、絵」であるが、imageにはその他に「心に映る像、心像」の意味もある。だから掲出歌のimagesは街を行く影という名の像であると同時に、〈私〉の心に去来する像でもあるのだ。この両義性に作者の歌に臨む姿勢が透けて見えるように思われる。
 いつもの通り作者についての知識は皆無なのだが、歌集あとがきによれば、中川宏子は「未来」所属で10年余りの歌歴があるらしい。『いまあじゆ』は2007年刊行の著者第一歌集。跋文で岡井隆が「大学でドイツ文学を学び内外のフィクションの世界をよく知ってゐる」と紹介しているので、おそらく文学部独文科出身だと思われる。2005年の歌壇賞候補になったことがあるようだ。作者はあとがきで「小説を書くように詩を、詩を書くように短歌を」と抱負を述べ、さらに「結社に入って研鑽を積むうち、突き当たったのは『作中主体』の問題であり、『私性』の問題であった」と述懐している。「小説を書くように詩を、詩を書くように短歌を」とは、短歌を文芸形式のひとつとして捉えるということであり、「作中主体の問題」は「未来」が旧アララギを源流とする結社であるという歴史的事実と無関係ではあるまい。岡井も上の引用に続けて、中川のねらいは「一行の中に『私』を含めて架構する(作中主体を、作者から独立させる)ことが、どこまで可能かといふことだつたのだらう」と書いている。しかし『いまあじゆ』はそれほど短歌の〈私〉をめぐる実験的歌集だというわけではない。とはいえ収録された歌の中には、日常の中に〈私〉をめぐる微量の虚構が混入され、言語が日常の地平からわずかに浮上する様を垣間見させるものがある。
フェラガモの名刺入れにはかび生えてをんなは名前を失ったまま
口紅を化粧室で塗りなほすマック店員みち子二号に遭ふ
スーパーのカートを押して同型の主婦ロボットと甘柿を買ふ
満員の電車の吊り輪に揺れてゐる手はロボットだ 騙されないで
ガーベラを假屋崎ふうに活けなほしけふの朝餉はこれでおしまひ
 集中もっとも大胆なのは「テレスコープ」と題されたこれらの連作だろう。人型のロボットが人間に混じって暮らしている世界が舞台である。しかし今の若い歌人にありがちなSFコミックス的設定だと考えてはいけない。たとえば2007年度の短歌研究新人賞を受賞した吉岡太朗の「六千万個の風鈴」も、人口が半減しアンドロイドが暮らす未来社会という設定である。
兄さんと製造番号2つちがい 抱かれて死ぬんだあったかいんだ
ほんとうは電池式だと知っている彼とあさひのみえる朝食
 吉岡の歌は、若者が現代に対して抱きがちな漠然とした終末感と閉塞感を背景として、SFコミックス的に描かれたほの暗い仮想の未来社会における抒情を意図したものだ。しかし中川の歌はまったくちがう。中川の歌には終末感もなければ、電脳社会で希薄化する自我への悲壮な訴えもない。中川の歌にあるのはもう少し図太い〈私〉への問い掛けであり、歌の〈私〉に何グラム異質な要素を混入したらどうなるか、〈私〉を組み換えたらどうなるか、興味津々で実験している理科室の少女といった趣がある。だから中川の歌の〈私〉は揺らいでいるわけでも希薄化しているわけでもなく、ただ設定(パラメータ)をずらされているだけなのである。そこにしばしば諧謔の要素が混じるのは、上に引いた「ガーベラを」の歌を見ても明らかで、これは中川の短歌の美質と見なすべきだろう。
 このような中川の短歌の傾向は、巻頭の「マティスに捧ぐ」でも遺憾なく発揮されている。マティスの絵の題名に自由な連想から紡ぎ出された歌が添えられている連作である。
 ピアノレッスン
無理強いはもうしないと言つたのに 素手で潰したデリシャスりんご
 ルーマニア風のブラウス
妻といふ過飽和物を包んでる白い上着のギザギザもやう
 窓
帆船のあかく染まつたゆふまぐれ時間は窓の外を歩みぬ
 赤の食卓
薔薇みちる昼の食卓囲むときLandladyは「嘘」とつぶやく
   たとえば「赤の食卓」はエルミタージュ美術館にある有名な絵だが、中川が添えた歌はまるで一編の掌編小説のような趣がある。ちなみにLandladyはイギリスの下宿屋の女主人で、イギリス小説ではしばしば重要な役割を演じる。「マティスに捧ぐ」は歌集巻頭に据えられているため、まだ入り口にいる読者はこれらの歌をどのように受け取ってよいのかとまどうのだが、これらは属目ではなく、また単純な「写実」や短歌の〈私〉に収斂しない仕掛けの施された歌と解釈すべきだろう。
 少し前までの女性歌人の歌集では、恋愛や失恋の歌に続いて結婚・出産の歌があり、あたかも時系列で女性の一生を読むようなものが多くあった。近代短歌のひとつの方向である生活の中から紡ぐ歌をめざすと、歌の背後に作者の生活が透けて見えるのは当然のことだ。ところが『いまあじゆ』を通読しても、作者の生活はいっこうに見えてこない。家族の歌も仕事の歌も見あたらない。中川がめざす歌の世界はもう少しちがう所にあるようだ。かろうじて作者の実人生が見えるのは歌集題名ともなった「いまあじゆ」の連作である。
信号に立ち止まる人みな生きたからうと思えば不思議なる春
葉ざくらの木漏れ陽あはく揺れて過ぐ兄の自死せるみどり台駅
灰色のホームは柩のかたちして幼子ひらひら歩みてをりぬ
食べかけのジャムパンこの世に置きしまま小さな駅より翔びたちし兄
むらぎもの心の千々にさくら咲き水面に兄のこゑの波寄す
 連作冒頭の「信号に」の歌を読むと、作者がなぜこのような感慨に捕らわれたか不思議に感じるが、二首以降の歌を読むと納得がいく。作者の兄上は京葉線みどり台駅で自死したらしく、あとがきにはこの事件が作者の人生に大きな影響を与えたとある。古来より歌は相聞と挽歌で最高の力を発揮するとされているとおり、「いまあじゆ」の連作には心に響く歌が多い。またこれらの歌の背後にある〈私〉は設定をずられさた〈私〉ではなく、限りなく素に近い〈私〉であり、歌に詠まれた感情はリアルさを獲得している。〈私〉に裏打ちされたこのリアルさが近代短歌の本流で、このような歌が人の心に響くところに短歌の私性をめぐる根深い問題が潜んでいることを、作者自身も意識していないはずはない。にもかかわらず中川の個性がよく出ているのは、むしろ次のような歌ではないかと思う。
ドラマ見て笑つては泣く単調な日々のすきまに挿す体温計
馬車道にコンビニがあつて花屋がない不思議のままに行く朗読会
「あのさあ」ときみが話して「エビがね」と返事する間に流れるレゲエ
良妻の封印として縁なしの眼鏡をかけてランチに出かける
悪男とふ漢語の無きをかなしみぬあまたの嘘のぎらつくムース
ケータイでブンガクをする十代に負けたと思(も)へば泡立つビール
 作歌のきっかけとなった出来事があるにはあるが、それがストレートに詠われているわけではなく、素材として組み直されている感覚がある。そこに作者の「小説を書くように詩を、詩を書くように短歌を」という意図があるのだろう。このような方法論を採用すると、日常詠ではなくむしろ題詠に力を発揮することが予想される。加藤治郎は90年代を「題詠の時代」と規定したが、まさに90年代に作歌を始めた中川が題詠に適した方法論を採っているのは、決して偶然ではないように思われる。そこにもまた短歌の〈私〉をめぐる課題があるのかもしれない。