第55回 『新撰21』

 今回の「橄欖追放」は短歌ではなく俳句なので、橄欖追放は短歌コラムを自称するのをこの際止めて、短詩型コラムと改称したほうがよいかもしれない。それはさておき今回取り上げる『新撰21』(邑書林)は昨年12月に刊行されて大いに話題を集めた若手俳人アンソロジーである。21人の作者は年齢順に配置されており、最年少は18歳、最年長は40歳。各人について俳人による小論が付されていて、巻末には選者の筑紫磐井・対馬康子・高山れおなにゲストの小澤實を加えた選評座談会がある。何でも小澤は2000句を超す収録句のゲラを徹夜して一晩で通読し、座談会に臨んだそうだ。私は本書を二日かけて一気読みしたのだが、ものすごく疲れた。作風の振幅の大きい作者が並列されていると、作品の世界にピントを合わせるために脳を酷使するのが原因だろう。
 座談会での発言によると、俳句の世界では「平成無風」という言い回しがあるそうで、平成の世を迎えて20年間俳壇にはたいした事件もなく無風と言われているらしい。しかしどうして本書を読むと、若手で才能のある作者がたくさん現れていることがわかる。ひとつには、松山市青年商工会議所主催の俳句甲子園や、愛媛県文化振興財団主催の芝不器男俳句新人賞のような新人発掘の場が増えたことが原因だろう。事実、本書に収録されている作者の中で年少の人たちのうち、藤田哲史・山口優夢・谷雄介は俳句甲子園、佐藤文香・神野紗希・富田拓也は芝不器男俳句新人賞で入賞している。松山生まれや松山在住の人も多い。さすがは俳句の聖地である。翻って短歌はと考えると、盛岡で開催されている短歌甲子園という催しはあるものの、それほどの知名度はなく、新人発掘の場に乏しいのではないか。角川短歌賞や歌壇賞や短歌研究新人賞のハードルはおそろしく高い。それを除けばあとは結社誌の若手を対象とする賞しかないのではないか。俳句の若手が元気なのは、こんなところに原因がありそうである。また『新撰21』の刊行を記念して大規模なシンポジウムが開催されたらしい。ブログで見聞記を見ると、ベテランと若手が入り交じって登壇して議論する趣向だったようだ。俳壇全体として若手を育てようという心意気が感じられる。短歌界はと振り返って考えると、1987年に俵万智が『サラダ記念日』で一大ブームを巻き起こしたとき、激しいバッシングが起きたことは記憶に鮮しい。どうも俳句とは様子が違うようだ。
 本書に収録された21人の作者を一人一人論じるのは無理なので、通読して感じたことを二三書いてみたい。まず一読して吃驚したのは、平成の世に失われて久しいと思われていた風狂無頼が、ガラパゴスのように俳句の世界で生き残っていたことである。まずは1985年生まれの谷雄介。
金屏風倒れ北方の春のごとし
レコードの針立ち尽くす晩夏かな
白魚に腸といふ翳りあり
春深し折鶴卓より落ちゆくとき
梨丸し銀河と銀河はなれつつ
 飯田哲弘の手になる小論によると、優等生であった谷は俳句と出会ってから、豚小屋のごとき寮の一室に閉じ籠もり新宿ゴールデン街に入り浸る自堕落詩人になってしまったという。これには谷が師と仰ぐ北大路翼の影響が大きいようだ。その北大路がまた小学校5年生で山頭火の自由律俳句に出会いのめり込んだというとんでもない人物で、北大路も『新撰21』に選ばれている。北大路の師は今井聖だから、北大路は加藤楸邨の孫弟子ということになる。師系は否めぬものである。
迷子センターアロハの父が謝り来
足上げてふぐり冷やしぬ夏の月
たましひの寄り来ておでん屋が灯る
 私の勝手な想像だが、短詩型文学の世界には型式が短くなればなるほど人生派の傾向が強まり、それが高じると風狂無頼の道に至るという法則があるような気がする。和歌の世界では西行を嚆矢として風狂の例は多いが、近代短歌になってからは若山牧水のような放浪歌人はいるものの比較的おとなしい。ところが俳句の世界では新興俳句・自由律俳句が世捨て人だらけで、種田山頭火・尾崎放哉・住宅顕信らがその筆頭だろう。谷雄介と北大路翼は明らかにこの系譜に連なる悲惨と栄光の道を歩む俳人である。その道でがんばってもらいたいものだ。
 次に驚いたのは読んでまったく意味の取れない句を作る人がいて、また巻末の座談会の選者たちがそれを一向気にする風情もなく、「これはわかりませんね」などと言いつつ選に入れていることである。その最右翼は1983年生まれの外山一機とやまかずきと1970年生まれの九堂夜想くどうやそうだろう。
どの路地もむかし御国の浮き寝鳥   外山一機
千年をころがる母や桜餅
兄を吊る眉間にπを輝かし

白骨の反りと冬虹と揺らげよ     九堂夜想
くちなわよ酢を手遊びの天皇すめらぎ
天位ふと蝶の重心崩れおり
 外山には「シルル紀を来て雨具屋のうすみどり」、九堂には「みずうみへ子はかくし持つ蝶の骨」のように、ときどきハッとするような印象的な句がある。しかしおおむね難解である。ところが座談会では九堂について、「現代俳句の若手作家に、意味のわからない句を作る元気がまだ残っているという、その意味でも貴重な人でしょう」と高山が言い、「意味がわからないとをあえて続けることが大事ですね」と小澤が受けている。意味がわからなくてもよいのである。これは短歌ではちょっと考えられない。歌会では出詠歌の意味が取れないとか、読む人によって意味がブレるというのはマイナス点と見なされる。意味のわからない歌を評価する評価軸が存在しないのである。これには新興俳句・無季俳句によって俳句が大きな表現上の転換を経験したことが大きく関わっているだろう。また俳句はその型式上の短さから飛躍を本質的に内包しており、どれほど遠い地点に着地できるかが句の丈と格に関わるという事情もあろう。そこから句が一つのイメージを結像することなく、異質のコトバとコトバが軋み合う場に発光する美と立ち上がる詩にすべてを賭けるという外山や九堂のような作風も生まれるのだと思われる。
 21人の異なる作風の俳句を読んで大いに楽しんだが、なかでも強く印象に残ったのは田中亜美である。田中は1970年生まれで「海程」に所属し金子兜太に師事している。ドイツ文学の研究者で、パウル・ツェランが専門だと聞く。
はつなつの櫂と思ひしかひなかな
地下水のやうなかなしみリラ満ちぬ
日雷わたくしたちといふ不時着
舌深く差し込める闇蝶凍つる
アルコール・ランプ白鳥貫けり
 透明感のある詩情と微かなエロスの場に〈私〉を強く打ち出す作風で、おそらく俳句王道の本格俳句とはかなりずれるものだろう。本格俳句とは集中で老成すら感じさせる村上鞆彦の「棺桶の畳つづきの冬野かな」のようなものと思われる。小澤實は田中について「花鳥諷詠からは一番遠い作者」と評したそうである。さもありなん。しかし田中の句の立ち上げる詩情は素晴らしく、鉛筆で丸を付けていたら丸だらけになってしまった。まだ句集がないようで、まとまった句を読むことができないのが残念である。句集刊行が待たれる。
 集中で句界のプリンスの風情を漂わせる高柳克弘については、別の稿で論じたい。また今年の年末を目途に、同じ選者によるU50の『超新撰21』の刊行が準備されているようで楽しみだ。短歌の世界では2007年に『太陽の舟 新世紀青春歌人アンソロジー』(北溟社)が刊行されているが、それほど話題を集めたとも思われない。短歌界でも若手新人にもっと光を当てる企画が待たれるところである。