088:2005年1月 第4週 浜田蝶二郎
または、垂れ下がる二本の腕は満天の星の下に

垂直線もて天頂と結ばるる
    夜にポロシャツをまとへるが我

       浜田蝶二郎『からだまだ在る』
 私は二本の腕を垂らして、静かな夜の中に立っている。直立する私から垂直線を真上に引くと、そこは遙かな高みの天頂である。地上に立つ私は、痩せた身体にポロシャツをまとった卑小な存在にすぎない。天頂へと続く想像上の垂直線が視線を導く天球の広大さと、地上に立つ私の卑小さとの鋭い対比、天空の永劫と私の須臾の対比が際立つ。写実でもなく暗喩でもなく、事実を事実としてゴロリと投げ出すなかに、〈私〉が世界に対するときのスタンスが明確に刻印された歌と言えよう。

 浜田蝶二郎は1919年(大正8年)生まれで、2002年没。小・中学校の教員を長く勤め、歌誌「醍醐」編集委員長。歌集は計8冊を数え、『からだまだ在る』は第7歌集に当たる。私は「歌壇」2004年5月号の特集「最近、おもしろい歌集を読みましたか」で、三枝浩樹が浜田の遺歌集となった『わたし居なくなれ』を紹介しているのを読み、初めて浜田の名を知った。『からだまだ在る』は1997年、浜田76歳のときの歌集である。『現代短歌辞典』(三省堂)の記事によれば、幼少より病弱で若くして肺結核を病み、そのため生と死に思いを寄せ、実存的思索を深めたという。例えば次のような歌が並んでいる。

 現象に過ぎざる我かふくみたる茶を呑みくだしなどもして

 ここにわれ投げ出されあるといふ不思議老骨きしむことは無けれど

 身の嵩(かさ)は消ゆるものにてまだ消えずバスタブの湯をあふれさせたり

 この両手袋さぐれど終はるとき持つといふことその他も終はる

 燃え続けをらねばならずある日ふと何ものか火をつけられしゆゑ

 公園のベンチにもたれ「現在」を去らせ「現在」をもらひ続ける

一首目の「私は現象に過ぎない」という認識は、現象が終れば私もまた終るということを意味する。須臾の間の現象が茶を呑んでいる〈私〉とは何かという問い。これは「ほんとうの私」を模索して彷徨する若者の抱く問いとは次元を異にする、遙かに存在論的な問いである。浜田の真骨頂はこのような存在論的思索を、身体を通して発見するところにある。二首目は、「われわれは故なくこの生に投げ出されている」という存在論的不条理の感覚を、下句の「老骨きしむことは無けれど」という老人のつぶやきが受け止めている。そこに軽みがある。三首目のポイントは、この身はいずれ消えてなくなるという〈知識〉と、バスタブに満ち溢れた湯に浸かっている〈感覚〉との乖離だろう。感覚は遂に知識に追いつけず、死とは実感できないものだという認識がここにある。四首目も袋のなかを手でさぐるという具体的な身体感覚と死との隔たりがテーマだが、この両手を持つということも終るという感覚が斬新である。五首目に詠まれているのもまた存在論的不条理だが、浜田の思想は神なき世界の不条理ではなく、私をこの世に投げ出した超越者をどこかに感じているようだ。六首目は時間の不思議を詠ったもので、私たちはたちまちに過ぎ去る「現在」を生きることしかできず、「現在」という檻のなかに捕われていると見ている。このように浜田の短歌はきわめて思想的・哲学的な歌なのだが、それを短歌技法としての喩に訴えることなく、身体感覚を通して詠っているところに特徴があると言えるだろう。

 生老病死は短歌の永遠のテーマであるから、自らの死を間近に意識した老境の歌は決して少なくない。

 彼の世より呼び立つるにやこの世にて引き留むるにや熊蝉の声  吉野秀雄

 死ぬるときああ爺ったんと呼びくれよわれの堕地獄いさぎよからん  坪野哲久

 肉叢は死にはんなりとひつそりと水のくちびるを受けやしぬらむ  河野愛子

 疲労つもりて引出ししヘルペスなりといふ 八十年生きれば そりやぁあなた  斎藤 史

 吉野の歌は心臓発作の危篤状態から脱した時の歌で、生死の境を彷徨った後の仏教的達観の趣がある。プロレタリア短歌の闘志として戦った坪野の歌は、晩年になっても威勢がよい。河野もまた病気に苦しんだ歌人だが、この歌には清明な死生観が滲み出ている。斎藤は自らの老いをあからさまに、やや露悪的に詠っている。

 しかしこれらの歌と比較したとき、浜田の短歌は一般に流布したイメージの「老境歌」に回収できないものがある。収録された歌のなかには死への怖れを詠んだものがほとんどなく、自らの存在の消滅を必定の理としてむしろ歓迎する歌もある。

 もらひたる「現在」をお返しして終へんわが色に染めて持つ「現在」を

 とりたてて言ふほどならず生まれ来てやがて消え失せん愉快ゆかい

 このような心持ちを続けるのに何よりも必要なのはユーモアである。浜田の歌にはユーモアが溢れていて、読んでいて楽しい。

 計らひを超えしありがたきリズムかな空腹感の定時に湧くは

 へこをせし昔男は知らざらむズボンに前あきのファスナーあるを

 そのむかしブッダ・西行の捨てしもの妻の背ひらくとファスナーを引く

 たべものがうまく入って抜けてゆく我の大事にて世界の些事にて

 こういう歌を見ると、作者はなかなか食えない老人かと思う。私もできることならばこういう老人になりたいものだが、無理かもしれない。

 浜田の短歌を通読していると、短歌技法として写生を重んじるかそれとも暗喩による象徴的技法に頼るかといった議論は、余り意味のないものに思えてくるから不思議である。たとえば次のような歌はどうだろうか。

 ひつかむり着たるポロシャツ けさの顔抜けて胸と背になじむポロシャツ

 さしたる事が詠まれているわけでなく、かといってそれが何かの喩となっているわけでもない。意図的なただごと歌ともまたちがう。こういうのを「自在の境地」というのだろうか。

 短歌的に見れば、集中の次のような歌が秀歌とされるのかもしれない。

 銃口の無き街の涼 をみなごの腋(わき)より垂るる二すぢの滝

 花ぞのにかがめばうなじに陽のやはし隣に永遠が来てゐるやうな

 事実、『現代短歌辞典』(三省堂)の浜田の項目を執筆した槇弥生子は、二首目を浜田の代表歌としてあげている。しかし、浜田が短歌的に突出しているのは、存在論的懐疑を身体感覚のなかに肉化したような、誰にも真似のできない短歌ではないだろうか。上にあげたポロシャツの歌など、短歌的常識を突き抜けて迫るものがあるように思うのである。