第321回 横山未来子『とく来たりませ』

夕風のいでたる庭を丈たかき百合揺れてをり花の重みに

横山未来子『とく来たりませ』

 次の歌集の出版が待ち遠しく、出たらすぐに読む歌人が何人かいる。横山未来子は私にとってはそんな歌人の一人だ。横山ほど短歌を読む喜びを感じさせてくれる歌人はそうはいない。第一歌集『樹下のひとりの眠りのために』(1998年)、第二歌集『水をひらく手』(2003年)、第三歌集『花の線描』(2007年)、第四歌集『金の雨』(2012年)、短歌日記の『午後の蝶』(2015年)、すべて読んだ。『とく来たりませ』は2021年に上梓された第五歌集である。歌集タイトルは、メシアの出現を待ち望む賛美歌から採られている。「とく」は「疾く」、つまり「早く」のこと。

 『樹下のひとりの眠りのために』について書いたコラムで私は「時間の重み」をキーワードのひとつとして挙げた。本歌集にもそれは依然として感じられるものの、一読して脳裏に浮かんだ言葉は「恩寵」である。本歌集には一首だけその言葉が使われた歌がある。

かなしみはかなしみのまま透明なる恩寵の降る木の間をゆけり

 恩寵とは神が人間に与える無償の愛であり、キリスト者である横山にとっては特別な意味を持つ言葉だろう。恩寵は天からあまねく降り注ぐものであるが、たとえば掲出歌を見てもそれが感じられる。掲出歌は一見すると単なる叙景歌である。「夕風」で時間がわかり、「庭」で場所が知れる。自宅の庭に咲く百合の花が夕方の風に揺れているという光景を詠った歌である。しかしそれは歌の表面的な意味にすぎない。叙景の裏側に隠れている意味は、「かく在ることの重み」であり、「かく在ることの有り難さ」である。ここで「有り難さ」というのは、存在することが難しく稀だという元の意味で使っている。〈私〉が今ここに居て、庭の百合の花が風に揺れているのを眺めていることが奇跡であり恩寵なのだ。

 思えばそれは近代短歌・現代短歌が手を変え品を変えて表現しようとしてきたものかも知れない。それは「一期一会」と呼ばれることもあり、穂村弘はそれを「生の一回性の原理」と呼んだ(『短歌の友人』所収の「モードの多様化について」)。それは誰も人生は一度しか生きられないという当たり前のことではなく、たとえ尾羽うち枯らして落魄していようが病の床に伏せっていようが、〈私〉が今ここに在るという瞬間の輝きは失せることがないというほどの意味である。掲出歌に限らず横山のどの歌からも濃厚に感じられるのは、この意味での「生の一回性」であり、今かく在ることの有り難さである。

水に触るるごとくにかをりにふれて見る薄日のなかの梔子の白

柘榴六つすべて色づきたるを見ぬ今年の秋にわれは立ち会ひ

去年の実の黒きをあまた垂らしをりあたらしき香の花のあはひに

三輪草群れゐるあたりゆるやかにみひらくごとく届く陽のあり

八月の夕ぐれの風ひろがりて蜘蛛の巣とほそき蜘蛛をあふりぬ

 本歌集に収録された歌のほぼすべてが叙景歌なのだが、上に述べたようなことが的を射ているのならば、横山の歌は何を描いていようとも「今かく在ることの有り難さ」という根源的な主題の変奏曲だとも見なすことができよう。『現代短歌100人20首』(邑書林、2001年)に短歌が収録された折に、編集委員の求めに応じて答えた「作歌の信条」に、「言葉の持つ力を活かしながら、生を基盤とした歌を作っていきたい」と横山は書いているので、あながち的外れとも思えないのである。

 とはいうものの根源的な主題を歌に変えるにはそれなりの技法と手腕が必要である。たとえば一首目、梔子の強い香りが漂って来る。それを「水に触るるごとくにかをりにふれて」と表現していてうっとりする。二首目は庭にある柘榴の木になった実がすべて紅く熟したという歌で、ポイントは「今年の秋」にある。三首目は今年咲いた花の間に去年実った実が残っているという歌で、ここにも流れる時間意識が表れている。四首目も美しい歌で、三輪草の群れるあたりに照る日光はそのまま恩寵である。

 本歌集を通読して改めて感じたのは、微細なことに気づく横山の感覚の鋭敏さである。それはたとえば次のような歌に感じられる。

卓を垂るる檸檬の皮のゑがかれて螺旋の内にひかり保たる

かすかなる音を聞きたり紙にあたり折りかへさるる穂先の跡に

テーブルの日差しは本をのぼりきて紙にありたる肌理をうかべぬ

ひとの靴のありにしあたりまはりたる風のかたちに枯葉のこりぬ

 一首目はおそらく展覧会で見たフランドル派の写実的な静物画だろう。銀色のナイフで剥かれたレモンの皮が螺旋形に垂れているのだが、その皮の内側に光が宿っているところに注目している。二首目は書の展覧会を見た折の歌で、筆の穂先が紙に当たるかすかな音がまるで聞こえるようだと詠っている。三首目は午後の陽が傾いてテーブルに開いた本にまで届くと、紙の表面の微細な凹凸が影を得て顕わになるという歌。四首目は庭先に訪問客の靴が脱いでおかれていたのだろう。もう客は帰ったので靴はないが、靴のあったあたりだけ枯葉が落ちていないという歌である。何かがあることに気づく歌は多いが、この歌のように何かがないことに気づくのは存外難しいことだ。これらの歌の描写の微細さは、「昼しづかケーキの上の粉ざたう見えざるほどに吹かれつつあり」と詠った幻視の女王葛原妙子を思わせるものがある。

 もうひとつ留意すきべきなのは、多くの叙景歌において歌中の視点主体の位置が明確だという点である。

肩で傘ささへてあゆむをさな子の後ろをゆけば傘の柄見ゆ

ゆふぐれは窓よりにじみゆふぐれを歩みてをらむ人をおもはす

座席よりあふぎてゐたり組みあはむとする両の手のごとき並木を

父親のせなに眠れるをさなごの靴の片方脱げゐるが見ゆ

褐色に朽ちたる花もかかげつつ幹ふとき木はわれを仰がしむ

 一首目、前を歩いている子供には傘が重すぎるので肩で支えている。すると傘が後ろに傾ぐので、傘の布面に描かれた図柄がよく見えるという歌。子供の後ろを歩く〈私〉の位置が明確である。二首目は室内にいて窓の外を眺めている歌。「ゆふぐれ」がルフランのように反復されて効果的だ。三首目では「座席よりあふぎて」によって、〈私〉が自動車の座席に坐っており、窓かルーフウィンドウを通して外を眺めていることがはっきりわかる。四首目では父親の背に負われて眠っている幼児を背後から見ているのである。五首目では結句の「われを仰がしむ」によって〈私〉が大樹の根方にいることがわかる。近年、視点主体の位置取りがわからない歌が増えたように感じるが、横山の歌ではたいてい視点主体の位置がはっきりとわかる。

 思えば明治期の短歌革新運動で、短歌が「自我の詩」と規定されたことにより、歌の中に〈私〉が入り込んだ。それと平行的に歌の主体の不動の視点が制度化されていく。このような経緯を考えると、横山の短歌は近代短歌が制度化した技法をいまだ忠実に守っている例と捉えられるかもしれない。そのためもあってか、横山が1996年に「啓かるる夏」で短歌研究新人賞を受賞したとき、選考委員の塚本邦雄に「隔靴掻痒の感がある」と評され、他の選考委員からも「新しさがない」と言われたという。新人賞では従来の短歌にはない新しさが求められることが多いので、近代短歌の王道を行くような横山の歌は新人にしてはおとなしすぎると感じられたのかもしれない。しかしながら、「新しさ」が本当に必要な美質なのかは一考の余地があろう。

 いつものように特に心に残った歌を挙げておく。

枯芝にまじるひらたき雑草に影ありてわが影につながる

アルミ箔破らむときに手にひびくあかるさとして星は死にたり

外光のふかく入る頃わがまへに置かれたる白きカフェオレボウル

滅びむとする夏としてことごとく雨に項垂るるしろき百合あり

丈ひくき草に入りたるしじみ蝶薄暮のいろの翅を閉ざしぬ

口あけたる無花果の蟻の這ふ日ぐれほろびへ向かふもののこゑせり

花のひかり落つる水面をすすみゆく水鳥に花の冷えは移らむ

木の下の落ち葉は雨にぬれずあり濡るるものよりしろき色にて

 最後の「木の下の」の歌などは、巧者吉川宏志を彷彿とさせるような発見の歌である。四首目「丈ひくき」の「薄暮のいろ」もなかなかに美しい。私が最も「恩寵」を感じ、本歌集を代表するような歌と思ったのは次の歌である。

充ちながらそこにあるべき木木のもとへ運ばむとせりけふのいのちを

 「そこにあるべき」と詠われているのだから、「そこにあるにちがいない」あるいは「そこになくてはならない」木は、今はまだそこにないのである。それは今ここに在ることに充ちている木であり、その木は自らのあるべき姿の喩として屹立している。〈私〉はそんな幻視の木に向かって今日も命を運ぶのである。


 

第28回 横山未来子『花の線描』

一日のなかば柘榴の黄葉のあかるさの辺に水飲み場みゆ
               横山未來子『花の線描』
 
 掲出歌は「柘榴のある水彩画」と題された連作の中の一首なので、絵に描かれた風景だと思われる。「一日のなかば」とあるので、小昼時か昼過ぎのよく晴れた日である。季節は木々の葉が色づく秋で、一首前の歌により舞台は公園と知れる。公園ならば人気があるはずだが、この歌の静謐さからは人の気配が感じられない。キリコの絵のように不思議な静けさがあたりを支配している。黄葉した柘榴と公園の水飲み場だけが描かれた歌だが、単なる叙景に留まらず、その背後にこの光景を見ている視線が強く感じられるのは何故か。私がまっさきに感じたのは「末期の眼」に映った光景という印象である。それは歌集を半ばまで読み進む過程で、歌の意味の重層化によって私の心の中に積み重なった意味の堆積が生み出したものかもしれない。
 横山についてはこのコラムの前身である「今週の短歌」という、今から思えば実に芸のない散文的なタイトルの短歌批評コラムで2004年12月に取り上げている。横山は1972年生まれで「心の花」所属。1996年に「啓かるる夏」で第39回短歌研究新人賞受賞。歌集に『樹下のひとりの眠りのために』(1998年)、『水をひらく手』(2003年)があり、『花の線描』は2007年刊行の第三歌集にあたる。表紙の花の線描画は作者本人の手になるもので、ブックデザインは4歳上の姉の未美子さんが手がけている。歌集作りのこういう細部に宿る意味は大きい。これが意味するのは姉妹の仲の良さと、家族に支えられた作者本人の生き方だろう。セレクション歌人『横山未來子集』(邑書林)の作者近影もお姉さんの撮影したとてもいい写真だった。第一歌集から第三歌集まで4~5年の間隔で歌集刊行が続いており、横山がたゆみなく短歌の道を歩いていることがわかる。今回『花の線描』を通読して、作者が成長し歌境を深化させていることが確認できる。端正な文体で彫啄された清潔な横山の歌の世界は変化していないが、明らかに深みが増している。
 では横山の歌の世界はどのように深化したか。それはあらゆる人間の成長がそうであるように、世界における自分の位置づけ、すなわち〈私〉と世界との距離を測定する作業を通じて、自分とは何かを自覚する過程である。横山は静謐な思考と自己への沈潜という内的作業によりこれを果たしたが、キリスト者である横山にはイエスの言葉もそれに与っていることは想像に難くない。この内的沈潜から横山が導き出した観念、そして本歌集『花の線描』を貫くライトモチーフは「時の重み」である。
時の重みおのおの負ひて地中へと入りゆくごとき雪を見て経る
 なぜ時の重みなのか。それは生来の病弱ゆえ車椅子の生活を余儀なくされている作者には、他の人とはやや異なる時間が流れているからだろう。横山にとって時間は人よりわずかに重いのである。
去年の冬のわが知らざりしわれとして来て蝋梅のかうにまじりぬ
卯の花の咲き撓みゐるゆたかさよたれもたれもが時をこぼせり
野分過ぎし道に黄葉もみぢば乾きをりひととせはわれを此処に連れ来つ
人あらぬ春の白日花びらに時の至りて土へ落ちゆく
まばたきの間に暮れゆけるけふの日のわが掌のうへの赤き鶏卵
 時間をテーマにした歌を書き出してみた。一首目、今年の私は去年の私が知らない誰かであるという逆転された時間意識の中に、時の旅人としての人間の姿が描かれている。二首目、卯の花は純白の小さな花をつけ、細い枝は花の重みに撓む。しかし花の時間は短く、雨など降ればすぐ地面にこぼれてしまう。下句「誰もたれもが時をこぼせり」にはこの世の誰も逃れることのできない摂理の自覚があり、この自覚が歌に清澄な透明感を与えている。一首目にも見られることだが、横山の中では自分が動くという感覚より、私が何かに動かされるという感覚の方が強いようだ。この感覚は三首目の下句「ひととせはわれを此処に連れ来つ」に如実に現れていて、〈私〉は時間に運ばれる存在として把握されている。四首目は桜を詠んだ歌だが、ポイントはもちろん「時の至りて」にある。ここには自然の摂理の自覚と同時に、微量の諦念すら感じられる。五首目は時間の流れの速さと、生命の象徴である鶏卵との対比が眼目である。
 冒頭に「末期の眼」と書いた。川端康成の文章に「末期の眼」と題されたものがある。ふだん見慣れた風景であっても、死を目前に控えた末期の眼で見ると洗われたように美しく見えるという趣旨だったと思う。歌人の中で末期の眼を最も感じさせるのは小中英之だろう。
黄昏にふるるがごとく鱗翅目ただよひゆけり死は近からむ 
                 『わがからんどりえ』
海よりのひかりはわれをつつみたりつつまれて臨終いまはのごとく眼を閉づ
                     『過客』
 宿痾を抱えていた小中にとって死は身近な親しい存在であった。遺歌集『過客』のあとがきに、小中が終生詠い続けたのは季節の過客の自覚と死への親しさだったと佐佐木幸綱が書いている。横山はまだ若いが生来の病弱ゆえ、自分を終わりへと導く時の重さの自覚が透徹した眼差しを与えたようだ。それが本歌集における歌境の深化をもたらしたものと思われる。まさに人は「季節の過客」、横山もまた小中と同じくそう言っているようだ。
 「時の重さ」の変奏として「空間の重さ」もまた横山の着目するところのようだ。
鳥にわづか果皮剥かれたる柑橘の冬の空間に重くみのれり
熱のなきひかりを生みて手底たなぞこに在りぬあらざるごとき軽さ
けふ冬となれる光よ音たててわれの行く手をに熟柿は落ちぬ
 重く実る柑橘も地上に落ちる熟し柿も、時間の経過のなせる業であり、このとき時の重さと空間の重さは結び合う。二首目は蛍を詠んだ歌で、ここでは重さの対極にある軽さが生命の短さの象徴となっている。
 横山の歌の特徴のひとつに、ふつうの意味における生活詠や職業詠がないことがあげられる。買い物籠のキャベツや職場のうるさい上司といったものは横山の歌にはまったく登場しない。自宅にいることの多い生活上の制約に起因するものではあろうが、それだけではないように思う。身めぐりを詠ってもそこに具体性を持たせることは可能なはずである。しかし横山の歌には人名・地名など具体性を感じさせる固有名が極端に少なく、事物は「鳥」「花」「湖」「町」「友」といった抽象的カテゴリーに昇華されているのだ。
薄紙は椅子にかかれり春の花を巻き締めてゐし疲れを残し
雪を残し今朝のあかるさ漆黒の翼ひろぐる鳥流れたり
をねだりゐし燕の子らの眠りゆき夜の空気のうつくしき町
地のうへの枯れ葉踏みゆく音しるく湖の縁冷えはじめたり
 生活に密着した具体性がほとんど見られないため、どこか童話や神話のごとき非人称的空間を漂う趣がある。しかし具体性の欠如が横山の歌の瑕疵かというとそうではなく、逆にそのために歌は作者個人の具体性を離れ、抽象と普遍の空間へと飛翔することになる。横山が「かなしみ」と書くとき、それは第一義的には〈私〉の悲しみなのだが、歌に詠まれたときには〈私〉の手を離れ、誰のものでもある「かなしみ」になるのである。例外的に具体性を感じさせるのは「あらせいとう」などの花の名と猫の描写で、作者が花と猫に寄せる深い愛情を偲ばせる。
 歌集巻末に収録されている百首連作「四つの窓のある部屋」は、同人誌「三蔵」2号に発表されたもので、「東の窓」「南の窓」「西の窓」「北の窓」にそれぞれ春夏秋冬の季節の歌を配している。一首ずつ引いてみよう。
立てかけられし斧の柄も朽ちゆくほどに永き日花の影は揺れゐつ
逃れられぬわが輪郭の見ゆる日を影もろともに動かむとせり
きのふに似る今日と思へる黄昏の窓の傍への塩のあかるさ
天上とおもふ位置より降りて来ぬ冬の小鳥の嘴を出づるこゑ
 古典和歌の部立を思わせる構成だが、ここにも確実に時間は流れており、歌集全体の中に置いても決して調和を乱すことはないのである。
 最後に特に印象に残った歌を引いておこう。
見えぬものを遠くのぞみて歩むとき人の両腕しづかなるかな
てのひらに湿りて在りし夏蜜柑の色ながれ出づ視野をはなれて
神の息のごとくに風の鳴れる朝しんしんとひとは行き交ふ四方よも
しばらくを蜜吸ひゐたる揚羽蝶去りゆきて花浮きあがりたり
粉のやうに薄日にひかる秋雨の甕を満たせるまでのわが生

081:2004年12月 第2週 横山未来子
または、反射率と屈折率の生み出す硬質の抒情

胸もとに水の反照うけて立つ
     きみの四囲より啓(ひら)かるる夏

        横山未来子『樹下のひとりの眠りのために』
 「きみ」と呼ばれている男は、川のほとりに立っているのだろう。日光が川面に照り映えて、その反照が男の胸を明るく照らしている。男は〈私〉の憧れの人である。男の周囲が周りの風景から切り取られたかのように鮮やかに私の目に映る。そうして夏が始まると〈私〉が感じているのは、もちろん〈私〉の恋のゆえである。男に寄せる〈私〉の想いが、夏の日差しと水の匂いを背景として際立つ相聞歌である。

 横山は1972年生まれで「心の花」所属。1996年(平成8年)に掲出歌を含む「啓かるる夏」で短歌研究新人賞を受賞している。ちなみに、前年1995年の受賞は田中槐、1994年は松村由利子、1993年は寺井淳であり、陸続と才能が世に出た頃だったことがわかる。ちなみに目黒哲朗が一年年上で1971年生まれ、佐藤真由美・佐藤りえ・玲はる名が1973年生まれで少し年下になる。この世代は『サラダ記念日』が出版された1987年に15歳前後だから、俵万智によって始めて短歌と出会った世代と言ってもよい。このために口語短歌が、なかでも会話体短歌が当たり前になるのがこの世代からなのだが、横山はそんな中にあってひとり我が道を行くように端正な文語律の歌を作り続けている。その歌風は古典的と言ってもよく、硬質の抒情と透明感溢れる歌の世界は、同世代のなかで際立っている。

 若い女性の例に漏れず、横山の短歌のモチーフの中心は相聞なのだが、そのモチーフを歌にするとき目立つのは、言葉の選択の細やかさと、自分を見つめる眼差しの確かさである。言葉の選択の細やかさは、横山の言語感覚の鋭さを証明しており、自分を見つめる眼差しの確かさは、年齢に似合わない老成と言ってもよい世界観に発している。歌集あとがきによると、車椅子での生活をしているとあり、横山の置かれた境遇が大人びた世界観を生み出したのかも知れない。「モラトリアム」と言われ「ピーターパン症候群」と呼ばれ、大人になれない若者が増加した現代にあって、これはなかなかに希有なことである。

 横山の短歌世界を言い表すのに「反射率と屈折率の短歌」という表現を使ってみたい。それはひとつには、第一歌集『樹下のひとりの眠りのために』、第二歌集『水をひらく手』を通じて、水と光に関する歌がとても多いという理由からだが、それだけではない。横山の短歌が作者の心の反射率と屈折率を実に木理細やかに詠っているからである。それは第一歌集『樹下のひとりの眠りのために』冒頭に近い次の歌からすでに顕れている。

 ボート漕ぎ緊れる君の半身をさらさらと這ふ葉影こまかし

 ボートを漕いでいる男の体に日光が当たり木の葉の影が映る。それを「さらさらと這ふ」と表現したところに動きと爽やかさがあり、季節は春か初夏だと思わせる。ここには光の反射があり、その反射を見ている〈私〉がいるのだが、その光の反射は〈私〉の心のきらめきの反映でもある。

 瞬間のやはらかき笑み受くるたび水切りさるるわれと思へり

 シャツの背に五月の光硬ければ追ひかくる日のなしと思へり

 青草に膝をうづめて覗きこむ泉にわれは映らざるなり

 スポークに夏の夕光散らしつつ少年の漕ぐ自転車過ぎつ

 一首目、男が微笑む度に自分が水切りされるように感じる。「水切り」は洗った野菜を水切りするの意とも取れ、石を川面に投げる水切りの意とも取れるが、後者と取るほうがいいだろう。自分が水切りされる石のように感じられるというのだが、ここでは〈私〉は心躍って反射する石そのものである。しかしどうも横山の恋は実らぬ恋だったようだ。二首目、男のシャツの光の反射は一転して、自分を拒む光と捉えられている。三首目、〈私〉が覗きこんでいる泉とは、相手の男の心の泉であろう。自分はその泉に映らないという片恋である。四首目は相聞歌ではないのだが、スポークに光る夏の夕方の光は反射そのものであり、横山は世界がこのような形を取って立ち顕れるとき最も歌心を動かされるのである。

 では屈折の方はどうか。次のような歌に屈折を感じることができよう。

 月と藻のゆらめきまとふ海馬(うまうま)となりたり君の前にうつむき

 冬芽もつ枝くぐりつつ再会を薄日のやうに恃みてゐたり

 手渡さぬままのこころよ口中のちひさき氷嚥みくだしたり

 昼と夜を経てふりむかば硝子器の影のあはさとならむ逢ひかも

 水に差す手の屈折を眺めゐる夏のゆふぐれや過去のゆふぐれ

 一首目、男の前でうつむくのは自分の心が伝えられないからであり、心が相手に届く前にまるで屈折するかのように地に落ちる、そのような歌がたくさんある。二首目、再会は冬の薄日のようにはかなく望みのないものであり、横山は自分の恋をそのようなものとあらかじめ見なしているようである。三首目には屈折し相手に届かない心が口に含む冷たい氷として詠われている。四首目では、男との恋はまるでガラス器に反射する光のようにはかないものかもしれないと詠まれている。ガラスに反射する光は屈折するのであり、この屈折する光が横山の歌にたゆたいと奥行きを与えている。五首目には、手を水に入れて屈折する有様を眺めている自分が詠まれており、この一首は横山の眼差しを象徴する歌といえるだろう。

 世界に対する自分の位置取りという点から見て横山の短歌にもうひとつ特徴的なのは、自己が屹立する存在として事物と対峙するのではなく、自分を何物かが通過する媒質と捉える身体感覚であろう。この感覚は次のような歌に顕著に看て取れる。

 胡弓の音凪ぎたる後もふるふ闇わが諦めはかりそめならむ

 眠られず君は寝がへりうちゐるかわが夢の面(も)のときに波立つ

 秋草のなびく装画の本かかへ風中をゆくこの身透くべし

 両腕をひらきて迎へゐるわれをまつすぐ透過してゆくひとか

 抱へもつ壺の内にて水は鳴り予感せりとりのこさるる日を

 一首目、鳴りやんだ胡弓の弦の振動は闇とともに〈私〉の体をも震わせており、それはまだ体内に残る恋人への思いと共振する。ここでは〈私〉は振動する媒質と捉えられている。二首目、遠くにいる恋人を想う夢のなかで、〈私〉は波立つ媒質である。三首目では、自分が風の通り抜けるほど透明な媒質になりたいという願いが詠われている。四首目は媒質であることの悲しさが表面に出ており、恋人は自分の体にぶつかることなくそのまま透過してしまう。五首目の「抱へもつ壺」は本当の壺ではなく、自分の身体と心の比喩だろう。そこにもまた水が満たされており、心の動きは水の波動として知覚されている。

 水や空気のような媒質は自ら動くことができない。外部から力を受けたときにだけ、波動としてそれを伝えるのである。だから媒質は徹底的に受動的存在なのだ。横山が自分を媒質と見なすとき、自分からは外部や他者に働きかけることのできない弱い存在だと認識しているのだろうか。いや、そうではあるまい。

 風に乗る冬の揚羽にわが上に一度かぎりの一秒過ぐる

 一生のうちのひとひのひとときを夕雲に薔薇いろの湧き消ゆる

 木の生きし月日は残り背後にてうすむらさきに地を覆ふ光(かげ)

 上の最初の二首は、一度限りの現在という時間は取り返しようもなく自分にも揚羽にも流れているとする時間認識を詠っている。そこには自分と揚羽を区別せず、どちらもこの世に生かされている存在だと見る眼差しが感じられる。また三首目は、紫の花を咲かせていた桐の木が道路拡張工事のために切り倒されるまでを詠んだ連作の最後の歌なのだが、切り倒された桐の木の生きた日々を紫の残光として幻視しており、ここには存在のはかなさと同時に、それを超えて連続するものへの強い希求がある。このような強い希求を持つ人を決して弱い存在だと見なすことはできないだろう。自己と世界の関係のこのような把握は、横山が20歳のときに受洗したキリスト者だということと深く関係していると思われる。だから横山の短歌は世界への祈りなのであり、声を荒げることがなくてもその静かな祈りは深く人の心に届くのである。

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