第64回 齋藤芳生『桃花水を待つ』

聖典を我は持たねば菊花茶をまるき茶碗にひらきゆくのみ
              齋藤芳生『桃花水を待つ』
 聖典とはイスラム教のクルアーン(コーラン)をさす。作者は訳あってイスラム圏の国に住んでいるのである。異郷に暮らす日本人の常として、言語・文化・宗教のちがいに孤独感を感じている。殊に自分は聖典を持たない、つまり確固たる信仰がないという点に彼我の深い溝を痛感する。菊花茶は中国茶の一種で、乾燥させた菊の花が入っており、湯を注ぐと花が茶碗の中で開くという趣のある茶である。お茶は軽くて保存が利くので海外生活に持参しやすいし、中国人は世界の至る所にいるので中国食品は手に入りやすい。作者は宿舎の自室で一人菊花茶を淹れているのだろう。茶碗に浮かぶ菊の花は日本の喩であり、また開く花と信仰の不在とが鋭い対比をなしている。
 齋藤芳生よしきは1977年生まれで、歌林の会に所属。2007年に「桃花水を待つ」50首で第53回角川短歌賞を受賞している。『桃花水を待つ』は受賞作を含む第一歌集。跋文は川野里子。桃花水とうかすいとは、桃の花の咲く時期に起きる川の増水を意味するという。水への思いが溢れた歌集である。
 歌人としての齋藤には二つの核がある。故郷福島と日本語教師として暮らしたアブダビである。本歌集は福島とアブダビを二つの焦点とする楕円のような構成をなしている。
 ふるさとの川の濁りに羽化したるカゲロウは吹雪よりも激しき 
 鼻濁音濃く残しいる女子校に高村智恵子も我も通いき
 体温の高き生き物ふくふくと鳩は廃ビルに巣をかけ殖える
 残雪は兎のかたち春まだき吾妻小富士を飛び越えて消ゆ
 待つことはもう止めている自転車は絡みつくへくそかずらも解かず
 角川短歌賞を受賞した連作から引いた。「カゲロウ」「吹雪」「残雪」「吾妻小富士」などに色濃い地方性が感じられる。作者は故郷福島に愛着を感じているのだが、五首目に見られるように、どこにも行けないという若者特有の不全感も抱いている。角川短歌賞受賞の連作ではこの不全感はそれほど前面には出ず、わずかに感じられる程度なのだが、受賞時にはすでに勤めを辞めてアブダビに赴任することが決まっていたという。
   故郷は離れてこそ郷愁が深まる。アラブ首長国連邦の首府アブダビに暮らす作者には、そのことが痛いほど感じられたにちがいない。異郷も異郷、日本とは対極的な炎暑と砂漠の土地である。歌集第一部の故郷詠は助走であり、第二部は海外詠で占められている。
簡潔な水の変化よ朝方の窓を開ければ眼鏡が曇る
水彩よりも油彩の似合うアブダビの炎天の街の香り高き花
ガーベラの茎も待つなり週に一度宅配さるるオアシスの水
子沢山の国にしあれば子らの着る白き民族衣装のひかり
粉のように細かき砂の紛れ込む台所何度拭いてもひとり
吹き終えてすべての風が眠る場所なれば砂漠に瞳を閉じてみる
 異国で暮らして初めて気づくのは、日本との湿度と光の差である。日本は温帯モンスーン気候帯に属するので、特に夏は高温多湿であるが、アブダビは高温の乾燥地帯である。極端な小雨で湿度が引くく、日中の光は強烈なはずだ。そんな気候でも一日の変化はあり、朝方はたぶん海からの風で湿度が高いのだろう。だから一首目で詠まれているように、外気で眼鏡が曇るのである。また植相のちがいも目につきやすい。日本の草花は色も淡くかそけき花が多いが、熱帯地方の花の色彩は強烈である。だから水彩より油彩ということになる。土地と気候の差に細やかに気づくこのような歌が並んでいる。
 しかし最も大きな驚きは砂漠だろう。砂と砂漠を詠った歌が多くある。サン・テグジュペリも言っているように、砂漠は人を瞑想的にするようだ。どこかに内省を誘うものがあるのだろう。短歌と砂漠と言えばすぐに頭に浮かぶのが三井修の『砂の詩学』(1992)という先例である。
髪の根に砂を溜めつつ街に来て市場スークにオレンジ一キロを買う 
                          『砂の詩学』
街抜けて砂漠に入ればおおいなる風の道ありて風が響めり
暮れなずむ砂漠を流れゆく砂に人界の白き紙もまじれり
「歌詠みに砂漠は合わぬ」簡潔に書かれし文にひとひこだわる
 商社マンだった三井は中東の砂漠地帯で多くの年月を過ごした。四首目にあるように、緑の多い日本で湿り気を帯びた花鳥風月を詠ってきた和歌・短歌に、苛烈な乾燥砂漠地帯はいかにも異質である。三井自身もこんな土地で歌が作れるのかと自問したにちがいない。それでも歌を作ってやるという矜恃から生まれたとしか思えない。三井の人と自然を見つめる確かな目が生み出した成果と言えよう。
 さて齋藤の場合はどうかと言うと、やはりここは年齢と人生経験の差からか、齋藤がこだわるのはどうしても自分ということになる。異国の土地で暮らす寄る辺のなさが斎藤が歌を汲み出す井戸であり、また歌が異郷の暮らしの支えになったと思われる。
濁ったまま海まで流れて行きたくはなくて、故郷の川のようには
この国に蒔かれたる我は種子として雨を待ちつつ午睡より醒む
旱天に砂まみれなる私の矜恃を保つために飲む水
 歌集第三部には日本に帰国してからの歌が収められている。異郷を見た後で故郷を見る目は当然ながら変容している。それが旅の意味と言えよう。
ナツメヤシの実などを土産に見上げればやわらかなりき故郷の雨は
にっぽんは「甘さひかえめ」が過ぎたれば皆口角が下がりいるなり
久々に見れば不可思議にっぽんのランドセルはどうして赤いのか
 私も日頃から甘さ控えめがよいのなら菓子など食うなと思っているのだが、アラブ圏の菓子は油と蜜をたっぷり使った物が多くて、歯に沁みるほど甘い。これに慣れて日本に帰国したら、日本の菓子など甘さがないも同然だろう。また小学生がみんな赤や黒のランドセルで通学するのも、日本ならではの光景である。故郷をこのような目で見つめる齋藤にとって、桃花水を待つとは川の増水のように新しい自分へと押し出してくれる何かを待つ心が題名にもこめられているのだろう。
 作者は日本語教師という職業柄、耳が言葉に敏感になる。言葉を主題とした歌にも着目した。
ふるさとの方言地図を縦に割り私の声を湿らす川は
滅びゆく方言あれば盛りゆく方言ありて地図の凹凸
「オハイオウ」が「おはよう」になる瞬間を見し日本語の授業、二回目
くしゃみしそうな顔で見ているカタカナで名を書かれればくすぐったいか
 作者は二重に言語の境界を感じたはずだ。まず東京に出た地方出身者として方言と標準語の境界、そして海外に赴任してアラビア語と日本語の境界である。上に引いた歌はその境界意識から生まれた歌だが、貴重な経験をした歌人としてもう少し深く掘り下げてもよいテーマではないかとも感じた。
 さて、自己に不全感を抱いている人は何らかの方法で自己拡大を図る。それには大きく分けて二つの方法がある。地理と歴史である。空間軸と時間軸と言ってもよい。齋藤が選択したのは空間軸の方である。若い人にはこの選択肢がよく選ばれる。気になるのは最近もう一つの時間軸という次元を選ぶ人が少ないことだ。この意味で最後に、齋藤が角川短歌賞を受賞した折に佳作に選ばれた岩田憲生(玲瓏、1947年生)に触れておきたい。
朱鳥あかみとり元年のことおとうとの屍をまへに姉は泣き伏す
父帝の愛を求めて愛されず伊勢の能煩野のぼのに身をほろぼせり
一葉の烏賊墨セピアにゑまふ童顔の守銭奴シャイロックこそわが祖父なりき
ターナーの水といへどもそのひかり炎群なしつつ帆船かしぐ
黄色わうじきにわがまなうらを炙りけるゴヤ晩年の射玉ぬばたまの家
 一首目の朱鳥元年のこととは大津皇子の事件をさす。二首目はヤマトタケルである。三首目のシャイロックはシェークスピアの「ヴェニスの商人」、四首目のターナーはイギリスの風景画家、五首目の家はゴヤが晩年を過ごした家で、我が子を食らうサトゥルヌスなどの「黒い絵」が壁に描かれている。岩田が古今東西の文学・絵画・音楽に親炙し、想像力によってその広い世界を逍遙しているのは明らかである。このように体験と写実ではなく、想像力によって自己を拡張する方法もあるのだ。岩田は「玲瓏」所属で1947年生まれなので、流派も年齢も齋藤とはずいぶんちがう。しかし空間軸のみによる自己拡大には限度がある。一方、時間軸によるそれは無限である。こう言うと若い人には「また古典を読めですかぁ」と言われてしまいそうだが、「つるつるのゴーフル」(by穂村弘)にならないためには、私たちの背後には膨大な時間が流れていることを知るしかないのもまた事実なのである。