008:2003年6月 第3週 紀野 恵
または、言葉の織りなす世界への信頼

文に代へ碧瑠璃(へきるり)連らね贈り来し
       人によ夏の氷(ひ)の言葉遣る

             紀野 恵『架空荘園』
 蒸し蒸しする梅雨時を迎えたので、すがしい歌を一首。手紙のかわりに贈られて来たのは、ブルーのガラスでできたネックレスだろうか。ブルーという色も、瑠璃という語感も爽やかである。贈ってきたのは男性にちがいない。ところが受け取った本人は、「夏の氷の言葉」を返すという。夏の氷のように冷たい言葉というほどの意味か。短歌は「私性の文学」であり、主語が明示されていなくても、それは「私」に決まっている。この歌の「私」は、男性のファンと思われる人から贈り物を貰っても、氷のようにつれない言葉を書き送る驕慢な女性なのである。やすやすと異性になびかない誇り高さと、語法の古典的な高雅さの相乗効果が、クリスタルのような硬質の世界を作り出している。作者紀野恵の短歌世界を代表する歌である。

 紀野は1965年(昭和40年)生まれ。小池光・今野寿美・山田富士郎編『現代短歌100人20首』(邑書林)は、現代を代表する歌人100人を選び、生年順に並べるといういささか残酷な編集方針で作られたアンソロジーであるが、最年少の永田紅から最年長の浜田康敬までが並ぶなかで、紀野は前から14番目に位置している。若いのである。しかも、1982年で角川短歌賞次席に選ばれたのが弱冠17歳で、デビュー当時から天才の名を欲しいままにした人である。

 紀野の短歌の特徴は、年齢とは不釣り合いな新古今風の王朝的古典語法と、他に類を見ない歌柄の大きさである。

 あづま路は遠しさもあれこの度の内つ海さへ越えぬ夢路は

 約せしはあぢさゐ色の絵空事絵日傘さしていづちに行かむ

 片肺のすこし翳れる秋よそれ空を斜めに見てをりたるは

 傾けむ国ある人ぞ妬ましく姫帝によ柑子差し上ぐ

 白き花の地にふりそそぐかはたれやほの明るくて努力は嫌ひ

岡井隆は、紀野の天才を認めつつも、古典語法を駆使あるいは濫用する紀野ら「新古典派」をさして、「現代の奇景」(『現代百人一首』)と評した。塚本邦雄もまた、「警戒すべきは、稀用古語を頻用することと、そのための古典臭とも言うべき癖であろう」(『現代百歌園』)と苦言を呈しているのだが、紀野はそんな批評にまったく頓着せず、自らの路線を邁進しているところが確信犯的である。

 60年代後半から70年代にかけて登場した紀野の上の世代の男性歌人たちが、「微視的観念の小世界」(篠弘)に拘泥して「内向の世代」と呼ばれたのとは対照的に、紀野の短歌世界は「矮小化された私」にこだわらない大きな広がりを感じさせる。

 檸檬(リモーネ)が滴り白布薄染みをかこちがほなる夏ゆふまぐれ

 凍てし夜のふねにはりはり食みゐたる春菊サラダ薄く苦き生(よ)

 夢ぬちに繊月懸かりゐたりけり不確かに橋渡るありけり

『現代短歌100人20首』では、取り上げた歌人に「作歌信条を30字以内で書く」ことを求めていて、これがなかなか面白い。最年少の永田紅の「定型を信頼して作りつづける」という初々しいが優等生的なものもあれば、小池純代の「歌わなければからだにわるい」とか、小池光の「信条、そういうものはない」のように人を食ったものもある。一筋縄ではいかない人たちである。かと思えば村木道彦の「神も思想も信じない現代人の、人間自体に対する祈りが歌である」というしみじみしたものもある。紀野は、「言葉それ自体の持つ意味(世界の意味)をつかまえること」という言葉を信条として寄せている。ここには、「言葉それ自体の持つ意味」イコール「世界の意味」であるという、絶対的とも言える言語に対する信頼が感じられる。おそらく紀野にとって短歌とは、現実を写生するものではなく (アララギ派的リアリズムの否定)、日々の喜びや悲しみを託する器でもなく(反生活実感、私小説としての短歌の否定)、言葉によって世界を作り出す方法論なのである。

 最後に私が特に好きな歌をあげておく。

 ポケットに煙草を探す路地裏に点すときわづか掌のうちは聖

 天蓋はただいちにんのために在る花折る人の孤絶のために

 神も死にたまふ夜あらむ夏が死ぬ夕暮れ吾れは鳩放ちやる

 うるわしきそらとふものもあるものを黄金(くがね)の水をくみたまへまず

 わがうへに夏在るや今うたがひは青蕣(あさがほ)の如く発(ひら)かむ

 わうごんの花びら漬くる酒を賜べ半地下室にまよふ夕光(ゆふかげ)

紀野は夏の歌を作るときに、特にその技が冴え渡るような気がする。