043:2004年3月 第3週 『レ・パヒエ・シアン』の歌人たち

 京都の寺町二条に三月書房という本屋がある。木造二階建和風家屋の一階部分が売り場だが、その古ぼけた外観といい、奥にある風呂屋の番台のような帳場といい、古本屋を思わせる風情だが、れっきとした新本書店である。その地味な外観とは裏腹に、三月書房は知る人ぞ知る伝説的な有名書店なのだ。京都に住む読書好きの人で、三月書房を知らない人はいない。世の中の流行から超然とした独自の基準による選本がその理由である。売れ筋の雑誌や文庫本など、どこにも置かれていない。私は商売柄、出版社と付き合いが深いが、いつぞや東京の大手出版社の人が、京都に営業に行くときにはまず三月書房に挨拶に行くと言っていた。出版社からも一目置かれているのである。

 三月書房はまた短歌関係の本の品揃えでも知られている。京都ではここでしか見つからない本が多い。短歌の同人誌も数多く店頭に置いている。『レ・パピエ・シアン』も三月書房で見つけた月刊同人誌のひとつである。『レ・パピエ・シアン』のカナ表記と、「巴飛慧紙庵」という暴走族のチーム名のような漢字表記と、les papiers cyans というアルファベット表記が並んでいるので、どれが正式の誌名表記なのかわからないが、とりあえず『レ・パピエ・シアン』と書くことにしよう。「青い紙」という意味だという。ブルーの紙を使った瀟洒な雑誌で、同人誌らしく手作り感がにじみ出ている。短歌好きが集まって、ああだこうだと言いながら同人誌を作るのは、きっと楽しい遊びにちがいない。

 結社は主宰者の短歌観に基づく求心力をその力の源泉としているため、いきおい参加者の作歌傾向が似て来る。それにたいして同人誌は気が合う仲間で作るもので、作歌傾向はばらばらでもかまわないというルーズさが身上である。『レ・パピエ・シアン』も同人誌らしく、堂々たる文語定型短歌からライトヴァース的口語短歌まで、さまざまな傾向の短歌が並んでいる。同人のなかでいちばん名前を知られているのは、たぶん大辻隆弘だろう。しかし、私は今まで名前を知らなかった歌人の方々をこの同人誌で知ったので、気になった短歌・惹かれた短歌を順不同で採り上げてみたい。2004年1月号~3月号からばらばらに引用する。

 この同人誌でいちばん気になった歌人は、何といっても桝屋善成である。

 底ひなき闇のごとくにわがそばを一匹の犬通りゆきたり

 悪意にも緩急あるを見せらるる厨のかげに腐る洋梨

 なかんづくこゑの粒子を納めたる莢とし風を浴びをるのみど

 紛れなく負の方角を指してゆくつまさきに射す寒禽の影

 手元の確かな文語定型と、よく選ばれた言葉が光る歌である。なかでも発声する喉を「こゑの粒子を納めたる莢」と表現する喩は美しい。テーマ的には日々の鬱屈が強く感じられる歌が多い。日々の思いを文語定型という非日常的な文体に載せることで、日常の地平から飛翔して象徴の世界まで押し上げるという短歌の王道を行く歌群である。

 病む人のほとりやさしゑ枕辺を陽はしづやかに花陰はこぶ  黒田 瞳

 みなぎらふものを封じて果の熟るる子の頭ほどの固さかと思ふ

 さかしまに木を歩ませばいく千の夜世わたらむよそびら反らせて

 凍み豆腐やはらにたきて卵おとす卵はゆるゆる濁りてゆくを

 黒田も文語定型派だが、言葉遣いにたおやかさを感じさせる歌が多い。漢字とかなの配分比率、やまとことばの駆使、歌に詠み込まれた感興の風雅さが特に際立つ。ある程度の年齢の方と想像するがいかがだろうか。「さかしまに」の歌は幻想を詠んだものだが、木が歩くというのはマクベスのバーナムの森を思わせ、「夜世わたらむ」と定型七音に収めず、「夜世わたらむよ」と八音に増音処理したところに余韻を残す工夫があり手練れである。

 母を蘇らせむと兄は左脚、弟は身体全てを捧ぐ  服部一行

 最大の禁忌〈人体錬成〉に失敗す幼き兄弟は

 哀しみに冷えゆく〈機械鎧 (オートメイル)〉とふ義肢の右腕、義肢の左脚

 なかでも異色なのは、服部一行の「鋼の錬金術師」と題された連作だろう。TVアニメ化もされた荒川弘の同名マンガに題材を採った作品だが、「人体錬成」「機械鎧」(アーマー/モビルスーツ)というテーマは、サブカルチャーと隣接するとはいえ現代的である。短歌の世界では扱われたことのないテーマではないだろうか。ちょうどついこのあいだ、鬼才・押井守の傑作アニメ『攻殻機動隊』を貸ビデオで見たところなので、特に気になるのかもしれない。ちなみに、『攻殻機動隊』を見ると、『マトリックス』がいかに影響を受けたかがよくわかる。服部の短歌に戻ると、この連作が短歌として成功しているかどうかは疑問の余地があるが、短歌における新しい身体感覚の追求として興味深いことは事実である。

 もう一人異色歌人は渡部光一郎である。

 中井英夫は江戸っ子にてしばしば指の醤油を暖簾もて拭き

 見習いは苦汁使いに巧みにて主人の女房をはやくも寝取る

 豆腐屋「言問ひ」六代目名水にこだわり続けたりと評判

 江戸落語を思わせるような威勢のいい言葉がぽんぽんと並んだ歌は、俗謡すれすれながらもおもしろい。ちなみに2004年2月号は「都々逸の創作」特集だが、他の同人の作には都々逸になっていないものが多いのに、渡部はさすがに「椿つや葉樹(ばき)つんつら椿めのう細工と見てござる」と達者なものである。

 その他惹かれた歌をあげてみよう。


 わが額にうつうつとまた影生(あ)れて ふるへる朝のふゆの吐息よ  角田 純

 軋まないようにゆっくり動かして重たき今年の扉を閉じぬ  藤井靖子

 重ねたのは仮止めとしての問いの板だからだろうか神を忘れて  小林久美子

 抽出にさよならだけの文あるにまた会ふ放恣の盃満たさむと  酒向明美

 携帯を持たぬ我は今やっと時を操る力を手にする  渋田育子

 忘れゆく想ひのあはき重なりに花はうすくれなゐの山茶花  矢野佳津

 角田の「わが額に」の口中に残る苦みも短歌の味わいである。藤井の歌は年末風景を詠んだものだが、日常から1mほど浮き上がることに成功している。この空中浮遊ができるかどうかが作歌の決め手である。小林の歌は「舟をおろして」という連作の一首で、手作りで舟を作っているのだが、「仮止めとしての問いの板」という喩に面白みがある。短歌は完全に解説できてしまうと興趣が半減する。どうしても謎解きで説明できないものが残る短歌がよい歌だろう。

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