「フランス語100講」第10講 主語 (1) – 主語とは何か

 第8講の文(1)に書いたことですが、フランス語や英語のような欧米の言語では、文の基本構造は〈主語+述語〉(sujet+prédicat)だとされています。「主語」という用語は、中学校の英語の授業で初めて耳にする人が多いでしょう。しかし文の組み立ての基本だとされているにもかかわらず、主語とは何かをきちんと定義しようとするとなかなか面倒なのです。代表的な定義をいくつか見てみましょう。

 (1) La grammaire traditionnelle définit le sujet comme celui qui fait ou subit l’action exprimée par le verbe. C’est ainsi un terme important de la phrase puisqu’il est le point de départ de l’énoncé et qu’il désigne l’être ou l’objet dont on dit quelque chose en utilisant un prédicat.          

  (Jean Dubois et als. Dictionnaire de linguistique, Larousse, 1973)

伝統文法では、主語を、動詞によって表現される行為をするもの、または受けとるものと定義する。それゆえ、主語は発話の出発点でもあり、また人物や事物を指し、それについて述語を用いることにより、何かを語るものであるので、文の重要な辞項である。

   (伊藤晃他訳『ラルース言語学用語辞典』大修館書店、1980)

 まず伝統文法の定義が挙げられています。動詞が表す行為をするもの、または受けとるものというのは次のようなことを想定しています。

 

 (2) Le directeur a grondé Julia.

   部長はジュリアを叱った。

 (3) Julia a été grondée par le directeur.

   ジュリアは部長に叱られた。

 

 (2) の能動文では部長が「叱る」という行為をする人で、(3) の受動文ではジュリアが「叱る」という行為を受ける人です。つまり主語とは、能動文では動作主 (agent) で、受動文では被動作主 (patient) であるという意味論的な概念によって定義されています。しかしよく考えてみてください。(2)の能動文ではジュリアが動作を受ける人ですが、主語ではなく直接目的補語です。また(3)では部長が動作をする人なのですが、これも主語ではなく動作主補語 (complément d’agent) です。これはちょっとまずいですね。どれが主語かを判定することが、能動文・受動文という態 (voix) に依存しているからです。

 上の定義の後半では、「それについて何かが語られるもの」(ce dont on dit quelque chose) と述べられています。しかし、現代の言語学では「それについて何かが語られるもの」は「主題」(thème / topique) と呼ぶのがふつうです。主題というのは談話文法でよく使われる概念です。実はアリストテレスのいう主語 subjectumは、sub-「下に」+ jectum「投げ出された」で、「これからこれについて話しますよ」と相手に提示するもののことで、今で言う主題に近い概念です。こうして見ると、上に挙げられている伝統文法による主語の定義は、意味論の概念と談話文法の概念をミックスしたものになっていて、ほんとうの意味で文法的な定義とは言いにくいものです。

 次の定義はこれとはちょっとちがっています。

 (4) SUJET. Ce mot dénote la fonction assumée par le terme ou le membre qui confère à un verbe ses catégories de personne, de nombre et éventuellement de genre. Il a donc une valeur strictement grammaticale et n’est pas à confondre avec les termes qui évoquent l’agent, le siège ou le patient du procès.

(Wagner, R. L. et J. Pinchon, Grammaire du français classique et moderne, Hachette Université, 1962)

主語。この語は、動詞に人称・数そして場合によっては文法的性のカテゴリーを付与する語句または文要素が担う機能を指す。したがって主語は完全に文法的な価値を持つものであり、動作主や行為の座や被動作主といった概念を表す用語と混同してはならない。 

 おやおや、ヴァグネールとパンションは、「動作主や被動作主と混同してはならない」とわざわざ伝統文法の定義に陥らないよう釘を刺していますね。彼らによれば、主語とは、文の中核的要素である動詞の人称・数を支配するという文法的機能のみによって定義されるものです。

 もうひとつ見てみましょう。代表的な文法書である Le Bon usageのものです。ここではJean rougit.「ジャンは顔を赤らめる」という2語からなる文を例に挙げて、どのような基準によって主語と判定するかが論じられています。それによると主語は次の4つの基準によって特徴づけられるとされています。

 

 (5) a. 語順:平叙文では先に来るのが主語

   b. 品詞:主語は名詞で、述語は動詞

   c. 活用の支配:主語は動詞の人称・数を決める

   d. 主題:主語はそれについて何かを述べるもの (ce dont on dit quelque chose)

 

 ところが同書ではこれに続けてこのような基準を満たさない例を挙げて、Par conséquent, il est impossible de donner du sujet et du prédicat des définitions qui satisfassent entièrement. 「したがって、主語と述語に完全に満足のいく定義を与えることは不可能である」と匙を投げる始末です。

 

【主語とは相対的概念である】

 現代の言語学で主語をめぐる議論は1970年代から80年代にアメリカで盛んに行われました。その代表的なものはキーナン (Edward Keenan) の研究です(注1)。その研究のなかでキーナンは主語が持つ計30ほどの特徴をリストにしています。それらはおおまかに4つのグループに分かれます。代表的な特徴だけ挙げてみましょう。

 

 (6) 主語の特徴

 (A) 指示の自立性 (autonomy principles)

  i) 主語は文に不可欠の要素である、ii) 主語名詞句は自立した指示を持つ

 (B) 格表示 (case marking properties)

  主語名詞句はしばしば格の表示を持たない

 (C) 意味役割 (semantic role)

  主語名詞句は能動文では動作主、受動文では被動作主の役割を持つことが多い

 (D) 直接支配 (immediate dominance)

  Sノードに直接支配され、動詞の人称・数を決める

 

 キーナンは、このように主語を定義する特徴を列挙した上で、ある言語Lでこれらの特徴をいちばん多く持つ要素を主語と認定することを提案しています。つまりある要素が主語であるかどうかは程度問題ということです。(注2)世界中の言語を考慮に入れて主語を定義しようとすると、どうしてもこうなってしまうのですね。

 しかし心配することはありません。フランス語では主語はとてもはっきりと定義することができます。それは上に挙げたヴァグネールとパンションの主語の定義に近いものです。次のように考えればよいでしょう。

 主語は、i) 文に不可欠の名詞句・代名詞である

     ii) 動詞の人称・数を支配する 

この定義によれば、次の例文のボールド・イタリック体の語句が主語となります。

 

 (7) Paul adore les macarons.

  ポールはマカロンが大好きだ。

 (8) Il me serait agrébale de vous rencontrer.

  あなたにお会いできればうれしいのですが。

 (9) Il lui est arrivé un grand malheur.

  彼(女)の身に不幸な出来事が起きた。

 (10) Ça, c’est une autre histoire.

  それはまた別の話だ。

 

 (8) と (9) は非人称構文ですが、非人称主語のilは文に不可欠であり、動詞の人称・数を決めているので上の条件を満たしています。(de) vous rencontrerや un grand malheurを実主語とか真主語と呼ぶかどうかはまた別の問題です。どうしてフランス語ではこのようなシンプルな定義で済むのでしょうか。

 

【主語優位言語と主題優位言語】

 注(1)に挙げた Subject and Topicという論文集に収められているリーとトンプソンの論文(注3)は新しい類型論を提案してその後の研究に大きな影響を与えました。その類型論によると、世界中の言語は主語 (subject) が優位な言語と、主題 (topic) が優位な言語に分けられるとされています。(注4)

 フランス語や英語は典型的な主語優位言語 (subject prominent language) です。主語優位言語では、主語は文に欠かせない要素で、また文中の名詞句のどれが主語かを比較的はっきり判定できるとされています。このような言語では〈主語+述語〉が文の基本的な構造となります。(英)It rains. / (仏)Il pleut.「雨が降る」のような非人称構文を持つのもこのタイプの言語の特徴です。どうしても主語が必要なので、何も指さない it / ilのような意味的に空の要素を主語に置くのですね。

 一方、中国語や日本語は主題優位言語 (topic prominent language) です。このような言語では〈主題+解説〉(topic+comment) という構造が文の基本となり、主題は明らかならば省略できるので、「車の運転できますか?」という質問に「できます」と解説だけで答えられます。主題卓越言語では、主語がはっきり定義できなかったり、「象は鼻が長い」のようないわゆる二重主語構文があるのが特徴です。

 日本語とフランス語がこのように異なる類型に属していることを知るのも、フランス語を学ぶ上で大事なことです。

 

【主語は文法化された主題】

 川本茂雄編著『フランス語統辞法』(白水社、1982)は、主語についてユニークな解説をしています。まず文とは何かを考えるにあたって、Fermé「閉め切り」、Horrible !「おそろしい!」のように、単語ひとつからなるものを挙げて、これを一肢文と呼んでいます。ひとつの要素からできているという意味です。たとえばドアにFermé「閉め切り」という貼り紙があるとしましょう。閉め切りなのは貼り紙が貼られたドアですから、これはCette porte est fermée.「このドアは閉めきりです」という意味です。この「〜は」の部分を主題 (thème) と呼びます。この場合のように、使われている状況から主題が明らかならば主題は省略されます。Ferméは説述 (propos) (注5)といい、一肢文は主題を省略して説述のみからなる文です。

 次に二肢文が挙げられています。Moi, mentir !「僕、嘘付くって!」、Cela, impossible !「そりゃあ、出来ないことだ!」のように、ふたつの単語からできている文です。二肢文では、Moiが主題で mentir ! が説述になります。これに続けて同書では次のように述べられています。

 (11) 上掲の例において、 « Maman, partie. »は « Maman est partie. », « Cela, impossible ! »は « Cela est impossible ! »とほぼ同じ意味をもつものである。このことから、主題は文法において〈主語〉と一般に称されるものに近いということがわかるであろう。(…)多くの文が主語を備えているという事実は、何らかの説述が行われるためには主題が与えられることが必要であり、主題はしばしば文法上の主語として表されるものであことを、ここにすでに予見することができる。(同書、p. 15)

 ここには〈主題+説述〉という関係が〈主語+述語〉の関係へと発展していったというニュアンスが読み取れます。現代の言語学ならば、「主語は文法化された主題である」と言うところです。このため現代フランス語においても、主語は無標の主題 (thème non marqué) として働きます。「無標」というのは構造主義言語学の用語で、特に理由がないときに選ばれる要素、つまりデフォルト要素ということです。

                      (この稿次回に続く)

 

(注1)Keenan, Edward L., “Toward a universal definition of ‘subject’”, Charles N. Li (ed.) Subject and Topic, Academic Press, 1975.

(注2)”Thus the subjecthood of an NP (in a sentence) is a matter of degree.” (Keenan, op. cit. p. 307)「このように(ひとつの文で)どの名詞句が主語であるかは程度問題ということになる」

(注3)Li, Charles, N. & Sandra A. Thompson, “Subject and topic: A new typology of language”, Charles N. Li (ed.) Subject and Topic, Academic Press, 1975.

(注4)正確には提案されているのは4つのタイプである。i) 主語が優位な言語 ii) 主題が優位な言語 iii) 主語も主題も優位な原語 iv) 主語も主題も優位ではない言語。日本語は iii) に分類されているのだが、フランス語と対比させるために、ここでは日本語は主題が優位な言語として話を進める。

(注5)『フランス語統辞法』の用語をそのまま用いている。本稿では説述とは言わず、解説 (commentaire) と呼んでいる。thèmeと proposは、Charles Bally, Linguistique générale et linguistique française, Editions Francke, 1932が使っている用語。