「フランス語100講」第8講 文 (2)

 国語学・日本語学を学んだ目で欧米の言語学を眺めると、「文」は〈主語+述語〉からなるという一本槍で、とても硬直した印象を受けます。一方、国語学・日本語学では昔から文タイプの研究が盛んに行われてきました。その理由のひとつは、日本語には次の例のように助詞の「ハ」と「ガ」の区別があることです。

 

 (1) a. 空青い。

         b. あっ、空まっ赤だ!

 (2) a. Le ciel est bleu.

         b. Tiens ! Le ciel est tout rouge !

 

 フランス語では (2 a) (2 b) のように〈主語+être+形容詞〉という文型にちがいが現れません。日本語の文タイプについては今までにさまざまな提案が行われてきました。ここでは仁田義雄氏(注1)と三尾いさご氏(注2)の文タイプを見てみましょう。(注3)

 仁田氏はモダリティのちがいに基づいて次のような文タイプを提案しています

 

 (3) 働きかけ         命令「こっちに来い」

                                   依頼「いっしょに食べましょう」

 (4) 表出           意志・希望「今年こそがんばろう」

                                   願望「明日天気になあれ」

 (5) 述べ立て      現象描写文「子供が運動場で遊んでいる」

                                   判定文「彼は評議員に選ばれた」

 (6) 問いかけ         判断の問いかけ「彼は大学生ですか」

                                   情意・意向の問いかけ「水が飲みたいの」

 

 このうちでここでの話に関係があるのは「述べ立て」です。「働きかけ」や「問いかけ」とはちがって、「述べ立て」は何らかの事実や判断を述べるときに用いる文です。「述べ立て」には「現象描写文」と「判定文」の2種類があるとされています。現象描写文と判定文にはいろいろなちがいがありますが、ここで重要なのは次の特徴です。

 

 (7) a. 現象描写文は助詞「ハ」でマークされた主題を持たない(無題)。

    i) 子供が遊んでいる。

   b. 判定文は「ハ」でマークされた主題を持つ(有題)。

    ii)私はこのチームのキャプテンです。

 (8) a. 現象描写文は疑問や否定の対象にならない。(注4)

         i)?あっ、荷物が落ちるか?

           ii) ?あっ、荷物が落ちない。

                (文頭の疑問符は容認度が低いことを表す)

   b. 判定文は疑問や否定の対象になる。

    i) あなたはこのチームのキャプテンですか?

    ii) 私はこのチームのキャプテンではありません。 

 

 (7 a) (7 b)が示しているように、現象描写文と判定文のちがいは、助詞の「ハ」と「ガ」のちがいと強く結びついています。さきほどフランス語では文型のちがいは現れないと書きましたが、実はフランス語にも次のような現象描写文に特有の文型があります。しかしフランス語学ではこのような文タイプはあまり注目されていません。(注5)

 

 (9) Tiens ! Le facteur qui passe.

   ほら、郵便屋さんが通る。

 

 次に三尾氏の文の理論を見てみましょう。三尾氏の理論では「場」という概念が重要な役割を担っています。その定義はちょっとわかりにくいので、私の解釈を交えて説明してみましょう。

 日常、私たちは何のきっかけもなく「空は青い」などと言うことはありません。隣に座っている人が突然そう言ったら驚きますね。私たちが何かをのべるときには何らかのきっかけがあります。たとえば、「あっ、雨だ」と言うときには、雨が降り出したという外界の様子がきっかけです。また、「あなたはどちらのご出身ですか」とたずねられて、「京都です」と答えるときは、相手の質問がきっかけになります。このように、何かの発話をうながすきっかけとなるものが三尾氏の言う「場」なのです。

 「何だ、それは言語学で言う発話状況 (situation d’énonciation) と言語文脈 (contexte linguistique) を足し合わせた co-texteのことじゃないか」と思った人もいるでしょう。しかしふつう言語学では、発話状況や言語文脈は、文のあいまい性を除去し解釈を助けるものとされています。しかし三尾氏の文理論では、「場」はそのような補助的なものではなく、ときには文の一部となるものだというちがいがあります。

 「場」と文との関係に基づいて、三尾氏は次のような4つの文タイプを提案しています。

 

 (10) 場の文(現象文) 「雨が降っている」

 「場の文」は「現象文」とも呼ばれています。現象文は、現象に判断の加工をほどこさずありのままに述べたものとされています。形式的には、格助詞の「ガ」が使われ、述部は動詞で「〜ている」や「〜た」の形になります。「場の文」では、場と文とは一体化しているとされます。

 (11) 場を含む文(判断文)

 「場を含む文」は「判断文」とも呼ばれています。この文タイプの特徴は助詞の「ハ」でマークされた主題を持つことで、「AはBである」という話し手の判断を表します。

 (12) 場を指向する文(未展開文)「あ! 」「雨だ!」

 梅が咲いていることに気づいて「あ!」と言葉を漏らしたり、雨が降り出して「雨だ!」と言うとき、文の内容は十分に展開されておらず不十分ですが、「梅が咲いている」や「雨が降り出した」という「場」を指向して表現しようとしています。

 (13) 場と相補う文(分節文) (これは?)「梅だ」

 「場と相補う文」は、「これは?」とたずねられたときに、「梅だ」と答える場合です。「これは?」という問が場として働き、それを受けて「梅だ」と答えるので、「これは(場)+梅だ」のように、場と相補って文として成り立ちます。

 

 三尾氏の「現象文」はほぼ仁田氏の「現象描写文」、「判断文」は「判定文」と同じものとみなしてよいでしょう。三尾氏のユニークな点は、未展開文や分節文のように、ふつうは文の断片とされるものまで文タイプに含めたところにあります。

 このように日本語学で提案されている文タイプは、フランス語を考えるときにどのような手がかりになるのでしょうか。それは文というものをどう捉えるかという問題に深く関わります。文法書には次のような例文がよく見られます。(注6)

 

 (14) Ce qui entend le plus de bêtises dans le monde est peut-être un tableau de musée.   (Les Goncourt)

世の中でいちばんたわ言を聞かされているのは、おそらく美術館に展示されている絵だろう。(ゴンクール兄弟)

 この例文の特徴は、〈主語+述語〉の構造を取っているだけでなく、文の意味を解釈するために文脈も発話状況も必要としないという点にあります。教科書や辞書の例文は、それだけで十分に意味が取れるものでなくてはなりません。この例文の意味を理解するために、誰が、誰に向けて、いつ、どこで、何を受けて発話されたかという付随的な情報が必要ないのはそのためです。三尾氏の用語を使うと、「場」の拘束や規定が一切ないのです。「場」に影響されることなく、いわば無重力の真空中を漂っているような文です。

 しかし、実際に私たちはこのように場の影響を受けずに話すことはありません。実際のフランス語の会話例を見てみましょう。家の改装計画を工事業者と話しているところで、Aが業者で、Bが発注者です。(注7)

 

 (15) A : Voilà alors euh je vais vous expliquer ce que j’ai fait.

            B : Oui.

            A : Puis après vous regardez les prix.

            B : C’est le prix qui intéresse en plus en premier.

            A : Ah, non. C’est quand même le travail … c’est… voilà je vous ai fait un petit croquis là.

            A : じゃあ私が用意したものを説明しましょう。

            B : ええ。

            A : それから後で値段を見てください。

            B : いちばん大事なのは値段ですよね。

            A : いや、でも仕上がりの方が…、それは…、ここにかんたんな図面を用意しました。

 

 自宅の改装工事の話をしているという説明がなければ、何の話をしているのかさっぱりわからないでしょう。工事を発注するという話し手Bの意図や、業者Aが用意した図面、ひとつ前のターンで相手が言ったことなどが、この会話の「場」を形成しています。私たちが実際に言葉を使うときには、話し手と聞き手のキャッチボールのようなやり取りの中で、「場」に規定され、「場」と呼応するように会話が進むのです。

 フランス語で「場」を考慮に入れなければ意味が取れない文をひとつ紹介しましょう。(注8)

 

  (16)[夫にベッドで朝食をとらせようと運んで来たのに夫がもう起きているのを見て]

   Moi qui me réjouissais de te server ton petit-déjeuner au lit !

                                                                   (Simenon, Un Noël de Maigret)

   あなたにベッドで朝食を食べてもらうのを楽しみにしていたのに!

 

 この〈Moi+関係節〉構文は、期待・予期していたこととは逆のことが起きたときに使います。妻は夫のメグレ警視にベッドで朝食を食べてもらおうと、寝室まで朝食を運んで来たのですが、夫はもう起床して服を着替えていたのです。この文には次の① ② が発話を支える場として働いています。

 ①「夫にベッドで朝食を食べてもらおう」という話し手の意図

 ② 予想に反して「夫はもう起きていた」という出来事

 どちらが欠けてもこの文は成立しません。このような構文を理解するには「場」という概念はとても有効だと思います。

 

(注1)仁田義雄『日本語のモダリティと人称』ひつじ書房、1991.

(注2)三尾砂『国語法文章論』三省堂、1948.『三尾砂著作集 I』ひつじ書房、2003に再録。

(注3)国語学における文タイプの研究は、おそらく松下大三郎『標準日本文法』(1924)までさかのぼる。松下は「有題的思惟性断定」と「無題的思惟性断定」を区別した。また三上章『続・現代語法序説 — 主語廃止論』(1959)は、「有題文」と「無題文」の区別を提案している。これ以外にも、Kuroda, S.-Y.(黒田成幸)の categorical judgement(二重判断)/ thetic judgment(単一判断)、益岡隆志の「属性叙述文」と「事象叙述文」などがあり、文タイプの研究は日本語学では盛んに行われている。

(注4)ただし、「あっ、財布がない!」のような現象文では否定が可能である。

(注5)フランス語学ではDanon-Boileau, L. « La détermination du sujet », Langages 94, 1989が、現象文と判定文に相当する文タイプを提案している。Un étudiant a appelé ce matin pour toi.「今朝、学生が君に電話してきた」のような文は énoncé événement「出来事文」と呼ばれていて「現象文」に当たる。Ravaillac détestait la poule au pot.「ラヴァイヤックは鶏のポトフが嫌いだった」のような文はénoncé de type propriété「属性叙述文」と呼ばれていて、「判定文」に相当する。

(注6)京都大学フランス語教室編『新初等フランス語教本 文法篇』白水社

(注7)エクス・マルセイユ大学 (Université d’Aix-Marseille) 大学で採取されたフランス語会話コーバスより。

(注8)このタイプの文は、小川彩子「〈Moi+擬似関係節〉型構文と脱従属化」『フランス語学研究』54, 2020 でくわしく考察されている。