第71回 大木あまり『星涼』

真桑瓜戦時の父の手紙かな
       大木あまり『星涼』
 若い人はもう真桑瓜マクワウリを知らないかもしれない。果皮が薄黄色か白色の瓜である。現在ほどさまざまなメロンの品種が出回る以前、口に入る瓜類はこれしかなかった。だから掲句は昭和のノスタルジーを感じさせる。真桑瓜は夏の季語だから、季節は夏である。昭和の夏の事件といえばヒロシマ・ナガサキの原爆と終戦記念日だろう。これに盂蘭盆会も加わる。夏は鎮魂の季節である。庭先で真桑瓜を食べながら、古い箱から父親の手紙を取り出して読み返している。戦時中に出征先から家族に送った手紙である。
 この父とは詩人の大木惇夫である。大木惇夫は1941年に招集を受けて、ジャワに配属されている。敵前上陸の際に乗艦が魚雷攻撃を受け、九死に一生を得たという。大木惇夫はなかんずく「戦友別杯の歌」で記憶されている詩人である。俳優の森重久彌はこの詩をことに好み全編暗誦したと聞く。
言ふなかれ 君よ、わかれを、
世の常を、また生き死にを、
海ばらのはるけき果てに
今や、はた何をか言はん、(後略)
 戦後、大木惇夫は戦争協力文学者のレッテルを貼られ、不遇のうちに1977年に没している。私は学生時代に男声合唱をやっていたので、大木惇夫の詩は馴染みが深い。男声合唱の作曲家として神様的存在の多田武彦が大木惇夫の詩を好み、合唱曲をいくつか残しているからである。たとえば「雨の日に見る」がそうで、今でも詞も曲も全部覚えている。
冬、ほのぐらい雨の日は
朱欒ざぼんが輝く、
朱欒が
これは目をひらいて見る夢なのか。

街燈は ぬれている、
泥靴は喘いでいる、
風は雀をふっ飛ばしている、
人間の後ろ姿はいそいでいる、
歌は絶えている、
電線は攣っている、
枯木はふるえている、
わたしの身体は凍えている、
わたしは祈りをわすれている、
そうして、わたしはただ見る、
ほのぐらい雨の影のなかに
ぽっかり朱欒が浮かぶのを 輝くのを。
 俳人大木あまりは大木惇夫の実娘である。本業は画家のようだが、母親に勧められて俳句を始め、「河」で角川源義に師事している。その後、「人」「夏至」「古志」などを経て、現在は無所属。石田郷子らと同人誌「星の木」を立ち上げて、主にそこを発表の場としている。
 『俳句という遊び』(岩波新書 1995)の中で小林恭二は大木を評して、「ひと言で言って絢爛と呼びたいような書きぶり」であり、「どこにでもあるような言葉も、一旦彼女の手に触れられると、内面に持っていた色が解放されて、見たこともない鮮やかな光沢を放ち始めるのである」と書いた。『星涼』は第五句集で、大木はこの句集により読売文学賞を受賞している。版元のふらんす堂では重版がかかっているようだ。句集では珍しいことである。
 さて大木の作風は有季定型である。現代俳句の中には、遠く離れた言葉を結合させて、言葉と言葉の軋みが火花のように生み出す美を追究するような作風もあるが、大木の俳句はこのような立場からはほど遠い。どこまでも言葉の配列に無理がなく、抽象語は極力避けて日常の自然な言葉から作られている。新人の注目株である神野紗希は、特に好む俳人として大木と正木ゆう子を挙げているが、わかる気がする。
盆のもの引きつつ早き潮かな
赤梨を振るやかすかに水の音
新宿はひつそり木の実降るところ
逝く夏や魚の気性を玻璃ごしに
毒の針しづかに立てて貝の秋
 一句目の「盆」は盂蘭盆会で夏の季語。「盆のもの」は精霊流しか、小さな舟に供物を入れて流すものをさす。それが海に出て引き潮に乗って流されていく様を詠んだもの。この世に戻って来た故人の霊との再びの別れの時である。「引きつつ」が効いている。二句目の「赤梨」は豊水や幸水などの名で知られる果皮が赤茶色の梨のこと。もちろん秋の季語である。梨を振ったところでほんとうに水の音がするわけではない。しかし梨はことに果汁の豊富な果実であり、詩的誇張として納得できる。三句目、新宿のような大都会にも公園や民家の庭先に実のなる木はある。しかしそれに気づく人は少ないので「ひつそり」なのだろう。身めぐりの日常に寄せる細やかな視線が感じられる句である。四句目、「魚の気性」とあるが、「糞引いて闘魚あらそふ夜明けかな」の句もあり、どうやら水槽の中で飼われているのは闘魚らしい。五句目、貝の中には確かにサキシトキシンという毒を持つものもあるが、毒針を立てる貝は寡聞にして知らない。しかし秋の浜辺で静かに毒針を立てる貝というのは美しい心象風景である。
 大木が俳句に手を染めるきっかけとなったのは自身の病らしい。俳句と病気には深い縁があり、それこそ正岡子規の脊椎カリエスに始まり、松本たかしの神経衰弱、住宅顕信の白血病など枚挙に暇がない。病気と死は大木にとって親しい主題である。
花の種柩に入る約束を 
百合の柩閉めても百合の匂ひけり
願わくは滴りこそを死水に
病歴に似てながながと蛇の衣
笹粽家にて死ぬるつもりなし
わが死後は空蝉守になりたしよ
星涼しもの書くときも病むときも
 例えば二句目、死者を見送るために柩に百合の花を入れたのだろう。出棺を迎えて柩を閉じても百合の香りが匂うという描写は鮮烈である。季語は百合で夏。三句目の「滴り」は、岩や苔から滴るしずくをいい夏の季語である。滴りこそを我が死に水にしたいという美しい覚悟の句。しかしこのように病気や死を詠んでも、大木の句は悲愴感や虚無感とは徹底的に無縁である。意のままにならぬものがありながらも世界を静かに受け入れて、対象をありのままに見つめる眼差しがある。
愛猫は火薬の匂ひして月夜
さより食うて血の一滴まで詩人 (注)
見つめあふことかなはざる雛かな
口笛やあの日も水に花びらが
水馬つるむや影のなきごとく
 大木は愛猫家として知られており、猫はよく登場する主題である。火薬の匂いというところに危険な香りがする。二句目は塚本邦雄を詠んだ句かとも思うのだがどうだろう。さより・独活・牡蛎は塚本が特に好んだ食材である。本句集には雛の句も多い。男雛と女雛は並んで正面を向いており、決して見つめ合うことがないというのも、言われて初めて気づくことである。四句目は珍しくやや主観に流れた句だが、「口笛」が郷愁を誘い淡い記憶の場面のようである。五句目の「水馬」は「みずすまし」と読み、アメンボのことで夏の季語。アメンボの軽やかさを捉えて間然とするところがない。
 最後にもう一句。
死ぬまでは人それよりは花びらに
 「花びら」とはもちろん桜の花びらのことである。言葉のなだらかな配列にまったく無理がない。高い技巧をもってして初めて可能なことである。大木の俳句では中心に季語があり、かといって他のすべてが季語に奉仕するというのでもなく、言葉の中で季語が生きている。一読して世界が更新されるような気がするところに、優れた短詩型文学の醍醐味がある。そんなことを思わせてくれる句集である。

(注)「さより」は原文では魚偏に「箴」と書く漢字だが表示できないのでご容赦いただきたい。