「フランス語100講」こぼれ話(4)─ onとl’on

 不定代名詞の onは et, ou, où que, siなどの単語に続くときは、l’onと綴ることがある。

 

 (1) si l’on considère l’état actuel de notre pays…

   わが国の現状に鑑みるならば

 (2) Il faut que l’on se mette d’accord sur ce point.

        その点についてみんなが同意する必要がある。

 

 そうする理由は、もし si onや où onとすると、フランス語が嫌う母音衝突 (hiatus) を起こしてしまうからだと説明される。queは qu’onとエリジヨンして母音衝突を避けることができるが、他の単語ではそうはいかない。

 しかしもし母音衝突を避けるのが目的ならば、他の子音字でもかまわないはずだ。事実、疑問倒置では A-t-elle été en Espagne ?「彼女はスペインに行ったことがありますか」のように –t- が使われている。l’onl’はエリジヨンしない形は leで、これは定冠詞の男性単数形である。なぜonに定冠詞が付くかを知るには、フランス語の歴史をさかのぼらなくてはならない。

 onの語源はラテン語の homo「人」である。現在でも生物学の学名ではラテン語が使われているので、 現世人類はHomo sapiensホモサピエンス」と呼ばれている。「言語を使う」というヒトの特徴を捉えて Home loquens「話すヒト」などと言うこともある。onはもともとは「人」を表す名詞のhomoだったために、定冠詞を付けてl’onのように用いるのは、その昔は珍しいことではなかった。ところが現代フランス語では si l’onのように母音衝突を避ける場合にしか使われなくなったのである。

 さて、ラテン語の homoからはhomme「人、男性」という単語も生まれた。こちらはれっきとした男性名詞である。なぜラテン語の一つの単語からフランス語の二つの単語が生まれたのだろうか。その理由もフランス語の歴史の中にある。

 フランス語の親のラテン語には名詞の格変化 (déclinaison) があった。格とは、日本語ならば「花が」「花を」「花に」のように、格助詞のガ・ヲ・ニなどを使って表す文法関係を、名詞の語尾変化で表すことをいう。ラテン語には全部で6つの格があった。やがてラテン語は俗ラテン語の時代を経て、だいたい9世紀くらいに古フランス語になったと考えられている。名詞の格体系は大幅に簡略化されて、主格と斜格の2格体系になった。主格 (cas sujet) は名詞を主語や呼びかけに用いる場合で、斜格 (cas oblique) は直接目的語などそれ以外の場合に用いる。次はmur「壁」という単語の格変化である。添えられた定冠詞も格変化している。

 

 

 ざっくり言うと、主格単数形と斜格複数形に –sの語尾が付いた。(注1)見てわかるように、斜格の単数形 le murと複数形 les mursが後に現代フランス語の単語となった。なぜ主格ではなく斜格の語形が生き残ったのだろうか。それは統計的な頻度の問題である。次の物語の冒頭部分を見てみよう。

 

 (3) Delphine et Marinette revenaient de faire des commissions pour leurs parents, et il leur restait un kilomètre de chemin. Il y avait dans leur cabas trois morceaux de savon, un pain de sucre, une fraise de veau, et pour quinze sous de clous de girofle. Elles le portaient chacune par une oreille et le balançaient en chantant une jolie chanson. À un tournant de la route, et comme elles en étaient à « Miroton, miroton, mirotaine », elles virent un gros chien ébouriffé, et qui marchait la tête basse.             (Marcel Aymé, Les contes du chat perché)

デルフィーヌとマリネットは両親に頼まれた買い物を終えて家に戻るところでした。家まではもう1kmしかありません。買い物籠のなかにはせっけんが3つ、砂糖の固まりが1つ、仔牛の腸間膜と15スー分の丁字が入っています。二人は買い物籠の取っ手をひとつずつ持って、すてきな歌を歌いながら籠を揺らしていました。曲がり角にさしかかり、ちょうど歌が「ミロトン、ミロトン、ミロテーヌ」まで来たとき、毛を逆立てて頭を下げて歩く大きな犬が見えました。

 

 主語はボールド・イタリック体にして、直接目的補語には下線を引いた。主語は Delphine et Marinetteだけが名詞で、あとは il / il / elles / elles / elles とすべて代名詞である。これは第11講で触れた主題の一貫性(英 topic continuity)の原則による。談話やテクストでは、一つの主題について連続して語ることが多い。このため同じものをさす代名詞が多くなるのである。一方、直接目的補語を見ると、un kilomètre de chemin / trois morceaux de savon / un pain de sucre / une fraise de veau / pour quinze sous de clous de girofle / le / le / un gros chien ébouriffé, et qui marchait la tête basseとなっていて、代名詞leが二つあるが、残りは全部名詞である。(注2)しかも長い名詞が多い。一般に新しい名詞が登場するのは直接目的補語の位置であることが知られている。

 これは物語という書き言葉の話だが、話し言葉ではこの傾向はもっと強くなる。Colette Jeanjeanは話し言葉のコーパス調査から、すべての文のうち名詞の主語を持つ文の割合は2%〜2.8%にすぎないと報告している。(注3)私自身の調査でも、名詞主語の出現率は 2.4%〜5.7%であった。これにたいして直接目的補語は名詞であることが多く、フランス語で最もよく見られる文型は、〈代名詞主語+動詞+名詞の直接目的補語〉という組み合わせなのだ。(注4)このように主語は代名詞が多く、直接目的補語は名詞が多いために、よく目にする斜格形が名詞の形として残ったのである。

 しかしながらon / hommeは例外的に主格形と斜格形の両方が残った。その理由は、onが「人一般」を指したりnousの代用形として用いられたりして、主語人称代名詞と同じような使われ方をするために、使われる頻度が高かったためと考えられる。 on / homme以外にも主格形と斜格形の両方が残った単語がいくつかある。

 

         主格形          斜格形

  copain          compagnon 「仲間」

       gars(俗語で)若者     garçon「少年、男の子」

  sire (呼びかけて)陛下    seigneur「領主」

 

 これらの単語はすべて人をさす単語で、呼びかけで使うことが多い。呼びかけには主格形が使われる。このために主格形と斜格形の両方が残ったのだと考えられる。

 以上のことから何を導くことができるだろうか。それは「言語使用が文法を作る」(英 Usage makes grammar.)ということではないだろうか。フランス語でも日本語でも文法は誰か特定の人が設計図を描いて作ったものではない。(注5)言葉の使用が集積して、やがて慣習として固まったものである。野原を横切るときに、たくさんの人が同じルートを歩くと、やがて草が踏み固められて道ができる。文法とはそのようにしてできたものではないだろうか。

 

(注1)主格単数形の語尾の –sは、Georges、Jacquesなどの人名にその名残を留めている。

(注2)非人称構文の il leur restait、il y avaitに続く名詞は、文法的には直接目的補語である。

(注3)Jeanjean, Colette, “L’organisation des formes sujets en français de conversation. Etude quantitative et grammaticale de deux corpus”, Recherches sur la français parlé 3, 1981.

(注4)東郷雄二「話し言葉のフランス語に見る文法の形成過程の研究」、文部科学省科学研究費補助金基盤研究(C)研究成果報告書、1998.

(注5)ポーランドの眼科医であったザメンホフが作ったエスペラントのような人工言語は例外で、一人の人が考案した言語である。