110:2005年6月 第5週 谷岡亜紀
または、劇的〈私〉が立ち上げるもうひとつの現実

おれの中の射殺魔Nは逃げてゆく
   街に羞(やさ)しい歌が溢れても

            谷岡亜紀『臨界』
 短歌で〈私〉をさす一人称にはいろいろあるが、文語では多くは「われ」「我」「吾」などが使われている。最近の口語短歌では「私」「ぼく」が多い。谷岡のように「おれ」を使う人はあまりいない。「おれ」を使ってサマになるのは福島泰樹藤原龍一郎くらいだが、調べてみたら意外なことに藤原は「われ」を使っていた。「おれ」は口語なので文語脈には乗りにくいのだろうが、藤原はハートにおいては「おれ」の歌人だと思う。無頼性を強調するこの人称詞を使う歌人に共通するのは、その激しい抒情性である。それも一歩まちがえば、夜の酒場の演歌が繰り広げる酒と涙と女の世界に通じる、通俗的な香りすら漂う抒情性である。この点において谷岡もまた例外ではない。

 掲出歌の射殺魔Nとは、1968年10月11日に東京プリンスホテルのガードマンを22口径の短銃で射殺したのを皮切りに、合計4人を殺して死刑判決を受けた永山則夫のことである。当時永山は19才だった。網走の寒村で生まれ貧困だった永山に寺山修司は強い関心を抱き、著書『幸福論』などで永山を論じた。永山本人は寺山に反発し『無知の涙』を書いた。永山はその後、1997年8月1日に48才で刑死している。谷岡は自分のなかに射殺魔Nを感じ、その存在に自らの存在を部分的に重ねている。この歌は「夜のリング」と題され、「30歳にしてボクシングを始めた」という詞書のある連作のなかの一首である。だからボクシングを始めることで、自らの内包する暴力性から解放されたと読める。上句「おれの中の射殺魔Nは逃げてゆく」が谷岡らしいが、実は下句「街に羞しい歌が溢れても」の抒情性の方にこそ谷岡らしさが感じられる。

 谷岡亜紀は1959年生まれ。歌集に『臨界』(1993年 現代歌人協会賞受賞)と『アジア・バザール』(1999年)がある。あとがきによれば『臨界』には、1980年から1991年までに作られた歌が収録されているということだが、この作歌年代にまず驚かざるをえない。『臨界』には次のような歌が並んでいるからである。

 黄昏の世界がおれに泳がせる50mプール32秒で

 繁栄という幻想を武装してジェットコースター奈落へ向かう

 開戦の前夜のごとく賑える夜の渋谷に人とはぐれぬ

 壊れたるビル街を過ぎ居住区へ柩のごとき車で帰る

 恋愛のことばかりなる番組の外、鮮しき悪夢待つ街

 核施設構内の立つ塔の上にすばやく黒き人影動く

 遠き恐怖(テロル)の日々を知らざる少女らが朝の渚に拾う骨貝

 爆風に砕かれキラキラ街に降るために夜を冷えている千の窓

 『臨界』が描くのは都市東京なのだが、世界はすでに黄昏を迎えており、見かけ上の繁栄は幻想に過ぎないとの認識が執拗に示されている。1980年から1991年までといえば、日本経済が上り坂を迎えやがてはバブル景気へと至る時期である。1983年には東京ディズニーランドが開園し、1984年には日本の貿易収支の黒字が過去最高となっている。このように繁栄する日本という時代を背景として谷岡が描くのは、繁栄のかなたに幻視する負の影である。世界はすでに黄昏を迎えており、東京は廃墟と化した街、あるいは廃墟と化すことを待っている街である。核施設内には核テロを予感させる人影が走る。また最後の歌は爆弾テロによって砕け散るビルの窓を詠ったものだが、1974年に起きた反日武装戦線〈狼〉による丸の内三菱重工爆破事件を思わせる。『臨界』はこのように、廃墟・暴力・テロリズム・戦争の影が充満した世界なのである。言い換えれば谷岡は都市東京を戦場として捉えているということになる。

 80年代は好景気を背景とした明るい気分のライト・ヴァースが勃興した時代としても知られている。

 サンダルはぜったいに白 君のあと追いつつ夏の光になれり  干場しおり

 きんのひかりの化身のごとき卵焼き巻き了へて王女さまの休日  山崎郁子

 バブル経済の気分をよく伝えている歌である。一方でこのような歌が作られていた時代に、谷岡はどうして都市の影に暗く廃墟を幻視するような歌を詠ったのだろうか。その秘密は谷岡が早稲田大学文学部に在学中から小劇場演劇に熱中していたという事実にある。当時はちょうど野田秀樹の率いる「夢の遊民社」や劇団「そとばこまち」などの小劇場が力をつけ初めていた頃である。そして小劇場系演劇の得意とする手法のひとつに、「現実を演じつつそのかなたに幻視される世界を浮上させる」というものがある。想像するに、谷岡の短歌の手法はここから来ているのであり、谷岡の歌はとても「演劇的」な作り込みがされた歌なのである。

 『臨界』の代表歌として知られる「毒入りのコーラを都市の夜に置きしそのしなやかな指を思えり」にも同じことがいえるだろう。これは1984年に起きた「グリコ・森永事件」に想を得た歌である。谷岡が思いを馳せているのは、都市の夜に毒入りコーラを置く無差別テロリストの心に生れた闇であり、彼が都市に抱いている怒りと復讐の念に、谷岡は同じ思いを持つ者として共感しているのである。

 この演劇的手法は谷岡の作歌手法と修辞と深い関係がある。それは短歌における〈喩〉をめぐる問題である。谷岡の手法が「現実を演じつつそのかなたに幻視される世界を浮上させる」というものである以上、現実から幻視される世界へとスイッチしつつ接続する手段として〈喩〉は最適の手段となる。

 見下ろせば別れ出会いも軽い街軽金属のごとく雨降る

 朝焼けに解凍されてクレパスの絵本の町のごとく明けゆく

 人類の徒労楽しき日の暮れに銭湯の絵のごときフジヤマ

 来たる日の核シェルターとなる地下の駅に土曜の恋人を待つ

 一首目の「軽金属のごとく」を例えば「レモンピールのごとく」と入れ替えてみれば、まったく佇まいの異なるおシャレな歌になる。この歌に不吉な影を落としているのは、戦闘機の素材として用いられている軽金属という語の醸し出す禍々しい意味である。二首目では「クレパスの絵本の町のごとく」という喩によって、明けつつある町から現実感が剥奪され、夢幻の町へと変化する。三首目は現実の富士山を銭湯のペンキ絵のようだと見ることにより、同じ効果を生みだしている。四首目は厳密には喩ではないが、地下鉄の駅を「来たる日の核シェルターとなる」と性格づけることにより、重層的な現実を生み出している。このようにあるものの姿とその将来の姿とを同時に提示するのは、修辞学でメタレプシスと呼ばれている技法の一種であり、谷岡の演劇的手法のひとつして用いられている。このように谷岡の作歌技法にあっては、〈喩〉に極めて明確な役割が与えられていることに注目すべきだろう。

 『臨界』で示されているもうひとつの世界はアジアである。

 難破船が並ぶメナムの川向こうのスラムの屋台に食う豚の耳

 河原にて死体を燃やす人ありき 灰は昏れゆく川に還(かえ)さる

 なまじりの涙を蠅に吸われつつ皮膚爛れたる美女横たわる

 神という圧倒的な光量を浴びて苦行僧(サドゥー)のいま川に入る

 インドに旅して「圧倒的な光量を浴び」たのはむしろ谷岡本人だろう。しかし谷岡がインドに旅したのは、今どきよくある「自分探し」のためではない。そうではなく「アジアから日本を撃つ」視座を内在化するためである。このテーマは第二歌集『アジア・バザール』へとそのまま引き継がれている。

 鳥葬のボクシンググローブ転がりて激しく暮れてゆくゴミの島

 夜の街のアリスに告げる伝言をポケベルに打つ「はるまげどん」と

 大陸の性器としての植民地その行き止まり半島酒店(ホテル・ペニンシュラ)

『アジア・バザール』の掉尾には「キャロル」と題された連作がある。「重大な事が発表されるのでテレビをつけて待機しなさい」という当局のお触れを詞書として始まる。

 籠りいる真冬の正午絶え間なくヘリコプターの音の降り来る

 賛美歌を大音量で奏でつつ水辺を目指す重装の群れ

 殺気立つ日暮れの駅の雑踏に呑まれ名前を呼び合う家族

 「すみやかにかつ整然と」と絶叫を繰り返しいるラジオを消して

 大規模な都市テロが起きたのかそれとも核攻撃があったのか、それはわからないのだがとにかく都市の大騒乱を想定した連作である。主題性の強い歌人として知られている谷岡の作品のなかでも、特に主題性の強い連作だと言える。「キャロル」は1998年に短歌研究新人賞候補となった高島裕の「首都赤変」とよく似ている。「首都赤変」もまたどこか新世紀エヴァンゲリオンを思わせる市街戦蜂起の物語をシナリオとする連作であった。谷岡には『〈劇〉的短歌論』という著作がある。また『現代短歌の全景』(河出書房新社)所収の座談会でも、司会の小池光が「受けて返しているという構造が短歌の内部論理だと思うんです」という発言に対して、「私は『対立』と『葛藤』とによる〈劇〉性と言いたいですね」と切り返しているところからもわかるように、谷岡は短歌における「〈劇〉性」を自らの作歌の基盤に据えている。〈劇〉性の高じるあまり、時としていささかオーバーな身振りになりすぎることがあるとはいえ、このような視座から短歌を作り続けている歌人は他にあまりいないだけに注目に値すると言えるだろう。

 「キャロル」は近未来の黙示録とでも言うべき連作であるが、黙示録の世界を首都東京に現出させようとした1995年のオウム真理教教団による地下鉄サリン事件を題材とした歌がないのは奇妙と言えば奇妙である。谷岡は想像力によって作り出された演劇的空間に惹かれるので、現実に起きてしまった出来事の前では沈黙せざるをえないのだろうか。また『アジア・バザール』には、結婚して子供ができ父となった自分を詠う歌も収録されている。こちらは演劇的というわけにはいかず、ふつうの父親の歌になっている。これもまたいたしかたない。

 常に大状況における問題意識と切り離せない谷岡の短歌であるが、私はそのような歌と並んで、意外にピュアな抒情が溢れる次のような歌もまた好きなのである。

 魚たりし夢に目覚めて食う夏の果実の酸にそよぐ体は

 一冊の恋を読み終え疲れたる瞳を初秋のプールに冷やす

 この秋をおまえは淡く色付いて初めて受ける雨の口づけ

 夏の恋まだ稚(わか)ければ軽やかにラムネの硝子玉を鳴らして

 近代リアリズムが開発した〈私〉、前衛短歌運動が提案した虚構性の強い〈私〉の賞味期限が切れつつある現在、現代の状況を反映する新しい〈私〉が求められている。谷岡の短歌はその主題性の強さが目立つが、新たな〈私〉を造形する試みとも理解することができるのではないだろうか。