フランス語の初級文法の最初の方に冠詞が出て来る。フランス語では原則として名詞には何かの冠詞が付いているので、早くから学ばなくてはならないのだ。不定冠詞 は単数形がun / une 、複数形がdesで、定冠詞は単数形が le / la 、複数形がlesであり、部分冠詞は du / de laと学ぶ。
同じ頃に前置詞の deと定冠詞の縮約も登場する。de+leはduになり、de+lesはdesとなる。ここでおかしなことに気づかないだろうか。deとleが縮約したduは部分冠詞の男性形と形が同じで、deとlesが縮約したdesは不定冠詞の複数形と同じではないか。実にまぎらわしい。jouer du piano「ピアノを弾く」のduがどちらなのかはまちがう人が多い。これはde+leの縮約形である。一方、jouer du Mozart「モーツアルトを弾く」のduは部分冠詞だ。これはどういうことだろうか。
もうひとつおかしなことがある。不定冠詞の単数形のun / uneと複数形のdesは形がちがいすぎる。おまけに複数形のdesは前置詞のdeと定冠詞のlesが縮約したものと形が同じだ。これも不思議なことである。
このことを理解するには、フランス語がたどってきた歴史を振り返る必要がある。フランス語の親であるラテン語には冠詞がなかった。冠詞はラテン語からフランス語に変化する間に作り出されたものである。英語でもそうだが、不定冠詞の単数形は数詞の1の un / uneから作られた。古フランス語の時代には冠詞の体系は次のようになっていた。
男性 女性
単数 複数 単数 複数
主格 uns un
une unes
斜格 un uns
主格単数のunsの語尾の-sは、複数の印ではなく主格の印である。この表のうち斜格の形が残って、現代語の不定冠詞となった。unの複数形はもともとはunsなのだ。スペイン語は今でもそうで、不定冠詞の男性単数形はunoで複数形はunosである。このほうがずっとすっきりしている。ではどうしてdesがunsにとって代わったのだろうか。それには部分冠詞の形成が関係している。
部分冠詞は不定冠詞からずいぶん遅れて現れた。その形成過程は次のようである。まず前置詞のdeにはもともと何かの部分を表す意味があった。今でもその意味は残っていてIl a mangé de ces fruits.「彼はその果物を少し食べた」ように使う。定冠詞はラテン語の指示詞から発達したもので、le painには今のように「パンというもの」を表す総称の意味はなく、「目の前にあるパン」(現場指示用法)「(話題に出た)そのパン」(前方照応用法)を意味した。deとleが縮約したものは当時はdelと綴ったので、mangier del painは「(特定の)そのパンの一部を食べる」を意味した。何かの一部なので部分冠詞 (article partitif)と呼ばれたのである。やがて定冠詞は総称の意味を持つようになり、それにともなって manger du painは今のように「(不特定の)パンを(少し)食べる」を意味するようになった。複数形のdesは使われることが少なかったが、類推によって同じように変化したと考えられる。manger des cerisesが「そのサクランボの一部を食べる」という部分の意味から、「サクランボを(少し)食べる」という不定の意味へと変わり、やがてunsを駆逐して不定冠詞複数形の場所に収まったのである。こうして不定冠詞は単数形が un / uneで複数形がdesという不ぞろいな形になってしまった。
このように部分冠詞の男性形のduが前置詞deと定冠詞leの縮約形と同じ形をしており、また不定冠詞複数形のdesが前置詞deと定冠詞lesの縮約形と同じ形なのは決して偶然の一致ではなく、もともとは同じものだったから当然のことなのだ。
少し古い時代の文法書では、desは不定冠詞ではなく部分冠詞の複数形としているものがある。たとえば次がそうだ。(注1)
Les formes de l’article partitif sont : du (anciennement de le, del, deu), de l’, de la, des (anciennement de les, dels).
部分冠詞の形態は、du(古くは de le, del, deu)、de l’、de laとdes(古くはde les, dels)である。
フランス語の歴史を考えれば、確かにこうまとめた方がすっきりしている。
部分冠詞が前置詞deと定冠詞の縮約形に由来することを知っていると、次の文法規則がよく理解できる。前置詞deの次に不定冠詞複数形のdesや部分冠詞の du / de laが続くと、冠詞は削除されて名詞が無冠詞になる。
(1) le toit couvert {de+des} ardoises → le toit couvert d’ardoises
スレートで覆われた屋根
(2) la table pleine {de+de la} poussière → la table pleine de poussière
ほこりだらけのテーブル
ところが不定冠詞の単数形だけは削除されずそのまま残る。
(3) Nous avons besoin {de+un} bon dictionnaire.
→ Nous avons besoin d’un bon dictionnaire.
私たちにはよい辞書が必要だ。
(1)をもし de des ardoisesとすると、元を正せば {de+de+les} となり、前置詞のdeが二度重複して現れる。これはまずい。だから前置詞deにdesが続くとdesは省略されるのだ。{de+de+le}も同じである。一方、不定冠詞の単数形の {de+ un / une}という連続には何の問題もない。だから不定冠詞の単数形は省略されないのである。
最後に部分冠詞 (article partitif)という呼び名に異議を申し立てたい。何かの部分を表しているのは昔の用法で、今のフランス語では boire du vin「ワインを飲む」は、そこにある特定のワインの一部を飲むことではなく、不特定のワインを少し飲むという意味だ。何かの部分ではないので部分冠詞という呼び名はふさわしくない。今のフランス語では「非可算名詞用の不定冠詞」と呼ぶほうが実態に即している。(注2)
(注1)Anglade, Joseph, Notes sur l’emploi de l’article en français, Didier, 1930.
(注2)森本英夫『フランス語の社会学』(駿河台出版社、1988)で森本氏も、「部分冠詞」という呼び方は混乱のもとなので、いっそ不定冠詞は「数冠詞」、部分冠詞は「量冠詞」と呼び替えてはどうかと提案している。