永井祐の第二歌集『広い世界と2や8や7』(左右社)が昨年(二〇二〇)十二月に出版された。第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』(二〇一二)以来八年振りである。第一歌集はBookParkからオンデマンド出版され、すでに入手不可能になっていたが、昨年春に短歌研究社から同じ装丁で再刊されている。『広い世界と2や8や7』はさっそく『短歌研究』の今年六月号の作品季評で取り上げられていて、評者の穂村弘、佐藤モニカ、山田航が縦横に論じている。
季評の冒頭で山田は、「口語のリアリズムということで言えば、いま最先端のことをやっているのはやはり永井祐ではないかと思っています」と発言し、それを受けて穂村は、「永井さんがデビューしたときはまだはっきりとは見えていなかった作家性が徐々に短歌の世界に浸透して」きたと指摘し、永井の作る短歌が「リアリティの捉え直しというか、そういうメタ的な精度を短歌に導入した」と述べている。
山田は最近しきりに穂村の唱える「口語によるリアリズムの更新」に言及している。たとえば『ねむらない樹』第六号(二〇二一、書肆侃侃房)の「二〇二〇年の収穫」というアンケートで山田は、「二〇二〇年の短歌のキーワードは、穂村弘が提唱した『口語によるリアリズムの更新』だろう。永井祐、宇都宮敦、仲田有里、山川藍など二〇〇〇年代以降に登場した口語歌人たちの中に、単に現代語を用いているというだけではなく、日本語の自然なしゃべり言葉の語順に近づけようとする志向が表れていることを指摘した」と書いている。
思えば、「わがまま派宣言」「短歌のくびれ」、「棒立ちのポエジー」、「一周回った修辞のリアリティ」、「圧縮と解凍」など、現代短歌を語る上でよく用いられるキーワードを数々提案してきた穂村が提唱する新しいキーワードがこの「口語によるリアリズムの更新」である。
穂村は『短歌研究』二〇二〇年六月号の「『永井祐』と『短歌2010』」という特集に、「作り手を変える歌」という文章を寄稿している。穂村は、俵万智、林あまり、加藤治郎、そして自分が初期に作った口語作品は口語短歌の模索時期に当たり、一九九〇年を越えて口語で短歌を作ることがふつうになって次のステージが開けたと回顧している。その幕を開けたのが永井らの若手歌人であり、短歌固有の口語表現の追究は、リアリズムの更新というアプローチを採ることになったとする。
『短歌研究』六月号の作品季評に戻ると、穂村は永井の「携帯のライトをつけるダンボールの角があらわれ廊下をすすむ」という歌を取り上げて、臨場感があり自分もやってみたいという誘惑にかられると述べている。続けて山田は、「永井さんは自分を斜め上から見ている感じではなく、カメラそのものはずっと主体の目についていて、実況中継をしているような感じがありますね。スマホで動画撮影しながら歩いているときの視点だなと思います」と応じている。つまり「口語によるリアリズムの更新」が意味するところは、作歌にあたって自分を上から俯瞰する視点を取らず、臨場感を大切にして、「携帯のライトをつける」→「ダンボールの角が現れる」→「廊下をすすむ」のように、作中の〈私〉が知覚した順番どおりに場面を並べる表現方法ということになる。
このような文体については、永井自身が参考になる文章を同人誌『率』第五号(二〇一三)に書いている。「土屋文明『山下水』のこと」と題された文章で永井は、文明の短歌に「雨の間の花に遊べる蝶襲ふとかげを見居り鉛筆けづりかけて」のように字余りの歌が多いことを指摘する。そして一見削れそうに見えるこの字余りに命が宿っており、命の雑音が歌の言葉を余らせると書いている。続けて「我がかへる道を或いはあやまつと立つ秋の夜蛍におどろく」という歌を引いて、「一首の全体を上から俯瞰して構成する手が見えない。初句が出て、二句が出て、三句が出て、四句が出て、結句が出る。一首が時間的だ。そして、なぜそういう形になるのかと言えば、私たちの生がそういう形をしているからだろう。私たちはいつも結句を知らないまま、字余りしながら生きている。文明の歌を読むと、その『歌を生きる』態度の徹底ぶりにおどろいてしまう」と述べている。
ここからわかるように、穂村の言う「口語によるリアリズムの更新」とは、単に文語に代わって口語やしゃべり言葉で短歌を作るということではない。そのような言語の位相の問題ではなく、素材となる場面を歌へと構成する作者の方法論の問題なのだ。わかりやすく箇条書きにすると次のようになる。
① 歌の素材となる体験を俯瞰的に再構成しない。
② 私たちは次の角を曲がった所に何があるか知らない。だから短歌を作る時にも同じ態度を取るべきである。
③ したがって作中主体である〈私〉の目に映った順番どおりに場面を描くことが新しいリアリズムである。
永井はこのような表現方法を実作においてどのように示しているだろうか。『広い世界と2や8や7』の中からこのような方法論に符合する歌を引いてみよう。
電車に乗って映画見に行く 電話する おもちを食べたお皿をあらう
蚊帳のなかで寝苦しそうなお坊さん 窓よごれてる ベランダきれい
仕事するごはんを食べるLINEする 百均のレジに列ができてる
フィクションドキュメンタリー「荒川氾濫」をみる トーストを食べる また電車にのる
一首目ならば「見に行く」→「電話する」→「あらう」のように並んでいる動詞は、作中主体の〈私〉が取った行動の順序を正確に反映していることがわかるだろう。
もちろん本歌集に収録されたすべての歌がこのような手法で作られているわけではないが、「作中主体の知覚・行動の順序を遵守する」という「リアリズム」がふたつの問題を孕んでいることを見ておきたい。
まず作中の〈私〉が移動する場合、歌の場面も切り替わるという点である。上に引いた四首目ならば、「荒川氾濫」を見たのはたぶん防災センターで、トーストを食べたのは近くの喫茶店で、電車に乗ったのは駅である。一首の中に場所が三ヶ所もある。それは歌の空間的な拡散を招く。空間的な拡散は印象の拡散につながり、一首の凝集力を低下させる。昔から一首の中に動詞をあまりたくさん入れない方がよいと言われているのはこのような理由による。
空間的な拡散以上に短歌にとって重大になるのは時間的な拡散である。一首目を例に取ると、この歌の中には「電車に乗って」(時点1)「映画見に行く」(時点2)「電話する」(時点3)「おもちを食べたお皿をあらう」(時点4)のように、異なる時点が四つある(「おもちを食べた」は連体修飾句の中にあり、断定されていないので数えない)。空間的な拡散以上に時間的拡散は、歌の結像性を弱める。私たちはこのような歌を読むとき、明確な視覚的像を描くのが難しい。
曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径 木下利玄
たちこむる雨霧のなかしろじろと藤は円座の花のしずまり 坪野哲久
冬山の青岸渡寺(せいがんとじ)の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ
佐藤佐太郎
近代短歌のリアリズムの原則は、右に引いた歌に見られるように、作中主体の不動の一点からの写生である。一首目ならば〈私〉は曼珠沙華が咲いている道端に立って光景を見ていることが明らかである。二首目では〈私〉はおそらく雨に濡れながら藤棚の近くに立っている。三首目では〈私〉は那智の滝を正面に遠望する寺の庭にいる。このように〈私〉が不動の一点から見ることによって歌は高い結像性を獲得する。読者は作中の〈私〉の視点に仮想的に身を置くことによって、歌に詠まれた光景を脳内で追体験する。そして描かれた光景の背後に揺曳しているはずの作者の心情に触れるのである。このように近代短歌の描く光景は「視点込み」の光景なのである。そして視点の指定を制度的に担保しているのは歌の「空間的統一性」である。ところが永井の歌に見られる空間的拡散は、これと真っ向から対立する。読者は光景を見るべき視点に辿り着くことができないからである。
このような現代の若手歌人たちの短歌に見られる時間的拡散という傾向は、永井が『率』に文章を書くもう少し前に既に指摘されていた。『短歌ヴァーサス』十一号(二〇〇七、風媒社)に掲載された斉藤斎藤の「生きるは人生と違う」という文章である。この中で斉藤は、第五回歌葉新人賞で次席になった中田有里の連作「今日」から次のような歌を引用して以下のように書いている。
本を持って帰って返しに行く道に植木や壊しかけのビルがある
カーテンの隙間に見える雨が降る夜の手すりが水に濡れてる
「中田のわたしは、今橋のわたしよりもさらに、今ここの〈私〉の視点を徹底している。一首目。現在から出来事を整理すればたとえば、先週図書館で借りた本を返しに行く、となるのかもしれない。それを、本を持って╱帰って╱返しに╱行く、と書くことにより、本を持つ〈今〉、帰る〈今〉、返そうと思う〈今〉、行く〈今〉、と断続的に〈今〉がつらなってゆく。(…)一首のなかに、中田のわたしは生きている。中田の歌に人生はない。すっぱだかの生きるしかない。」
斉藤の言う断続的につらなる〈今〉とは、永井の言う「私たちの生がそういう形をしている」時間軸をそのまま反映したものであることは明らかだろう。
永井祐の特集が組まれた『短歌研究』二〇二〇年六月号に「『日本の中でたのしく暮らす』の『時間』と『無意識』」という文章を寄稿した大森静佳も同じ点に触れている。大森は永井の歌では「複数の瞬間の把握や体感が同等に列挙される」ことがあり、永井は「『時間』を哲学する歌人だ」と述べている。続けて、現在形をいくつも連ねるタイプの文体については、大辻隆弘の『近代短歌の範型』(二〇一五、六花書林)所収の「多元化する『今』 ― 近代短歌と現代口語短歌の時間表現」に詳しいとして、大辻の議論を紹介している。
この文章で大辻は、「近代短歌の叙述は、作者を『今』という固定された一つの時間の定点に立たしめることによって成立する」と説き起こす。そのことを茂吉の歌で確かめた後、「永井祐や斉藤斎藤ら現代の若手歌人たちの口語短歌は、この『今』という時間の定点を一箇所に固定させない」と述べて、永井祐の「白壁にたばこの灰で字を書こう思いつかないこすりつけよう」という歌を引き、たばこの灰で字を書こうとした時点、いい言葉が思いつかない時点、壁にこすりつけようと思った時点というように、「今」が次々にスライドしていると分析する。そして「『今』という時間の定点を多元化し、『今』を作者自身が移動することによって一首の叙述を形作ってゆく」ところが、近代短歌と決定的に違う所だと結論づけている。
さて、これで穂村の言う「口語によるリアリズムの更新」についての議論をほぼ通観したことになる。残り少ない紙面で、果たしてこれが「リアリズム」なのかという疑問と、多元化する「今」が本当に「今」なのかという疑問について考えてみたい。
若手歌人の歌に見られる空間的・時間的拡散は、西洋絵画史と比較すると示唆的である。西洋の古典絵画は一点透視による遠近法を用いたが、これは近代短歌の不動の視点と同じである。ところがセザンヌが机の上に林檎が盛られた静物画で複数の視点からの描写を一枚の絵に収め、これがピカソらのキュビスムの出発点となった。ピカソは正面から見た女性の顔と横顔を同じひとつの画面に描いた。これは短歌における視点の複数性に通じるところがある。しかし対象を幾何学的に分解し再構成するキュビスムの方法論は、やがて具象自体を否定する抽象絵画へと発展した。こうして視点の複数性は、やがてリアリズムの埒外へと画家を導いたのである。
また永井らの歌で動詞の終止形が表す複数の時点は、作者にとっては実感に基づく「今」かもしれないが、読者にとってもそうであるとは限らない。読者の側の「読み」を考えるならば、読者は歌の様々な部分を手がかりにして、歌の「今」を脳内で再構成する。たとえば「精霊ばつた草にのぼりて乾きたる乾坤を白き日がわたりをり」という高野公彦の歌を読むと、鮮やかな遠近の対比の中に日輪が空を渡りゆく「今」が濃厚に感じられる。この「今」は作者の実感に基づくものではない。言葉の組み合わせと配列によって、読者の意識に中に再構成された擬似的な瞬間である。なぜ擬似的なのかと言うと、私たちにとって「今」とは原理的に捉えることのできないものだからである。比喩的に言うと「今」とは、羊羹をスパッと切った切り口のようなものだ。横から見ると切り口には幅がないため私たちの目には見えない。「今」という瞬間が私たちを絶えず逃れ去るものであることは、古東哲明『瞬間を生きる哲学』(二〇一一、筑摩選書)に詳しい。古東はこの本の中で、文学とは私たちの手をすり抜ける「今」を再構成する営みに他ならないことを、豊富な文学テクストを引いて論じている。
角川『短歌』平成二六年版の短歌年鑑の座談会「秀歌とは何か」の中で、岡井隆は永井に向かって、永井・堂園・山田らが見事にそろって助動詞を使わないのはなぜかとたずねている。この問に永井は直接答えず、自分にとって文体は身体の延長なので、選ぶということができないと述べている。永井らが助動詞を使わないのは、助動詞が日本語の時間表現を担っているからであり、短歌において仮構の「今」を再構成する主要な手段だからだ。永井たちは擬似的な「今」ではなく、真の「今」を求めているのである。
角川『短歌』2021年8月号に掲載