「フランス語100講」第11講 主語 (2) – 主語と主題

【無標の主題としての主語】

 前回の終わりに書いたように、フランス語で主語は無標の主題 (thème non marqué)としてはたらきます。その意味するところを少し見てみましょう。

 

 (1) Nicolas a oublié son parapluie dans le bus.

   ニコラはバスに傘を忘れた。

 

 (1)をふつうのイントネーションで発話したとき、この文は主語のNicolasについて何かを述べる文と解釈されます。(1) は次のような文に続けて使うことができます。実際の対話ではNicolasはilと代名詞化されますが、それはここでは考えません。

 

 (2) Quoi de neuf avec Nicolas ?

   ニコラについて何かニュースはあるかい。

    ─ Nicolas a oublié son parapluie dans le bus.

     ニコラはバスに傘を忘れたよ。

(3) Qu’est-ce qu’il a, Nicolas ? Il a l’air triste.

   ニコラに何があったんだい。しょげているよ。

     ─Nicolas a oublié son parapluie dans le bus.

    ニコラはバスに傘を忘れたんだよ。

 

 (2) (3) の文においてニコラは話題の中心になっています。このように「それについて語るもの」(ce dont on parle) を「主題」(thème) といいます。(1)の文は、「ニコラについて何か語るなら、彼はパスに傘を忘れたのだ」と言い換えができます。

 (1)では主語が主題を兼ねているので、主語を無標の主題と呼びます。無標というのは、特別な理由がない限り選ばれるものという意味で、デフォルトということです。

 

【主題の連続性の原則】

 ここまで述べたことを踏まえて、次の例文を見てみましょう。

 

 (4) Jean a frappé Paul au ventre. Il s’est mis à pleurer.

  ジャンはポールのお腹を殴った。彼は泣き出した。

 

 さて、泣き出したのはJeanでしょうか。それともPaulでしょうか。殴られた方が泣き出したと考えたくなりますが、正解は殴った方のJeanです。そう解釈できるのは、フランス語には次のような原則があるからです。(注1)

 

 (5) 3人称の人称代名詞の主語は原則として前の文の主語をさす。

 

 例文 (4) では前の文の主語はJeanですから、IlはJeanを指すと解釈されるのです。なぜこのような原則があるのでしょうか。それは「主題の連続性」(英 topic continuity / 仏 continuité thématique)のはたらきによります。主題とは話題となっているものですね。私たちが何かを話すとき、ある話題についてしばらく続けて話すことが多いでしょう。たとえば新しいカフェが駅前にオープンしたら、あの店のコーヒーはおいしいとか、あの店ではWifiが無料だとか、「新しいカフェ」がしばらくのあいだ話題の中心になるでしょう。これが主題の連続性です。もし「駅前に新しいカフェができた」に続けて、「今日のフランス語の授業は休講だ」、「私は昨日寝坊した」などと続けたら、話題がころころと変わってしまい、一貫した会話になりません。ですから主題の連続性はフランス語に限ったものではなく、どの言語でもある程度成り立つ普遍的な原則だと考えられます。

 ただし、(5) は談話の進め方についてできるだけ守るべきとされるゆるやかな原則で、文法の規則のように破ってはだめというものではありません。主語が人称代名詞ではなく名詞のときは、次の例のように新しい主語に変えても差し支えありません。

 

 (6) Claire est entrée dans le salon. Georges lisait le journal.

   クレールは居間に入った。ジョルジュが新聞を読んでいた。

 

 また (5) の原則が成り立つのは3人称の人称代名詞 il(s) / elle(s)に限られます。同じ代名詞で主語として使われる指示代名詞の ce には当てはまりません。

 

 (7) Hélène a vu bouger quelque chose au coin de la cuisine. C’était une souris.

   エレーヌは台所の隅で何かが動くのを見た。それはネズミだった。

 

(7)ではふたつ目の文の主語になっているC’ (=Ce) は、ひとつ目の文の直接目的補語 quelque choseをさしていて、主語の Hélèneをさしているのではありません。

 

【主題をスイッチする手段】

 それでは (4) の文に続けて、主語のJeanではなく直接目的補語のPaulを次の文の主語にしたいときにはどうすればよいのでしょうか。そのときは指示代名詞 celui / celle–ciという接辞を付けたものを使います。次の例を見てみましょう。女性名詞のla radioではなく、男性名詞のle radioとなっているのは男性の無線技師を指しているからです。(注2)

 

 (8) Le radio toucha l’épaule de Fabien, mais celui-ci ne bougea pas.

   無線技師はファビアンの肩に手を触れたが、ファビアンは身じろぎもしなかった。

                          (Saint-Exupéry, Vol de nuit

 

 mais以下の文でもし il ne bougea pasのように人称代名詞のilを使うと、前の文の主語のle radio「無線技師」をさすことになってしまいます。このように celui-ci は主語を別のものに切り替える手段となっています。

 このはたらきは指示代名詞 celui / celleの次のような用法に由来するものです。

 

 (9) La Seine et le Rhône sont deux grands fleuves français ; celui-ci coule vers le sud et celle-là vers le nord.

セーヌ川とローヌ川はフランスの二大河川です。後者(ローヌ川)は南に流れ、前者(セーヌ川)は北に流れています。(注3)

 

 もともとの直示的用法では接辞の –ciは話し手から近い場所を、-làは話し手から遠い場所をさします。名詞の後に付けて次のように使います。

 

 (10) Lequel préfères-tu, ce vélo-ci ou ce vélo-là ?

   こっちの自転車とそっちの自転車のどちらがいい?

 

 指示代名詞のcelui-ciは、〈指示形容詞 ce+人称代名詞の自立形 lui+接辞 –ci〉が組み合わさってできたものです。日本語で言うと「こっちのほう」くらいになるでしょうか。このように celui-ciは話し手に近いものを、celui-làは話し手から遠いものをさす直示的用法が基本だと考えられます。

 

【物理的空間からテクスト空間への拡張】

 ところが例文 (9) ではcelui-ci / celui-làは発話の場にあるものをさすのではなく、celui-ciは前の文にある le Rhôneを、celui-là はla Seineをさしています。これはどういうことでしょうか。フランス語には次のような原則があるのです。

 

 (11) 発話の場にあるものを直示的にさす言語記号は、テクスト内にある

   ものを照応的にさす記号として用法が拡張される。このときテクス

   トは擬似的な発話の場としてはたらく。

 

 このような用法の拡張によって、celui-ciはそれが用いられたテクスト上の場所から前にさかのぼって近い所にあるものをさします。(9)で近い所にあるのは le Rhôneですから、celui-ciはle Rhôneをさします。一方、eelle-làは遠い所にあるものをさすのでla Seineが先行詞となります。ですからcelui-ciは「後者」、celle-làは「前者」と訳すこともできるのです。

 このような発話の場という物理的空間からテクストという言語空間への拡張は、次のような例にも見られます。

 

 (12) Voici ce que tu dois faire. Finis tes devoirs et va au lit.

   今からお前がしなくてはならないことを言うよ。宿題を済ませて寝なさい。

 (13) On n’y pouvait rien faire. Voilà tout ce qu’il m’a dit.

   どうしようもなかったんだ。これが彼が私に言ったことのすべてです。

 

 voici / voilàは提示詞 (présentatif) と呼ばれていて、voiciは話し手から近いもの、voilàは話し手から遠いものを提示します。

 

 (14) Voici mon lit et voilà le vôtre .

     こっちが私のベッドで、そっちがあなたのです。

 

 この用法から拡張されて、(12)ではテクスト上でこれから述べることを、(13)ではそれまでに述べたことをさします。この用法ではこれから述べることが話し手から近いもの、今まで述べたことが遠いことと見なされています。

 

【有標の主題】

 主語は無標の主題ということはお話ししました。それでは主語以外のものを主題にしたいときはどうするのでしょうか。それには特別な統語的手段を使って、主題であることをはっきりさせます。特別な手段を使って主題としたものは、有標の主題 (thème marqué) といいます。フランス語では主に次のような手段が用いられます。

 

 (15) a. 転位構文 (dislocation) / 遊離構文 (détachement)

   主題となる語句を文頭に置き、それを文中で代名詞で受けます。i)では主語が、

   ii) では直接目的補語が転位されています。主題化 (thématisation) と呼ぶこと

   もあります。

   i) Mon père, il est terrible. うちのお父さんときたら、ひどいんだよ。

   ii) Cette poupée, je l’ai trouvée au marché aux puces.

    この人形はノミの市で見つけました。

   b. 主題標識

  Quant à 〜「〜については」、Pour ce qui est de 〜「〜に関しては」、Concernant〜「〜については」、A propos de〜「〜については」のような表現は、文頭に置いてそれが主題であることを示します。

   i) Quant à la rémunération, on en parlera plus tard.

       報酬についてはまた後で相談しましょう。

   ii) Pour ce qui est du tennis, Claude est le meilleur.

    テニスに関してはクロードが一番だ。

 

 有標の主題は談話の途中で主題を変更する場合などに使われます。

 

 (16) Ton père est gentil. Tu as de la chance. Mon père, il est terrible.

   君のお父さんは優しいね。君はついてるよ。僕の父ときたら、そりゃひどいんだよ。

 

 この例では最初は ton père「君のお父さん」が主題ですが、途中から mon père「僕の父」に主題が切りかわっています。         (この稿次回に続く)

 

(注1)フランスの学校でよく使われている E. Legrand, Stylistique française, J. de Gigordにも次のように書かれている。

Pierre a volé Paul ; il a porté plainte.

   On veut dire que Paul a porté plainte ; on dit en réalité que Pierre est à la fois le voleur et le plaignant. (…)En effet, quand deux propositions se suivent, il / elle , en tête de la seconde, représente toujours le sujet de la première. (Livre du maître, p. 68)

ピエールはポールから盗んだ。彼は訴えた。

 ポールが訴えたと言いたいのだろうが、実際にはピエールが泥棒であると同時に訴えた人であるという意味になる。(…)二つの文が続くとき、二つ目の文頭のil / elleは常に一つ目の文の主語をさす。        

(注2)朝倉季雄『新フランス文法事典』(白水社)の文例。 

(注3)京都大学フランス語教室編『新初等フランス語教本〈文法篇〉』白水社