第411回 第71回角川短歌賞(2025年)

 今年の角川短歌賞の選考結果が角川『短歌』11月号に掲載された。短歌賞の受賞は船田愛子の「雪の影」であった。船田は2004年生まれで京大短歌会所属。昨年の角川短歌賞では藤島花の筆名で応募した「花を抱えて」で佳作に選ばれている。今回は本名に戻しての受賞である。

欄干に羽をたためる白鷺の像あり首に雪の積もりぬ

中庭の白木蓮に寄るひとに花芽の影の淡くうつりぬ

記憶という湖に手を浸さんとすれば魚の黒きかげ見ゆ

寛解と完治のあわい わが骨の髄に残火のごときはあらん

わが臓器をわれが捕らうることのなし薔薇窓に夕微光さしこむ

 選考委員のうち坂井修一と藪内亮輔が5点、中川佐和子が2点を入れている。藪内は、大病に罹った経験と医学人としての覚悟が上手く噛み合っていて、迫力もあり隙がないと評し、坂井は完成度が高く、難の無さで言うとこの一連が強いと推している。中川は、視線が透徹した冷めた感じがあり、また叙情的なところもあると控え目に述べている。一方、松平盟子は、評価しないのではなく、上手すぎるから点を入れなかったので、新人賞はどこか破綻があってもいいと意見している。

 上に引いた四首目を見ると、作者は過去に骨髄に関わる病気を患い、現在は寛解の状態にあるらしい。関西の医科大学に通って勉学中なので、患者の視点と医学生の視点とが両立しているのも特色だろう。

 若い歌人には珍しく新仮名遣いながら文語定型で、歌のレベルがとても高く揃っている。とりわけ三首目の「手を浸さんとすれば」という語法などを見ると、短歌の骨法をよく理解していることが知れる。また詠まれているものの大方は、微かな気づきやはかなく過ぎ行く事柄で、短歌という詩型の生理によく合っている。例年の短歌賞の選考座談会では、どの作品に賞を与えるかで激論が交わされることもあるが、今回は拍子抜けするほどあっさりと船田の作品に決まっている。2012年の第58回では、現在は選考委員を務めている藪内の「花と雨」が満票で受賞してみんなを驚かせた。これほどすんなり受賞作が決まるのはその時以来ではなかろうか。

 次席に選ばれたのは千代田らんぷの「待ち合わせ」である。

雨傘は雨に出会って雨傘になりその後は雨を弾いた

生きている動物たちに生きている私を見せに行く動物園

クレープの巻紙少しずつ千切る今日を忘れる練習として

相槌を打ちやすいよう美容師に架空の船の架空の航路

私のち私の空の下にいてレインコートの重さごと行く

 作者の千代田は1985年生まれで所属なし。昨年の角川短歌賞では「雨宿り」で佳作に選ばれている。藪内が4点を入れ高評価で、松平が2点を入れている。藪内は「何を前景として見せて何を後景とさせるかというところを操作して、認知のすり替え、ずらしを行っている」と述べ、松平は、最初この作品に5点を入れていたと明かす。ひとつのイメージの喚起力が非常に鮮やかで、ギリギリの危ういサーカスみたいにうまい形で結句につないでいると評している。

 千代田の短歌の特色はユニークな視点と、それを表現するための屈折した語法だろう。たとえば一首目、雨傘は雨が降って初めて雨傘になるという。売り場でも雨傘と日傘は区別して売られているので、屁理屈と言えば屁理屈だがその視点がおもしろい。二首目は視線の相互性を詠んだ歌で、見る者は同時に見られる者でもあるという気づき。五首目の「私のち私」など不思議な表現も目立つ。短歌賞の船田が近現代短歌の王道だとすれば、千代田の短歌は変化球のナックルボールというところか。

 佳作は伊藤汰玖の「ノット・オーバー」が選ばれた。伊藤は1982年生まれで「かばん」所属の歌人である。

連日の疲れがにじむ朝礼を「ご安全に」の唱和で締める

真上から怒声が降れば母国語で小さく愚痴る若い作業者

雨のなか薄れる街の輪郭と少し濃くなる街の体臭

夜光する繁華街では暫定の更地に闇が仮置きされる

明け方の道玄坂で魔改造キックボードが鴉を散らす

 松平が一人5点を入れ、渋谷を見る眼差しが現代の一面をよく表していて、その中で駒として働く人間のリアルが感じられると評している。これにたいして中川は、いい歌と表現としてこれはどうなんだろうという歌が混じっていて、渋谷の移り変わりを追い過ぎていると感想を漏らしている。 

 今回の受賞者の中では最も主題性が強く、歌の〈私〉の境涯が見える作品だろう。〈私〉は工事現場で働く作業員で、舞台は世紀の大改造が進行中の渋谷である。古いビルは解体されて更地となり、作業員の中には異国の言語を話す人も少なくないことが描かれていてリアルさはある。

 伊藤は2022年の第68回角川短歌賞でも「ショートスリーパーズ」で佳作に選ばれている。この作品では「誰を待つドン・キホーテの水槽の青い光に滲む少女は」、「内臓の何処かに積もる白砂が不意に欲しがる一杯の水」のように、作中主体も場面も不透明な歌が多かったが、今回の応募作ではそれがくっきりと見えるものとなっている。しかし都市の描き方がやや類型的かもしれないと感じる。

 もう一人の佳作は大津穂波の「次の季節」である。大津は1998年生まれで所属なしとある。

札勘の上手さで勤続年数が分かってしまう四年目の春

公用車数台多く停まりおり監事監査の朝の清しさ

シヤチハタのインクを補充するようにウイダーゼリー一息に飲む

またひとり同期が辞めて使わなくなってしまったLINEグループ

見慣れぬ駅を見慣れた駅にする時間きみと別れてからの車窓は

 中川が5点を入れている。中川は比喩や詩情の豊かさが微妙な心理につながっていて一位に推したと述べている。藪内は歌の決め方をよくわかっている人だとしながらも、エッセイや漫画でなく短歌の言葉である必然性があるのかと問うている。

 札勘はおそらく金融関係の現場用語でお札を数えることなので、作者は銀行か信用金庫に勤務しており、入社4年目を迎えているのだろう。転職する同僚もいるが、本人はそこまで踏み切れず勤め続けているという心の揺れが詠まれている。

 大津は京大短歌会のOGで、会誌『京大短歌』25号(2019年)に初めてその名が見える。26号に次のような歌を出詠している。しっとりとした抒情的な歌で、作者はこういう引き出しも持っていることがわかる。

何も手につかない昼の片隅に転がしている紙の風船

ティーバッグ引き上げるとき朝焼けのしずくこぼして鴫飛び立てり

 今回の短歌賞の応募は昨年よりやや少ないながら708篇あったという。内訳を見ると、20代が151名でいちばん多い。短歌や俳句という短詩型文学は高齢になっても続けることができるが、青春の輝きを詠んだ歌はその時にしか作れない。若い人たちに短歌が広まっていることは喜ばしい。