第104回 大道寺将司『棺一基』

まなうらの虹崩るるや鳥曇
      大道寺将司『棺一基』
 著者の大道寺将司だいどうじ まさしの名に聞き覚えがあるのは、私と同年代かそれ以上の年齢の人だろう。大道寺は1948年生まれ。新左翼過激派の活動家で、東アジア反日武装戦線「狼」を名乗り、1974年に丸の内の三菱重工東京本社ビルを爆破するという爆弾テロを起こした。このテロにより8名が死亡し、376名が負傷。大道寺はこの事件を含む三件の事件の咎により、1979年に死刑判決を受けた。この判決は1987年に最高裁で確定。以後長きにわたり死刑囚として巣鴨の東京拘置所の獄中にある。すでに句集『友へ 大道寺将司句集』、『鴉の目 大道寺将司句集 II 』があるが、既刊の句集から選んだものと新作を合わせて、このたび『棺一基 大道寺将司全句集』が上梓された。
 序文と跋文を辺見庸が書いている。辺見は単に文章を寄せただけではなく、東京拘置所に足を運んで大道寺と面会し、句集の刊行を熱心に勧めたとあるので、実質的に本書のプロデューサーであり編集者でもある。行きつ戻りつと地を這うような運動を執拗に反復し、内臓に触れんばかりに迫って来る辺見の文体を、もともと私はあまり好まないのだが、本書に限っては辺見独特の文体は、本句集の主調をなすトーンと絶妙に照応し、本句集に解説文を書くことができるのは辺見以外にありえないと思わせるほどである。句集題名は集中の「棺一基四顧茫々と霞みけり」に由来する。言うまでもなくこの棺とは、死刑囚である大道寺が入ることになる棺桶である。生と死のあわいを凝視した句で、大道寺のような境涯にいる人以外には作り得ない句であろう。
 獄中にあるという境涯と短歌や俳句などの短詩型文学との繋がりは深いものがある。一ノ関忠人は「短歌の生理 抄」(セレクション歌人『一ノ関忠人集』収録)という文章で辞世や死刑囚の歌を取り上げて、「死と短歌は不可分のものとしてある」と断じているが、同感である。狭い獄中で読書以外にできることは限られているという物理的制約もあろうが、何より死刑囚として自らの死と日々向き合うという極限的状況が、人をして短歌や俳句に向かわせるのだろう。連合赤軍浅間山荘事件の死刑囚・坂口弘の歌集『常しへの道』や、カリフォルニアで終身刑の獄にある郷隼人の歌文集『ロンサム隼人』を見てもそのことは得心できよう。辺見は序文の中で、大道寺は「俳句にいまや全実存を託したのだ」と述べているが、「実存」という現代では流行らない言葉が、本句集を読むとその重みのすべてをかけて迫って来る。その言葉の圧は他に類を見ない。
 編年体で構成された本句集の巻頭近くには、俳句に手を染めて間もないと覚しき句が並ぶ。取り立てて言うところのないふつうの句である。
蒲団干し日向の匂ひ運びけり
差し入れの甘夏薫る人屋かな
生かされて四十九年の薄暑かな
秋の蝶病気見舞ひに来る窓辺
ケバラ忌や小声で歌ふ革命歌
寒中や昼餉に食ふメンチカツ
身のうちの虚空に懸かる旱星
 有季定型という形式が常人の域を超えて作者にとって重みを持つことに留意したい。狭い独房は極限まで縮小された世界で、獄中の人はわずかにのぞく窓の隙間から吹く風や入り込む花びらによってのみ外界の変化を知る。規則で定められた単調な日常の反復のなかで、季節の変化は唯一自己の生を確認できるよすがなのだ。干した蒲団の日向の匂いや、差し入れの甘夏や、獄中に迷い込む蝶などのこの世の微細な変化や事物を掬い取るのは、俳句や短歌などの短詩型がもともと得意としていることである。歩いて数歩の狭い独房が乾坤のすべてという極限的状況は、病床六尺が世界のすべてであった子規の晩年の境涯と通じるところがある。世界の狭さと詩型の小ささとが絶妙に釣り合っていると言うべきか。
 東京拘置所では死刑が執行される。囚徒にそれが告げられることはないが、拘置所内の空気で察せられるようだ。次の一句目には「死刑執行あり」という詞書が付されている。いずれも絶句して読むほかない句である。
看守みな吾を避けゐる梅雨寒し
夏深し魂消る声の残りけり
花影や死はたくまれて訪るる
絞縄の揺れ停まりて年明くる
縊られし晩間匂ふ桐の花
 集中には「君が代を囓り尽くせよ夜盗虫」「狼や見果てぬ夢を追ひ続け」のように、左翼活動家の本懐を詠んだ句も散見されるが、作者の想いは徐々に自らが手を下した爆弾テロへの悔悟と犠牲となった死者へと向かう。
死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ
春雷に死者たちの声重なれり
ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな
夢でまた人危めけり霹靂神
わが胸に杭深々と風光る
掃苔や爆破の銘のまぎれなく
ででむしやまなうら過る死者の影
 読んでいて痛感するのは、最初は獄中の手すさびから始めた俳句だったかもしれないが、それがやがて自己を凝視する道へと意味を深化させていることである。
蚊とんぼや囚はれの身の影は濃き
汗疹して今日の命を諾へる
干蒲団死者に貰ひし命かな
揺れやまぬ生死しょうじのあはひ花芒
身ひとつに曳く影ながし九月尽
厭はれしままにて消ゆる秋の蝿
木菟啼いて吾が病臭に噎せにけり
身の奥の癌の燃え立つ大暑かな
 「俳句に全実存を託した」という辺見の物言いが決して大袈裟に感じられないのはこのような句に出会った時である。囚徒の影はなぜ濃いか。それは身の内に抱えているものが重いからであるが、同時に影を見据える眼差しが研ぎ澄まされて来るからでもある。死と向き合う作者の眼差しは「末期の眼」に似るが、実は作者が抱える死は三つある。ひとつは爆弾テロの犠牲者となった他者の死、ふたつはいつ執行されるかわからない死刑による自らの死、それに加えて獄中で発症した癌がもたらす死である。幽明の境に揺れる作者から放たれる言葉は、俳句の技術的巧拙というレベルを超えて読む人に迫って来る。
 確定死刑囚という作者の境涯とは無関係な次のような句にも、死と死が逆照射する生がくきやかに封じ込まれている。
月光のきはまりて影紛れなし
天日を隠してゆける黒揚羽
止まりてしがらみ越ゆる秋の水
滝氷柱いのちのとよみ封じをり
水底の屍照らすや夏の月
 死を思うことで私たちは生の根源に触れる。そこにこそ文学の存在理由がある。また俳句という定型の器が大道寺にこのような自己深化を可能ならしめたことは記憶に留めるべきだろう。ここで空想してみよう。大道寺が獄中で現代詩を書いたとしたならば、ここまでの自己深化を遂げることができただろうか。いや、そもそも獄中の死刑囚が形式に何の制約もない自由な現代詩を書こうと思うだろうか。想像しがたいことである。有季定型の持つ制約そのものが、極限的な不自由状況において自己深化の機縁となるのである。ここに説明に窮する不可思議な逆説があり、定型にはそのような力があることを認めねばなるまい。炎暑の葉月にそのことを今一度想起するのも悪くはなかろう。