089:2005年2月 第1週 今橋 愛
または、詩と地続きのゆるい定型感覚から繰り出される薄い空気の歌

手でぴゃっぴゃっ
たましいに水かけてやって
「すずしい」とこえ出させてやりたい

          今橋愛『O脚の膝』
 この短歌批評ではずっと掲出歌を二行書きにしている。しかし今回の今橋の歌は、もともと原文が三行書きになっていて、私が恣意的に区切ったものではない。この多行書きが今橋の短歌にとってはとても重要なのだということから話を始めたい。

 今橋のプロフィールは、大阪市生まれで京都精華大学卒業、24歳の頃から短歌を作り始めるとしか明らかにされていない。しかし、歌集巻末に著者近影が掲げられているので、若い女性であることはまちがいない。京都精華大学といえば、過去には現代短歌のフィクサー深作光貞が学長を務め、岡井隆が教授で上野千鶴子も教鞭を執っていた大学である。しかし、今橋はこのような伝統から生まれた歌人ではない。結社には所属せず、2002年に「O脚の膝」100首で北溟短歌賞を受賞している。審査員は穂村弘水原紫苑。2000年に短歌研究社が開催した「うたう作品賞」コンテストで候補作に残った赤木舞が今橋のペンネームであったことに気づくのに、少し時間がかかった。「うたう作品賞」候補作も『O脚の膝』にそのまま収録されている。

 さて掲出歌だが、改行が句切れに対応していると想定すると、6・7・6・7・8の34音でかなり定型から外れている。ひながなの多用と口語文体は、最近の若い女性作者にはよく見られるもので、特に珍しいものではない。掲出歌は多行書きになっているが、集中にはふつうの一行書きの歌もあれば、二行もそれ以上の歌も混じっている。試しに二行書きと、それ以上の多行書きの歌を一首ずつ引用しておく。

 濃い。これはなんなんアボガド?
 しらないものこわいといつもいつもいうのに

 わかるとこに
 かぎおいといて
  ゆめですか

 わたしはわたし
 あなたのものだ

 今橋はなぜ多行書きにこだわるのだろうか。短歌を一行書きにするのが決まりになったのは明治からのことで、それ以前の古典和歌の時代には多行書きがふつうだったようだ。色紙や屏風などに書くときには、散らし書きといって平面に分散して書くことによって、視覚的印象を追求する技法もあった。日本語は世界でも珍しい音節文字である仮名を使っているので、右から書こうが左から書こうがどちらでもよく、散らして書いてもかまわないという自在な特性がある。散らし書きは屏風などに描かれた絵と短歌の複合的意味作用をめざしたものだといえる。明治になって一行書きにするようになったのは、短歌を文学として美術から独立させたいという意図に基づくものだ。もしそうならば現在では約束事となっている一行書きではなく多行書きを採用するということは、短歌の一首としての屹立をめざすのではなく、逆に短歌をそれ以外のジャンルと融合させるか、少なくとも地続きのものとして捉えていることになる。今橋の場合は、明らかに詩と地続きである。だからこの歌集に収録された作品は、果たして短歌として読むべきか、散文詩として読むべきか迷うものが多い。

 上にあげたアボガドの歌にしても、「濃いこれは なんなんアボガド しらないもの こわいといつも いつもいうのに」と区切れば、三句が6音に増音されている点を除いて定型に近い。しかし句切れと改行が一致していないので、一読したときに定型感が希薄である。二首目の「わかるとこに」も初句の一音字余りを除けば定型なのだが、句ごとに改行されると印象は短歌より詩に近くなる。

 手をふっても
 またねといっても
 次にかおをみないと
 かおをみたいのです

 四行書きのこの歌にしても、「次にかおを」で句切れがあるのだが改行と一致していないため、改行に忠実に読むと短歌として読むことが難しい。今橋にあってはかくのごとく、定型感覚は希薄なのである。おそらく定型という意識そのものが今橋の頭にないものと思われる。

 今橋の短歌 (のようなもの) に好意的な評価をしている奥村晃作は、「短歌研究」2005年2月号の今橋を論じた文章のなかで、短歌が短歌として成立する条件をふたつあげている。

 その一 フォルムを遵守すること
 その二 レトリックが一以上あること

 奥村はこの基準に照らして、今橋の次の一首目は短歌だが、二首目は短歌ではなく四行詩だと結論づけている。

 たくさんのおんなのひとがいるなかで
 わたしをみつけてくれてありがとう   「ラーラぱど」所収

 「水菜買いにきた」
 三時間高速を飛ばしてこのへやに
 みずな
 かいに。

 奥村の第一の条件にある「フォルム」とは定型のことだとして、第二の条件にある「レトリック」はいかようにも解釈できる。奥村は上の一首目「たくさんの」にレトリックが認められる根拠として、「口語である」「新かな遣いである」「ひらがな書きである」「句跨りがある」「字余りがある」をあげているが、これはどうだろうか。狭義のレトリックとして認められるのは「句跨り」くらいのもので、それも今橋の場合は意図的なレトリックではなく、結果として句跨りになったと見るほうが自然だろう。奥村はいささか今橋を買い被りすぎではないだろうか。ちなみに奥村が「短歌である」と認定した上の一首目はつまらないが、「短歌ではない」と認定された二首目のほうがずっとおもしろい。三時間高速を飛ばして水菜を買いに来るという設定そのものの荒々しさが、青春の一途さの喩として読める上に、最後の「みずな」「かいに」を平仮名書きして改行することによって、つぶやくような口調のなかに青春の傷つきやすさがせつないほど表現されている。水菜を手に握り締めて部屋の中に立っているイメージの結像力は抜群である。今橋のレトリックはここにこそ発揮されていると言うべきなのである。

 「うたう作品賞」コンテストと同じ号で、穂村弘は「棒立ちのポエジーと一周回った修辞のリアリティー」という議論を展開し、「棒立ちのポエジー」の例として次の歌を挙げている。

 あの人が弾いたピアノを一度だけ聴かせてもらったことがあります  加藤千恵

 そこにいるときすこしさみしそうなとき
 めをつむる。あまい。そこにいたとき               赤木 舞(今橋 愛)

 この変なドキッという感じの衝撃は巨大イカを知った時と似てる   脇川飛鳥

 穂村のいう「棒立ち」とは、近代短歌のレトリックがまるで使われておらず、ただ五・七・五・七・七の音数に合わせて言葉を並べただけのように見える歌のことである。「棒立ちのポエジー」派とは、意図して棒立ち歌を作っているわけではなく、それだけしか作れない「天然」の人を意味する。それに対して、「一周回った修辞のリアリティー」というのは、短歌的修辞を用いた歌も作れるのだけれども、あえてそれを避けて無防備な棒立ち歌を作る人のことである。徒競走で一周遅れの走者が先頭の走者と並んで走ることがあるように、「棒立ちのポエジー」派と「一周回った修辞のリアリティー」派は、一見すると区別できないような歌を作るという趣旨の議論である。

 穂村の判定では今橋は「棒立ちのポエジー」派に分類されている。後世になって過去の事例を断罪するのはルール違反であることを承知で言えば、穂村の判定は見事に外れていたと言うべきだろう。今橋は決して「棒立ちのポエジー」派ではなかったのである。そのことは『O脚の膝』所収の短歌 (のようなもの) が証明している。ただ今橋の作歌のスタンスが、短歌定型を守ることなど頭から考えておらず、多行書きの散文詩と地続きの、単なるスタイルのひとつ程度の意識に基づいていたということなのだ。穂村は「こんなふうにしてもいいよね」というゆるいジャンル意識を読み切れなかったのだろう。要するに、穂村は短歌にこだわりがあり、あくまで短歌のフィールド内で論じているが、今橋にはそんなこだわりは微塵もなく、よそのフィールドに勝手にはみ出していたということだ。

 穂村は『O脚の膝』の栞文のなかで、今橋の短歌(のようなもの) の特徴を次の三点にまとめている。

 a. 5W1Hに関する具体的な情報の欠落。
 b. 多行書きやランダムな旧仮名遣いや時制の混乱や文法からの逸脱を含む直感優位の言語操作。
 c. 言葉の単純さ。

このうち b. は「いろいろやってみる」という現代短歌と現代詩に共通する志向であるから、特に異とするには当たらない。a. に関してここでは特に指示詞のコ・ソ・アに注目してみたい。というのも指示詞は、話し手(書き手)と聞き手(読み手)の共通の了解を基盤に成立するものだからである。

 上にあげた赤木舞名義の「そこにいるとき」の「そこ」がどこをさすのか、作者だけが知っていて読者は知りようがない。これが今橋の典型的な指示詞の使い方である。

 おでこからわたしだけのひかりでてると思わなきゃここでやっていけない

 慣れすぎてやさしかった。あのへやに
 いつものようにあんなボサノヴァ

 もうちがうものになってる?
 太陽が。
 あのひあんなにまぶしかったのに

 一首目の「ここ」、二首目の「あの部屋」「あんなボサノヴァ」、三首目の「あのひ」はいずれも指示対象が読者にはわからないように使われている。これをよく知られた次の歌と比較してみよう。

 あの夏の数かぎりなきそしてまたたつたひとつの表情をせよ 小野茂樹

 小野の「あの夏」と今橋の「あのひ」は決定的にちがう。この差が近代短歌と今現在の短歌をへだてる差である。小野の歌でも「あの夏」がどの夏をさすのかという説明はないが、この歌が相聞歌でありまた恋が終った後の歌であるという歌意を踏まえれば、「あの夏」が私と恋人の恋がいちばん輝いていた夏だということは読者に了解されるように作ってあり、それが作歌と読みの約束事として成立していたのが近代短歌であることは言うまでもないことだろう。今橋の「あのひ」はこの約束事を軽やかに蹂躙している。ここから引き出すことができる結論は、次のふたつのどちらかである。

 その一 今橋のような作り方をする短歌は、作者と読者を結ぶ読みの回路を最初から無視しており、作者が作って満足すればいいという自己充足的短歌である。

 その二 今橋のような作り方をする短歌は、特化されるような感情や意味を伝えるものではなく、意図的に意味を曖昧にし措辞を攪乱することをひとつの技法に昇華し、読者の心の水面に正体のわからない波紋を広げることのみをめざした歌である。

 さて、どちらの結論が正しいのだろうか。私としてはその二が正しいことを願うばかりである。

 最後に印象に残った歌をあげておこう。

 きめたのでしんだひとですはなのなか
 こどもみたいにでてきたらこまる

 そのくちはなみだとどくをすいこんでそれでもかしこい金魚でしょうか

 きのう家。
 軽くこわれて かあさんは
 こんな日にだけ むらさきのしゃどうを

 ぼくは流す
 やさしいオンガク空のほう
 人生のリセットボタンおすとき

 一首目と二首目は童謡風の怖さがひらがな書きによって強められており効果的である。三首目は家庭崩壊を詠んだものと思われるが、この歌にも冷たいコワさがあり、今橋の個性は案外こういう所に表れているのかも知れない。四首目は若い世代を特徴づける「セカイ系」のゲーム感覚がよく現われている。早坂類や佐藤りえの短歌を読んでいても感じることだが、若い世代の作る歌にはまるで世界の終末に立ち会っているような空虚感が濃厚に漂っていて、息苦しくなることがある。その理由は短歌の世代論として一度真剣に論じてみる必要があるのかもしれない。