先日、何気なくNHK・Eテレのフランス語講座を見ていたら、出演していた若いフランス人男性が、impressionismeを「アンプレショニズム」、japonismeを「ジャポニズム」と発音していたので仰天した。語尾の-ismeは「イスム」と濁らずに発音するのが決まりのはずだ。
教室では綴り字の –s- は前後を母音字で挟まれたときだけ [z] と濁ると教わる。たとえば maisonは「メゾン」で、désertは「デゼール」だ。子音字と隣り合ったときは、veste 「ヴェスト」、dessert「デセール」のように濁らない。テレビの若いフランス人が –ismeを「イズム」と濁って発音したのはおそらく英語の影響だろう。
最近、次のようなことも耳にした。来日したフランス人の言語学者が、linguistiqueを「ランギスティック」と発音したというのだ。フランス語の綴り字の –guiはふつう「ギ」と発音する。languir「ランギール」、guide「ギード」などがそうである。しかし、aiguille「エギュィーユ」、linguistique「ランギュィスティック」など少数の語では「ギュイ」[ɡɥi] と発音する。フランス人の言語学者が「ランギスティック」と発音したのが英語の影響によるものかどうかはわからない。英語でlinguisticsは「リングゥィスティックス」と発音し、「リンギスティックス」ではないからである。
確かに発音は時代とともに変化する。たとえば綴り字の –oiは、もともとはローマ字どおりに「オイ」と発音していたのだが、時代とともに変化して、次は「ウェ」となった。絶対王政をよく示す有名な L’État, c’est moi.「朕は国家なり」という言葉を、ルイ14世は「レタ セ ムェ」と発音していたはずである。古い文章を見ていると、半過去形の avaisがavoisと綴られていることがあるが、これは当時の読み方の名残りである。その後、-oiは現在の「ウァ」[wa] へと変化した。
だから –ismeも将来「イズム」と発音するのがふつうになるかもしれないが、未来のことは誰にも予言できない。国語学の泰斗金田一春彦先生が若い頃、「東京山手方言(標準語)のガ行鼻濁音はいずれ消滅するだろう」と書いたことがある。しかし、その後、何十年経っても鼻濁音はなくなることがなかった。金田一先生は、「言語の未来は予測できない」と反省したという。フジテレビの「めざましテレビ」の軽部真一アナウンサーが見事なガ行鼻濁音を出しているのを聞くにつけ、確かにそのとおりだと痛感するのである。
* * *
フランス語を学ぶ人を悩ませるもののひとつにリエゾン (liaison) がある。読まない子音字で終わる単語の次に母音で始まる単語が来ると、読まないはずの子音字を読むようになるという現象である。次の例ではlesの語尾の –sを「ズ」と読むようになる。
les「レ」+enfants「アンファン」→ les enfants「レザンファン」
なぜこのようなややこしい規則があるかというと、それはフランス語が母音連続 (hiatus)を嫌う言語だからである。(注1)フランス語では、[子音+母音+子音+母音]のように開音節(注2)が並ぶのを好む。もしリエゾンをしなければ「レアンファン」となり、「エア」と母音が続いてしまう。これを嫌うので語尾の-sを「ズ」と発音して母音連続になるのを避けるのだ。
無音のhで始まる語はリエゾンするが、有音のhで始まる語はリエゾンしないとも習う。ややこしいのは無音・有音と言いながら、どちらのhも発音しないことである。無音のhと有音のhの区別はフランス語の歴史にさかのぼる。
フランス語の親であるラテン語では、紀元ゼロ年頃にはすでにhを発音しなくなっていたと言われている。homo「人間」は「オモ」だったわけだ。このようにラテン語由来の語が無音のhで、その意味は「ラテン語ですでに無音となっていたh」ということである。しかし5世紀頃に始まるゲルマン民族の大移動で、フランク族がやって来た。ゲルマン語はhを強く発音する。ゲルマン語から流入したhache「斧」、haie「生垣」、hanche「腰」などの単語の頭の hはやがて黙字となったが、発音していた歴史のせいで、今でも子音字扱いされてリエゾンしないのである。
母音・無音のhで始まる単語でも、数詞のhuit「8」やonze「11」はリエゾンしない。toutes les huit heures「8時間ごとに」は「トゥート レ ユイ トゥール」で、les onze garçons「その11人の少年」は「レ オンズ ギャルソン」と発音する。数は重要な情報なので、数詞であることをはっきりさせるためにリエゾンしないのである。un enfant de huit ans / de onze ans「8歳 / 11歳の子供」のようにエリジヨンもしない。
有音のhについては謎がいくつかある。haut「高い」はラテン語のaltusから来ていてゲルマン語由来ではない。しかし形容詞では珍しく有音のhなのは、ゲルマン語の hohの影響とされている。もっと不思議なのは héros「英雄、主人公」だ。これもラテン語の herosから来ているのに有音のhとされている。Le Bon usageなどの文法書に書かれている説は、リエゾンして les héros「レゼロ」(英雄たち)と発音すると、les zéros「レゼロ」(役立たず、能なし)と混同されるからというものである。どうやらこの説の源はヴォージュラ(Claude Fabre de Vaugelas 1585-1650) らしい。(注3)17世紀に一人の文法家が唱えた説が今でも引き継がれているのは驚くべきことだ。この説が正しいかどうかは神のみぞ知るである。
ヨーロッパ統合によってフランスの通貨のフランがユーロになったせいで、フランスで買い物をする日本語話者には新たな問題が生じた。deux euros「2ユーロ」とdouze euros「12ユーロ」の混同である。eurosが母音字始まりなので、deux eurosは「ドゥーズューロ」とリエゾンする。するとdouze eurosとの発音のちがいは –eu– [ø]と-ou- [u]の差だけになり、発音し分けるのはとてもむずかしい。誤解を避けるには、deux euros, deux、douze euros, douzeと deux, douzeを繰り返すのがいいだろう。カフェで給仕が注文を厨房に伝えるときにも、deux cafés, deuxと数字を繰り返すことがあるが、それと同じやり方だ。
リエゾンについてはおもしろい思い出がある。フランスにZ’amino「ザニモ」という動物の形をしたビスケットがある。この製品名はリエゾンに関する子供の誤分析に由来する。子供は類推により次のように誤って言葉を句切る。
les crayons 「レ・クレヨン」(鉛筆)
les animaux「レ・ザニモ」(動物)
子音字始まりの単語で「レ」が定冠詞だと理解し、それを母音字始まりの単語にも当てはめて、「動物」の複数形は「ザニモ」だと考えるのである。
フランスの幼稚園に通って半年ほどになる当時5歳の娘が、家族で南仏を旅行していたときに、「次はどこのノテルに泊まるの?」とたずねるのを耳にして驚いた。これも子供がよくやる誤分析である。
un crayon「アン・クレヨン」(鉛筆)
un hôtel「アン・ノテル」(ホテル)
子音字で始まる単語に不定冠詞の単数形が付くと、「アン・クレヨン」となる。それを母音字で始まる単語にも当てはめると、-nのリエゾンがあるので「アン・ノテル」と聞こえる。そこから「ホテル」の単数形は「ノテル」だと考えるのである。フランスに滞在して半年にしかならない子供が、類推によって新しい言語を習得していく姿を目の当たりにするのはとても印象深い体験だった。
(注1)最近、ハイエイタスというロックバンドがいることを知った。ハイエイタスは hiatusの英語読みである。
(注2)開音節とは ma 「マ」のように母音で終わる音節のこと。but「ビュット」のように子音で終わる音節を閉音節という。
(注3)『フランス語覚え書き』Remarques sur la langue françoise, 1647.