023:2003年10月 第4週 歌集の題名について、知っている二・三のことがら

 昔ならレコード、今ならCDの買い方のひとつに「ジャケ買い」というのがある。ジャケとはジャケットの略で、収録された楽曲の内容ではなく、レコード・CDのカバージャケットの写真やデザインに惹かれて買うことをいう。本を買うときにも似たようにことがあって、カバーのブックデザインは買うか買わないかを決める重要な要素である。だからこそあれほど装丁に手間とお金をかけるのだ。

 本の場合にはもうひとつ大事な要因がある。それは本のタイトルである。「ジャケ買い」になぞらえて言うならば、「タイトル買い」とでも言えそうな買い方があって、何を隠そう、私はけっこうタイトル買いをする方だ。例えば最近では、西崎憲『世界の果ての庭』(新潮社)、ローレン・アイズリー『星投げびと』(工作舎)などはタイトル買いした本である。

 自分が惹かれるタイトルにはある傾向があって、私はどうも名詞ではなく文のかたちをした長いタイトルが好きなことに気が付いた。たとえば、西谷修『夜の鼓動にふれる』(東大出版会)は、社会学者による戦争論だが、見たとき何ていい題名なのだろうとほれぼれしてしまった。村上春樹も長いタイトルをつけるのが好きなようで、『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(平凡社)、『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社)、レイモンド・カーヴァーの翻訳『ぼくが電話をかけている場所』(中央公論)、『必要になったら電話をかけて』(中央公論)、『愛について語るとき我々が語ること』(中央公論)、『月曜はいやだとみんな言うけれど』(中央公論)もじつにうまい。技ありという感じである。

 タイトルに凝るので知られていたのはヘミングウェイで、いつも手帳には思いついたタイトルの候補が並んでいたという。『武器よさらば』 A farewell to arms、『男だけの世界』 Men without women、『移動祝祭日』 A movable feast、『午後の死』 A death in the afternoon、『川を渡って木立のなかへ』 Across the river into the trees など、みんないい題名ぞろいである。

 さて、歌集の題名だが、昔の歌集は二文字の題名が多いようだ。斎藤茂吉を見ると『赤光』、『白桃』、『暁紅』、『寒雲』と並んでいるし、斎藤文は『魚歌』、『暦年』、『朱天』と来て、後年になってやっと『風に燃す』、『渉りゆかむ』とやや長く散文的な題名が登場する。歌集の題名にはふくらみと余韻のある雅語・詩語を選ぶという美学があったので、いきおい漢語二文字が多くなるのだろう。今でも短歌の世界ではこの傾向が強いようだ。

 私が好きな歌集の題名を並べてみよう。最初はどうしても文の題名が並ぶ。

  岡井隆『土地よ、痛みを負へ』

  春日井建『行け帰ることなく』

  平井弘『顔をあげる』

  杉山隆『人間は秋に生まれた』

  山崎方代「陽のあるうちに飯をすませて」

 最後の山崎方代の題名は、歌集ではなく合同歌集に収められた連作のタイトルなのだが、まるでヘミングウェイの『川を渡って木立のなかへ』 のようだ。中身が日常卑近なところもいかにも方代らしくてよい。岡井と春日井のタイトルは、どちらも命令形になっている。命令形のタイトルは、昂揚感を煽るという特徴があり、岡井の歌集が出版された1961年という政治的に昂揚した時代を感じさせる。こういう風に、自己を社会に開く緊張感に満ちた題名は、みんなケータイの私的空間に閉じこもり、「仲間以外はすべて風景」という今の時代にはつけにくいだろう。

  寺山修司『空には本』 

  高野公彦『汽水の光』

  松田さえ子『さるびあ街』

  松平盟子『帆を張る父のように』

  山田富士郎『アビーロードを夢みて』

  小池光『廃駅』

  小池光『バルサの翼』

 小池の『バルサの翼』にあるバルサは、模型飛行機に使われる柔らかい木材である。模型飛行機には軽くてよいが、もちろん現実の飛行機を支えるだけの強度はない。この題名には、優しく傷つきやすいが、空に飛び立つだけの力のある翼を持たない自分を見つめる目が感じられ、そこにすでに内省的抒情がある。題名そのものに抒情があるというのはすごいことだ。しかし、小池の最近の歌集の題名は『日々の思い出』という人を食ったようなもので、何とかならないだろうか。

 こう並べてみると、みんなひと昔前の歌集ばかりで、最近のものがない。最近の歌集にはあまり惹かれるタイトルのものがないようだ。しかし、出色は佐藤弓生『世界が海におおわれるまで』、これはタイトル買いしてしまった歌集だが、内容もなかなかいい。ごく最近出た穂村弘と東直子の『回転ドアは、順番に』も好きな題名だ。

 最後に極め付きをひとつ。

  穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』

 これほどインパクトのある題名も珍しい。末尾のカッコ書きも「ウン?」と思わせ効果的である。あなたがこういう題名の歌集を手に取る気になるかどうかは、また別の話だが。