156:2006年6月 第1週 島田修三
または、露悪と自嘲の裏に死者の陰の揺曳する歌

純喫茶〈ミキちゃん〉出でたる路地裏に
   風太郎しんと尿(ゆまり)しており
       島田修三『晴朗悲歌集』

 島田が問題歌人であることは、短歌界では広く知られたことと想像する。短歌界とは付き合いがないので断言はできないが、十中八九そうだろう。島田のような短歌を作っていると、友人を失くしそうな気がする。それほど他に類を見ない過激な短歌なのである。その過激さは、第一歌集『晴朗悲歌集』(1991年)の冒頭から炸裂している。

 まことにも教師世界はアホくさく草生に寝れば草の香くさし

 女房のコブラツイスト凄きかな戯れといへ悲鳴ぞ出づる

 口笛にコロブチカ吹きゆく速足は離婚協議に勝ちたる講師ぞ

 〈道〉を逸れ〈義〉に悖りたる富貴にてあはれ大和はさ蠅なすクソ

 左翼とふ神学世界のコエダメゆ出るわ出るわヨシフの悪行

 職場である大学という象牙の塔を嘲笑し、家庭では妻を戯画化して描き、同僚を揶揄し、日本を呪詛し、左翼に毒づく。このような調子だから、読んでいて快哉を叫ぶことも稀ならず、川柳・狂歌を読むような痛快さを覚えることもあるが、次第に内臓に響いて来る。長時間ボディーブローを浴びたボクサーのような気分になるが、読後脳裏に残る作者のイメージは、土砂降りの雨に濡れそぼつ孤影悄然であり、フィリップ・マーロウのようにトレンチコートの肩がしとどに濡れていると言ったら言い過ぎか。

 島田は早稲田大学大学院で国文学を学び、さる大学で教鞭を取る万葉学者である。現在は学部長の要職にあるという。和歌・短歌の世界は専門分野であり、該博な知識に裏付けられた技法の冴えは尋常ではない。しかし、古典和歌は基本的に雅の世界であるはずなのだが、島田が作る短歌は雅と俗の奇妙な混淆であり、雅よりは大幅に俗に傾斜している。そしてそれは、現代短歌の置かれた状況に対する島田の現状認識に基づく意図的な戦略なのである。現代短歌文庫『島田修三集』の巻末に収録された散文「戦後短歌と現在」(初出「まひる野」平成7年1月)のなかで、島田は佐藤佐太郎・宮柊二・近藤芳美らの戦後短歌を耽読し技法を吸収しようとしたと回想し、続けてこう述べている。

 「しかし、これらを作歌当時のぼくがメッセージの水準で享受すると、当然のことだが、どれも後者のように醜くユガムのであった。ぼくは、こうした一見バカバカしい歌を作ることで、わが内なる《戦後》とわが外なる1980年の《現在》との遙かな距離をはかろうとしていたのだと思う。」

 文中の「後者」「こうした一見バカバカしい歌」」というのは、島田が戦後短歌の名作を基にして作った次のようなパスティーシュを指す。

 夕映えのおごそかなりしわが部屋の襖をあけて妻がのぞきぬ (原作)

 夕映えの厳粛きはまるわが部屋に入り来て女房が奥歯をせせる (島田作)

 純粋の国語も教へ育てむとおもふ幼子畳に匍ひつつ  (原作)

 純粋の国語知らざる父親のハナモゲラ語にぞ二人子わらふ  (島田作)

 戦後短歌を生み出した時代情況と、島田が置かれた80年代のバブル期の社会状況との落差の痛切な自覚が根底にある。島田は「時代を超えて変わらない価値」などというウソ臭いお題目を信じることができないのであり、逆にその落差を過剰な演技で増幅することが、真実の認識に至る道だと信じているのだ。だから、島田の短歌の基調となるトーンは怒り・自嘲・呪詛・揶揄・露悪であり、それはつまるところ「不機嫌」の短歌ということになる。それらがストレートに出た歌を挙げてみよう。

 鼻翼よりあぶらぬるりと滲ませてすれ違へるは論的タカハシ

 やがて来む死の日の孤独語りつつああこの朋よたまらなきデブ

 夕暮れを俺が俺へと帰るとき奥歯のうろより腐臭ぞしるき

 不機嫌は魔の憑るごとく来て去れば夕靄のなか陸橋を越ゆ

 健康を時代の義務とか説くファッショ死にぞこなひの昭和の資本が

このような悪口をたたきつつ、島田はせっせとニコチンを摂取し、中性脂肪を体内に蓄積し続けるのであり、その様もまた過剰に偽悪的である。しかし、このような面ばかりに気を取られていてはいけない。島田の短歌の特質をより細かく見てみよう。

 該博な古典の知識を持ちながら、古典の語法と世界観では現在短歌を作ることができないとの認識に立つので、島田の作る歌は古典の雅と現代の俗の混淆となる。それはまるで近代短歌という短歌史の途中の過程を省略したかのような奇妙な光景である。

 秋の気の紛れなければしみじみとゆくへ思ほゆぴんから兄弟

 人ひとり吊し上げたる宴果てて寒夜の雲ゆのぞく月しろ

 一首目は古典和歌のように始まるが、結句に至ってぴんから兄弟が登場する所で読み手は肩すかしを食らう。高雅の空に飛翔するかと思うと、俗に着地するのである。二首目は逆のコースを辿り、俗に始まりやけに古典的情景描写に回収されている。この違和感を作り出すことが島田の眼目なのである。

そして雅に俗を混入するために多用されているのが固有名である。

 例ふればちあきなおみの唇(くち)の感じああいふ感じの横雲浮くも

 つる姫なる漫画のヒロイン愛しけれ多く糞尿におよぶことなれど

 転落のぼろぼろの生にいま在るは清しきかなや一条さゆり

歌謡曲歌手のちあきなおみ、少女漫画の主人公つる姫、ストリッパーの一条さゆりなど、主としてサブカルチャーに属する固有名は、極めて有効に俗の記号として働く。

 このような固有名とはまた異なり、歴史上の人物を折り込んだ歌も多く見られるが、それらの歌は歌集の基調をなす「不機嫌の歌」とは肌合いが微妙に異なり、魅力的な歌群となっていることにも注目すべきだろう。掲出歌「純喫茶〈ミキちゃん〉出でたる路地裏に風太郎しんと尿しており」もそのひとつであり、読み込まれているのは小説家の山田風太郎である。「純喫茶〈ミキちゃん〉」という場末感もほどよく、路地裏に立ち小便するところが決然と戦争に背を向けわが道を行く風太郎とよくマッチしている。

 BVDのブリーフつけて血に濡れてかの日の川俣軍司いとほし

 夏目家の便所に滑り落ちしとぞ岩波茂雄という人物(ひと)ぞ変

 芥川龍之介なる〈苦しみ〉はギン蠅嚥みて自死せむとしき

 たましひは粛然として示現すなり死の三日前の秋聲の風貌(かほ)

 姉小路より蛸薬師へと歩みたれ中原中也と二度すれちがふ

一首目の川俣軍司は1981年に起きた深川通り魔事件の犯人で、逮捕されたときブリーフに猿ぐつわという異様な風体であった。「不機嫌の歌」の基調は否定であるが、これらの固有名の登場する歌はどこか肯定的である。

 80年代のバブル経済の時期に編まれた『晴朗悲歌集』は、浮か騒ぐ妙に明るい時代への呪詛に満ちている。しかしそれは単なる拗ね者の悪口なのではなく、1950年生まれの島田は戦後という時代を見つめているのである。島田の歌の背後には、死者の影が揺曳している。それは亡くなった父親を詠んだ次の歌に明らかである。

 復興といふ名の神話を担ぎつつ短躯のシジフオス戦後を生きたる

 兵であり再建者であり悪であり俺の中なる父すぐならず

 死はすでに優しき和解を奪へども戦後を負ひて父子まぎれなし

 招集されて兵として戦い、戦後は日本の復興に汗を流した父親。島田がこの父親の世代に自分を重ねていることは最後の歌からも読み取ることができる。死んだ父は昭和の死者たちの一人である。そして死者の影は至るところにある。

 炭酸のキックに蹴られ寒の夜をギネス飲みつつ死者をこそ思へ

 死者がまた死んでゆくかな夢見より醒めてしばらく神(しん)冷えやまず

 しんねりと暮色まつはり染みてゐむわが猫背にも背後の死者にも

 死を歌へば世界しづかによみがへる永劫回帰のかの夕べはや

 黄昏(くわうこん)の翳たまりゆく廊の果て死者か生者か杙のごと彳つ

 島田は常に「背後の死者」を感じているのだろう。悲憤のなかに底ごもる悲哀はそこに由来する。そして呪詛・悪口・自嘲の歌のおちこちに冷たい泉のように抒情的な歌が紛れ込んでいるのを発見するとき、私たちは島田の歌の本質を得心するのである。

 夾竹桃紅(こう)さえざえと咲く一樹けだかきものをわたくしは仰ぐ

 振りいでて夕べの雨の激しきにレニー・ブルースしんと聞こゆる

 辞書の上に日ごと埃の積もりゆくさばかりならむわが死の後も

 くちびるに冷えゆく脂ぬぐふときいま喰ひ了へしけものはにほふ

 大ばさみするどく研がれ置かれ在り眠られぬまま卓を灯せば