ひとつ水脈ひきて渡れる鳥の陰ちさくうかべてあしたの川は
黒田瞳『水のゆくへ』
黒田瞳『水のゆくへ』
歌との出会いは〈われ〉と歌との純粋二項対立関係が理想だ。立ち寄った書店の書棚から、偶然性に身を任せて歌集を一冊引き抜くのがよい。また作者が未知の人で、個人情報が一切欠落していることが望ましい。読者の私は短歌の言葉のみに導かれて、未踏の世界に参入する至福を味わえるからである。
しかし、なかなかこうはいかないのが現実だ。まず書店に歌集が置かれていない。またいらぬ知識ばかりが増えて私の読みを阻害する。げにままならぬがこの世の定めだが、今回取り上げる歌集についてはほぼ理想に近い。「ほぼ」というのは、2004年3月に本コラムの前身「今週の短歌」に書いた「レ・パピエ・シアンの歌人たち」で黒田の歌を4首引いているからである。従って厳密に言えば「お初」ではなく、再会ということになる。
黒田瞳は「未来」に所属して岡井隆の選歌を受け、同時に同人誌「レ・パピエ・シアン」でも活動している歌人である。『水のゆくへ』は第一歌集。跋文は師の岡井。2001年から2010年までの10年間に作った歌が収録されており、かなりの歌数にのぼる。
女性歌人、それも若い女性歌人の場合、第一歌集を読むと、恋人との出会いや別れ、就職、結婚や出産など、「女の一生」的な実人生の軌跡が手に取るように読み取れることがある。この実人生との密着度の高さが、同じ短詩型文芸でも俳句との違いであり、また現代詩や小説など他ジャンルと現代短歌を分かつ大きなメルクマールとなる。「言葉の引き寄せ方」において、現代短歌は異彩を放つのである。
しかし、もっと解像度を上げて短歌の世界を眺めると、このことがすべての短歌に当てはまる訳ではないことも了解される。〈私〉と言葉の距離は歌人によって相当に異なる。それと同時に言葉の「透過度」と「反射率」もさまざまである。言葉を観察者の〈私〉と世界を隔てる一枚のガラスに喩えてみよう。透過度が高く反射率が低いと、ガラスは限りなく透明になり、向こう側に広がる世界が忠実に〈私〉の網膜に投影される。ガラスは世界の有り様をそのまま〈私〉に伝達する。逆に透過度が低く反射率が高い場合、ガラスの存在感が増すと同時に、向こうにある世界は〈私〉に見えにくくなる。〈私〉の網膜に映ずるのは世界ではなく、ガラスに反射する光の戯れである。図式に堕すことを恐れず言うと、おおむね前者は「人生派」の歌人、後者は「言葉派」の歌人ということになる。実際にはその両極の間に無数の中間的度合いが存在することは言を俟たない。
さて、黒田の歌集は人生派と言葉派の中間値よりもやや言葉派寄りで、短歌言語の透過度はかなり低く、反射率はやや高めである。岡井の跋文から作者が音楽科の教師をしていることは知れるが、収録された歌のなかには職場詠の類がほとんどなく、歌のみからはそのことを窺い知ることはできない。では黒田の歌の照準はどこに合わされているのだろうか。
黒田の歌には直裁な感情の吐露や現実の裁断というものがないが、その理由は歌に先立つ外的な〈私〉が限りなく少ないからである。黒田はそれに代わって事象と言葉の往還のなかから丹念に言葉を紡いでゆく。これは短歌定型に相当な信頼を置いていなければできない業である。黒田が文語、それも上代語を好んで用いることにもそれは現れていよう。
これらの歌を見ても、黒田が短歌の歴史性と共同性を信じて作歌していることがわかる。大辻隆弘は時評集『時の基底』で穂村弘の脱歴史意識に触れて、穂村は自分だけの神を信じ、自己と定型とを垂直の表現によって結びつけようとするわがまま派だと断じた。この言に従えば、黒田のスタンスはわがまま派の対極にある。このように短歌言語の共同性を踏まえてその上で表出される〈私〉は、以外に揺るぎないものとなっている。それは実人生において作者が意志強く潔く生きているからだろうと思われる。
下に引く初めの三首のように恋愛においても、また残り四首のように父親の病と母親の死去という大きな出来事を前にしても、作者のこのような態度は変わらない
斉藤の分析はおそらく若手歌人の作歌姿勢の核心を突いているのだが、翻って黒田の短歌を眺めてみると、若手歌人の〈私〉と〈今〉の直列配置とは対極的な位置にあることがすぐわかる。黒田の歌にはほとんど〈今〉がなく、時間の流れすら感じられないことが多い。比較的動きが感じられる「暮れやすき街のそこひにともる灯の魚影にも似て濃くあはく揺る」のような歌を見ても、そこには近代短歌の措定した観察主体としての〈私〉は希薄で、それと連動する〈今〉感覚も限りなく薄い。どこか一幅の絵画を見ているような印象があり、時間は絵の背後に溶解するかのようである。それは黒田が近代短歌の〈個別性〉よりも古典和歌の〈共同性〉により心を寄せているためだろう。反時代的と言えば言えるのだが、反時代的というのもまたひとつの個性である。人は我が道を行くしかない。
最後に本歌集では他の歌とやや傾向の異なる歌にも触れておこう。
しかし、なかなかこうはいかないのが現実だ。まず書店に歌集が置かれていない。またいらぬ知識ばかりが増えて私の読みを阻害する。げにままならぬがこの世の定めだが、今回取り上げる歌集についてはほぼ理想に近い。「ほぼ」というのは、2004年3月に本コラムの前身「今週の短歌」に書いた「レ・パピエ・シアンの歌人たち」で黒田の歌を4首引いているからである。従って厳密に言えば「お初」ではなく、再会ということになる。
黒田瞳は「未来」に所属して岡井隆の選歌を受け、同時に同人誌「レ・パピエ・シアン」でも活動している歌人である。『水のゆくへ』は第一歌集。跋文は師の岡井。2001年から2010年までの10年間に作った歌が収録されており、かなりの歌数にのぼる。
女性歌人、それも若い女性歌人の場合、第一歌集を読むと、恋人との出会いや別れ、就職、結婚や出産など、「女の一生」的な実人生の軌跡が手に取るように読み取れることがある。この実人生との密着度の高さが、同じ短詩型文芸でも俳句との違いであり、また現代詩や小説など他ジャンルと現代短歌を分かつ大きなメルクマールとなる。「言葉の引き寄せ方」において、現代短歌は異彩を放つのである。
しかし、もっと解像度を上げて短歌の世界を眺めると、このことがすべての短歌に当てはまる訳ではないことも了解される。〈私〉と言葉の距離は歌人によって相当に異なる。それと同時に言葉の「透過度」と「反射率」もさまざまである。言葉を観察者の〈私〉と世界を隔てる一枚のガラスに喩えてみよう。透過度が高く反射率が低いと、ガラスは限りなく透明になり、向こう側に広がる世界が忠実に〈私〉の網膜に投影される。ガラスは世界の有り様をそのまま〈私〉に伝達する。逆に透過度が低く反射率が高い場合、ガラスの存在感が増すと同時に、向こうにある世界は〈私〉に見えにくくなる。〈私〉の網膜に映ずるのは世界ではなく、ガラスに反射する光の戯れである。図式に堕すことを恐れず言うと、おおむね前者は「人生派」の歌人、後者は「言葉派」の歌人ということになる。実際にはその両極の間に無数の中間的度合いが存在することは言を俟たない。
さて、黒田の歌集は人生派と言葉派の中間値よりもやや言葉派寄りで、短歌言語の透過度はかなり低く、反射率はやや高めである。岡井の跋文から作者が音楽科の教師をしていることは知れるが、収録された歌のなかには職場詠の類がほとんどなく、歌のみからはそのことを窺い知ることはできない。では黒田の歌の照準はどこに合わされているのだろうか。
みなぎらふものを封じて果の熟るる子の頭のほどの固さと思ふ描かれている事象はいずれも取るに足らぬ些事である。例えば一首目ではそれは熟した果実を目の前に置いているという事実であり、二首目では暗い夜の階段を踏み外したときに、手のひらに何かの花びらが落ちたという体験である。従って素材(=テーマ)の比重は限りなく低い。翻って歌の眼目が事象を目の前にした時の心の動きかというと、それもおそらく違う。歌の眼目は心情描写にもない。一首目のポイントは「みなぎらふものを封じて」という事象の知的解釈と、「子の頭のほどの固さ」という見立てにある。事象が〈私〉に見せる相貌と、その逆方向に立つ〈私〉が事象に注ぐ眼差しという二重の関係性のなかから言葉が立ち上がる。いや、今少し精確に言えば、この二重の関係性のなかで立ち上がる言葉の彼方に〈ゆらゆらと見えてくるもの〉こそが歌における〈私〉なのである。〈私〉が先験的に存在し、歌がそれを表現するのではない。
くだつ夜の階くらく踏みはづしたなうらに受く何のはなびら
春ははた若きのみどの洞にさすあはき蔭かも目つむりて聴く
ひとつこと拾はむとしてあまた捨つ我等おびただしう捨つふりかへることなく
秋のいを腹太うして動かざる諦念の泥しづかに澄めり
黒田の歌には直裁な感情の吐露や現実の裁断というものがないが、その理由は歌に先立つ外的な〈私〉が限りなく少ないからである。黒田はそれに代わって事象と言葉の往還のなかから丹念に言葉を紡いでゆく。これは短歌定型に相当な信頼を置いていなければできない業である。黒田が文語、それも上代語を好んで用いることにもそれは現れていよう。
およびもてやはらになぞるみほとけのまなぶたに浮くあはき木のあや一首目は平仮名表記を前面に押し出して韻律の効果を高めた一首。「および」「やはら」のo-o-i、a-a-aという母音の配列や、「あはき」「あや」の頭韻が和語の滑らかな印象を生んでいる。御仏も飛鳥・天平時代の仏像かと思われる。三首目の「降りみ降らずみ」、四首目の「ただむき」、六首目の「うつそみ」「たまづさ」など、古語の語彙や語法が好んで用いられているが、これが結果として言葉の透過度を低めている。四首目は特に印象に残る歌で、前後からこの湖は琵琶湖だとわかる。ちなみに「ただむき」は腕のこと。この世とあの世の境界が淡く、王朝風の夢幻すら思わせる歌である。
さにはにはゆふぐれの風くちなはの綺羅うち捨てられてそよげりはつか
北辺に降りみ降らずみ降るしぐれかなしき人のわたる荒磯は
みづうみにあはくさしだすただむきのこの世にあれば桟橋と呼ぶ
いつかまた溺れ谷へと還る都市 光のほさきしばしとどめよ
うつそみはただにかなしゑたまづさの陰もなければゆく風に問う
これらの歌を見ても、黒田が短歌の歴史性と共同性を信じて作歌していることがわかる。大辻隆弘は時評集『時の基底』で穂村弘の脱歴史意識に触れて、穂村は自分だけの神を信じ、自己と定型とを垂直の表現によって結びつけようとするわがまま派だと断じた。この言に従えば、黒田のスタンスはわがまま派の対極にある。このように短歌言語の共同性を踏まえてその上で表出される〈私〉は、以外に揺るぎないものとなっている。それは実人生において作者が意志強く潔く生きているからだろうと思われる。
下に引く初めの三首のように恋愛においても、また残り四首のように父親の病と母親の死去という大きな出来事を前にしても、作者のこのような態度は変わらない
ひむがしの君想ふときたましひのあはきかたちよ放物線は黒田の短歌を読んで感じたもうひとつのことについて触れておきたい。それは〈私〉と不即不離の関係にある〈時間〉である。斉藤斎藤は「短歌ヴァーサス」11号(2007)に寄稿した「生きるは人生とちがう」という評判になった文章のなかで、若手歌人たちの短歌における〈今〉至上主義について論じている。斉藤は「本を持って帰って返しに行く道に植木や壊しかけのビルがある」という中田有里の歌を引用し、次のように分析する。この歌は現在から過去を再構成したものではなく、〈今1〉─〈今2〉─〈今3〉のような今の連続から構成されていて、この〈私〉のそのまんま加減に敬虔な迫力を感じる。中田の歌には人生がなく、すっぱだかの〈生きる〉しかない、と。
二日逢ひひとひをかけて還るなり君のこだまを確かめむため
飲みほせば別れとならむカフェオレの君の論理にうべなひながら
肺いまだみづきて濁るたらちをの昏迷つづく三晩を経ても
病み臥せる父のきびすのあをめるを湯もて浄めり懺悔のごとく
混濁のいまはのきはの母よべば泪のわけをやはらに問ひぬ
きよめ塩踏みてもどれるちちのみの父を朋とし生く明日より
斉藤の分析はおそらく若手歌人の作歌姿勢の核心を突いているのだが、翻って黒田の短歌を眺めてみると、若手歌人の〈私〉と〈今〉の直列配置とは対極的な位置にあることがすぐわかる。黒田の歌にはほとんど〈今〉がなく、時間の流れすら感じられないことが多い。比較的動きが感じられる「暮れやすき街のそこひにともる灯の魚影にも似て濃くあはく揺る」のような歌を見ても、そこには近代短歌の措定した観察主体としての〈私〉は希薄で、それと連動する〈今〉感覚も限りなく薄い。どこか一幅の絵画を見ているような印象があり、時間は絵の背後に溶解するかのようである。それは黒田が近代短歌の〈個別性〉よりも古典和歌の〈共同性〉により心を寄せているためだろう。反時代的と言えば言えるのだが、反時代的というのもまたひとつの個性である。人は我が道を行くしかない。
最後に本歌集では他の歌とやや傾向の異なる歌にも触れておこう。
史書ふかく眠りし龍と思ひしが日々喚ばはれて濁る二筋一首目は「バベルの蒼穹」という一連に納められている歌。二筋とは古代文明を育んだチグリス河とユーフラテス河のことで、アメリカ軍によるイラク侵攻を詠んだ時事詠である。時事詠の時として陥る底の浅さに比較して、歴史の厚みに想いを馳せているところに個性がある。二首目は2004年にも引いた歌だが、MIHO MUSEUMU(ママ)との詞書があるので、美術展を見ての属目だろう。MIHO MUSEUMは滋賀県甲賀市の山中にある驚異の私立美術館。見た美術作品に刺激されてのことだろうが、幻想的光景が印象的である。
さかしまに木を歩ませばいく千の夜世わたらむよそびら反らせて