第103回 藤沢蛍『時間の矢に始まりはあるか』

羽ばたけるせつなひかりを零しけり天に属する若きかもめら
          藤沢蛍『時間クロノスの矢に始まりはあるか』
 久木田真紀という歌人の名を知ったのは、最近相次いで読んだ歌集の中だった。
AKB48のセンターに立つてゐる久木田真紀の亡霊
                     喜多昭夫『早熟みかん』
久木田真紀がモスクワ生まれということを(嘘とはいえど)思い出したり
                    生沼義朗『関係について』
 今をときめくAKB48のセンターと言えば大島優子か前田敦子のはず、そこに立っているという久木田真紀とは何者か、と思って調べたらすぐに判明した。インターネット文明とは怖ろしいものである。ひと昔ならば調べる方法がなく、知人友人にたずねて回るしかなかっただろう。
 久木田真紀は平成元年(1989年)に「時間クロノスの矢に始めはあるか」30首で短歌研究新人賞を受賞した。略歴には昭和45年モスクワ生まれ、平成元年から留学のためオーストラリア在住とある。昭和45年生まれなら平成元年には18歳である。すわ新しい才能の出現かとみんなが色めいたが、後にすべてが詐称だったことが判明する。18歳の女性ではなく、中年の男性だったのである。「東オーストラリアのその南、シドニーの近郊の町で受賞の知らせを受けた。この喜びをどう表現してよいかわからず、私はテーブルの上で、ハードボイルドされた卵を、何度となく回転させていた」という受賞のことばも真っ赤な嘘で、編集部に寄せられた写真は姪のものだったとも聞く。作者のプロフィールは徹頭徹尾偽装されていたのである。
 やがて短歌界は久木田を相手にしなくなり、1997年に藤沢蛍ふじさわ けい名義で刊行された歌集『時間クロノスの矢に始まりはあるか』も沿線の小石のように黙殺されたと聞く。歌人久木田真紀は葬り去られたのである。しかし短歌研究新人賞の受賞は取り消されたわけではなく、『現代短歌事典』(三省堂)巻末の短歌賞受賞者一覧にも第32回受賞者としてその名が刻まれている。
 短歌関係者なら知らない人はいない事件なのだそうだが、私はその当時、短歌のタの字もおぼつかぬ門外漢だったので、今回初めて知った。この事件の経緯については、加藤英彦が「Es コア」(第20号)に「幻の筆者への覚書 実在の作者から非在の筆者へ」という文章を書いており、この文章でおおよそのことが知れる。加藤は出版社から本人の連絡先を聞き出して、電話で本人と話までしたそうだ。私は事件そのものへの興味は薄く、どんな短歌を作った人なのだろうという一点に私の関心は集中する。作品がすべてだからである。
 さて、受賞作の「時間の矢に始めはあるか」である。
春の洪水のさきぶれ昧爽の噴水のに濡れるわが胸
〈源氏〉から〈伊勢〉へ男を駆けぬける女教師のまだ恋知らず
聴診器あてたる女医に見られおりわがなかにあるマノン・レスコー
放課後の駅で私服の刑事らと盗み見しているポルノグラフィー
ディーン忌の映画館まで走ろうよ夜の驟雨に濡れないように
白飯しらいいの湯気のけむれる味蕾にははつかさやげる氷魚をのせて
 歌の作りはなかなかの手練れで、「源氏」「伊勢」「女教師」「女医」「刑事」や「マノン・レスコー」「ディーン忌」のような意味の共示作用の豊富な語彙を散りばめて、まるで一首で完結した掌編小説であるかのような物語性を持たせる作風である。このためやや文学臭と大仰な身振りが見られる。物語性という点では池田はるみの『奇譚集』にどこか通じるところもある。六首目「白飯の」の言葉の斡旋など実に達者なものである。これを見るかぎり「時間の矢に始めはあるか」30首が短歌研究新人賞を受賞したのは不思議でも何でもない。
 受賞作と並んで新人賞を惜しくも逃した次席、候補作、最終選考上位通過作品の作者の氏名を眺めるのも一興である。この年の次席は西田政史「The Strawberry Calendar」と林和清「未来歳時記」である。西田は翌年「ようこそ!猫の星へ」で首尾よく短歌研究新人賞を受賞し、歌集『ストロベリー・カレンダー』(1993)を出版したが、その後、短歌から離れてしまった。林は数年後に歌集『ゆるがるれ』『木に縁りて魚を求めよ』を出して歌人の道を歩んでいる。候補作には白瀧まゆみ、武田ますみ、大滝和子、大野道夫の名があり、最終選考上位通過作品には弱冠20歳の枡野浩一の名が見える。
 選考座談会を読むと、春日井建は「創造力も想像力もある軽やかな作品だが、道具立てが多すぎるのではないか」と述べ、岡井は「これを一位に推した。現代短歌の通貨をうまく使っており、応えられないほどうまい」と手放しの褒めようだ。大西民子も一位に推していて、「博学でボキャブラリーが豊かで、言葉の選び方が爽やかだ」としている。馬場あき子は「上手い作者だが上手すぎるところがあり、また遊びすぎ、言い過ぎもある」とする。高野公彦は「五官を超えて感知できる世界を拡げて自由に遊んでみたという感じで、うま過ぎるのでかえって本当かしらと思わせるところがある」と評している。後から見れば鋭い評である。島田修二はやはりうまい作者だと認めた上で、「ここまで来ちゃうと、もう今の短歌というのは、もうお終いというか、変な言い方ですけどね、何か花火がぱあっとすぐ消えていく直前の華やぎを見るような感じがしたことも事実です」と述懐している。島田のこの述懐と近藤芳美の態度は看過できない重いものを含んでいると思う。近藤は最初から試合放棄の態度で、「今日は棄権しようと思って来た。全体に果たしてこんなものでいいのかという不信がある」と述べ、「この頃、自分のやってきたことは良かったのかと反省している。にぎにぎしく新人を世に出す反面、短歌というものの大事な何かを見失ったし、その手助けを自分がしたのではないか」と続けている。
 時代を考えれば平成元年は天皇崩御により昭和が終わり、ベルリンの壁が崩壊して冷戦が終結するという歴史的事件が起きた年である。短歌の世界では数年間前からライトヴァースが盛んになり、1987年にサラダ現象が起きて、ニューウェーブ短歌へと道を開くという時代である。近藤や島田が体現した昭和の近代短歌の効力がまさに終わろうとしていた時代であり、近藤と島田の候補作への懐疑はこのような時代背景を反映している。このような時代の変わり目の年に、久木田が完全に偽装した〈私〉によって短歌研究新人賞を受賞したのは象徴的な出来事である。私はその暗黙の符合に深く打たれる。
 事件から8年後に出版された藤沢蛍名義の『時間の矢に始まりはあるか』は、巻頭に短歌研究新人賞受賞作をそのまま収めている。それ以外の歌はどうかというと、この評価が難しい。残りの歌の舞台のほとんどはアメリカで、一巻のほぼすべてが海外詠で占められているのである。短歌研究新人賞の偽装されたプロフィールには、作者はオーストラリア留学中とあったので、そのプロフィールの延長上に成立したアメリカ留学という意地悪な見方もできる。もしそうだとするとすべてが行ったこともないアメリカを詠んだ想像の産物だということになってしまうのである。
 私にはそれを判断することができないが、歌を虚心に読むと、海外詠の多くがそうであるように、現地に赴く前から心に抱いていたイメージを、目にした物に当てはめている歌が多い。人は旅行に行くと、あらかじめ見るつもりであったものしか目に入らないと言うが、まさにそのようなことが起きている。
機上よりMANHATTANを見下ろせばそれ文明の墓標のごとし
アメリカの大いなる虚無が建たせたるクライスラービルをしばらく仰ぐ
夏深し湾岸暴走族首領ヘッドJACKはダラス生まれの少年チキン
ニューヨーク・マフィアの情婦シルビアの七難誘う肌の白妙
この国の自由とはこれ、ガン・ショップにあまた並びていたる火器類
眠られぬ夜は朝まで聴いていよデイビス、ロリンズ、パーカーのこころ
夕立の香に囲まれているごとしバス停のわが周りは娼婦
麦秋のタラを過ぎつつ遠きかなヴィヴィアン・リーの死も夕雲も
 摩天楼を文明の墓標と見るのは珍しいことではなく、97年当時としても既視感バリバリである。暴走族のヘッドがJackで、マフィアの情婦がSylviaとは、まるで低予算B級映画の配役のようではないか。ジャズといえばマイルズ・デイビス、ソニー・ロリンズ、チャーリー・パーカーという名前が並ぶのは、1960年代の文化的教養を持っている人で、97年当時のジャズではない。作者は目の前のアメリカと向き合っているのではなく、自分の中にあるアメリカのイメージをなぞっているにすぎない。やがて作者はニューヨークを離れ『風と共に去りぬ』の舞台となった土地を訪れるのだが、やはり作者は実際の風景ではなく、過去に見た映画の記憶をたどるのである。
暴力装置の何という美しさ原潜がいま紅海へ発つ
アメリカの視野の狭さがすべからく兵をアラブへ走らせもする
行進の軍靴に蹴られ青空が見えぬ涙を流すウウェート
マリファナと銃とAIDSの輪唱がこの国を誤らせるだろう
ゆく秋やついにはげしきとうの果てに建ちたる国を美国アメリカと呼ぶ
 1990年に勃発した湾岸戦争に想を得た上のような歌もあるが、好戦的なアメリカの態度に対する非難の言葉は紋切り型で、また時局に接しての感慨を短歌定型に収めて美的昇華をしようという工夫も見られない。
 一読した中では次のような歌に注目した。
雷気しずかに降りそそぐ夏の帆のかなたはるけく見ゆる死火山
夏雲ゆ一握の銀つかみだすきみは耳うらさえもこいびと
夕暮れの樹にびっしりと花の芽が見えてまた来る六月の死者
百階の高みへ昇るエレヴェーターいま微かなる重力兆す
膝をつき地に倒れゆく兵士らを再び立ちあがらせるフィルム
遠くボルジアの血をひくイサベラの肩の高さに見える夏波
揺り椅子にゆれているのは〈時〉を漕ぎ疲れて眠るリリアン・ギッシュ
 これらの歌には向日性の感性に裏打ちされた言葉の清新さが漲っており、ときどき顔を出す〈私〉を離れた物語性もこの程度ならば適度なスパイスと受け取れる。残念なのは収録歌数800首を超える本書に上のような歌が少ないことである。
 その理由はわずか三行の巻末のあとがきにある。「本歌集は主題製作が多いということもあって歌集全体の作品配列については製作年順にとらわれず勝手気ままに再構成した」と書かれている。つまり久木田・藤沢にとってはすべてが「主題製作」なのだ。主題製作においてはまず主題が先行し、歌はその主題に沿う形で発想される。「アメリカ」という主題、「摩天楼」という主題、「ジャズ」という主題がまずあり、それに沿って歌が作られる。ならば短歌研究新人賞応募作「時間の矢に始めはあるか」30首も、「オーストラリアに留学中の18歳の女子大生」という主題で製作されたと見るのが順当だろう。しかしこれは短歌界の暗黙の禁忌に抵触した。主題設定が〈私〉の領域にまで踏み込んだからである。
 上に久木田の事件が昭和の近代短歌のセオリーが失効する潮目に起きたことは象徴的だと書いた。同じことが2012年の現在起きたとしたらどのような反応を引き起こすだろうか。東西冷戦の終焉と高度消費社会の爛熟によって、近代短歌が前提とした〈私〉が形を失って浮遊し分断化した現在においては、事件の起きた89年当時とは異なった受け取りかたをされるのではないだろうか。

謝辞
 藤沢蛍の歌集の入手が困難で、思いあまって加藤英彦さんに歌集をお貸しいただけないかとお願いしたところ、「二冊持っているので一冊差し上げる」という思いがけない返事をいただいた。おまけに短歌研究新人賞の受賞作と選評が掲載された雑誌のコピーまで送って下さった。この文章が書けるのはひとえに加藤英彦さんのお陰で、この場を借りてお礼申し上げたい。拝領した歌集の見返しページには作者自筆で「天球の青深みたる午後きみとわれとを繋ぐこころの力」という一首と久木田真紀という署名が書かれている。