012:2003年7月 第3週 水の歌

つつましき花火打たれて照らさるる
   水のおもてにみづあふれたり

        小池 光

 まだ梅雨が明けないが、気温はもう初夏である。夏が来ると水を感じる。夕立が来て、ほてった道路に雨が落ちると、少し日向くさい水の匂いがする。船のデッキを洗うと、木と水の混じった匂いがする。夏の思い出は、水の記憶と結びついている。

 水は地球上でもっともありふれた多量に存在する物質であり、私たちの体の70%は水でできている。水は私たちの外にも内にも等しく存在するのである。短歌でも水はさまざまに詠われていて、印象に残る歌が多い。

 掲載歌には水という言葉が二度出てくる。短歌で同じ言葉を繰り返すときには、一度目は漢字で、二度目はひらがなでというのが作歌の常套手段である。繰り返しによる単調さを避けるためであろう。しかし小池の歌では、漢字とかなのちがいにはもう少し深い意味があるようだ。『岩波現代短歌事典』でこの歌を取り上げた加藤治郎によれば、漢字の「水」は「闇のなかで意識の奥に後退していた水」で、かなの「みづ」は「花火に照らされたとき、はじめて眼前にリアルに」現われた水だという。場面はたぶん花火をしている河原か何かであり、目の前が川だとは知っていても、暗いので見えないのだ。「水」はそこにあることを私が知識として知っていたものであり、概念としての水である。しかし、花火の光が照り映えることにより、そこに目に見えるものとして「みづ」が現出する。光を反射することで、はじめて自らの存在を開示するという水の性質がそこにある。それを「水のおもてにみづあふれたり」と表現するのが、小池の短歌技法の冴えである。

  *   *   *   *   *   *   *  

 他界より眺めてあらばしづかなる
      的となるべきゆうぐれの水

                 葛原妙子

 あちこちで引用される「幻視の女王」葛原の代表作のひとつである。水原紫苑は、水はいのちの源、生の証であり、自分がこの世に存在する事実を映し出す鏡であるため、死の国の魔手か狙う恰好の標的となると読み解いている。小池は、雨上がりの水たまりを見ているだけの歌だと、そっけない。作者自注によれば、フライパンの底に水が溜まっているのを見て思いついた歌だということだが、そこから「他界より眺めてあらば」という発想を引き出すところが、幻視の女王たるゆえんである。

  *   *   *   *   *   *   *  

 水につばき椿にみづのうすあかり
     死にたくあらばかかるゆふぐれ

             松平修文『水村』

 偶然だがこの歌でも水は二度、それも漢字とかなの順番で現われている。おまけに椿も同じように二度登場し、今度はかな・漢字と逆の順番だから、いっそう手が込んでいる。水と椿が漢字とかなを交代しながら交錯するところに、音だけでなく視覚にも訴えるリズム感が生まれる。作者の松平は日本画家・美術評論家で、幻想的歌風を得意としているが、掲載歌には少し退廃的なはやり歌のような趣があり、一読すると忘れられない味わいがある。また上の句の「うすあかり」は、久保田万太郎の絶唱「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」を思い出させる。松平には水を詠んだ歌がたくさんあり、気に入りの題材だったらしい。自身の歌集の題名も『水村』である。そういえば、荒川洋治の詩集にも『水駅』というのがあった。『水村』からいまいくつかの歌を引く。

 水の辺にからくれなゐの自動車 (くるま)来て烟のような少女を降ろす

 床下に水たくわへて鰐を飼ふ少女の相手夜ごと異なる

 *   *   *   *   *   *   *   *

 背にひかりはじくおごりのうつくしく
         水から上がりつづけよ青年

         佐藤弓生『世界が海におおわれるまで』

 この歌では水は松平の歌のように人を死に誘うものではない。プールから上がる青年の背中に煌めく水は、青年の生命力を輝かせるものである。水は器の方形に従うというが、場面によって死の象徴とも生のシンボルともなる。人は水から上がり続けることはできないのだが、この歌のようにそう命令されてしまうと、まるで録画の同じ場所を何度も再生して見ているような錯覚を起こすところがおもしろい。

 *   *   *   *   *   *   *   *

 最後にこれも美しい水の歌を。ここでも水という言葉が二度使われていて、ここまで来るととても偶然とは思えない。水にはそのような歌い方を誘う何かがあるのだろうか。

 水風呂にみずみちたればとっぷりと
        くれてうたえるただ麦畑

              村木道彦『天唇』

水風呂が一杯になり、外には夕暮れの麦畑が拡がっているというそれだけの光景を詠んだ歌だが、静かな童話的とも言えるリズム感が残す印象には忘れがたいものがある。名歌と言えよう。この歌は村木の歌壇デビューとなった『ジュルナール律』第3号(1965)に掲載された「緋の椅子」10首に含まれていた歌である。