第113回 高木佳子『青雨記』

刈られたる草の全きたふれふし辺りの空気あをみ帯びたり
                 高木佳子『青雨記』
 高木佳子たかぎ よしこは1972生まれで「潮音」に所属。2005年に「片翅の蝶」で「短歌現代」新人賞と「潮音」新人賞を受賞。この一連を収めた第一歌集『片翅の蝶』(2007年)で日本歌人クラブ新人賞を受賞している。『青雨記』(2013年)はそれ以後の作を収録した第二歌集である。
 確か小池光だったと思うが、次のようなことをどこかに書いていた。歌人にとって大事なのは第二歌集である。第一歌集はそれまでに作り溜めた歌を集めれば出せる。それを青春の記念や一生の思い出として、そこで終わる人も多くいる。ほんとうに歌人として立つのは第二歌集においてである。確かこんな内容だった。
 実は私は『片翅の蝶』も出版された時すぐに読んだのだが、読み進むうちに息苦しくなり、途中で巻を閉じてしまった。歌から滲み出るあまりの閉塞感に圧倒されてしまったのである。
いつよりか無援となりて驟雨にも寄るべき軒を見い出せずゐる
妻として撮らるるときに目をそらすわれの理由を誰か質せよ
父母の血は閉ざさむと若き日に立てし誓いひのかく脆きかな
われに優位を誇示するごとく高らかに笑ひ声あぐる三人子の母
脂臭き歯の向かう側その生を飲みこみて来し父よ語れよ
 『片翅の蝶』の主旋律は出産と子の成長という女性の物語なのだが、妻の座に安住する自分への不安、子を持つことへの畏れ、父との根深い確執など、負の感情が横溢する歌集だった。確かに歌集後半まで読み進めば、「をのこ児の髪はいつでもみじかくて深まりてゆく櫛のあめいろ」のように、心穏やかに子供の成長を見つめる歌もあって、閉塞から解放へ、闇から光へという構成の歌集であることが知れる。私は途中で挫けてしまったわけだ。ただそのことを差し引いても、『片翅の蝶』収録の歌には叙景が少なく、主情に大きく傾いた歌集だという印象が強い。反アララギ、反写実の立場を貫いた太田水穂の「潮音」の影響もそこには働いているかもしれない。
 ところが『青雨記』を一読して驚いた。作風ががらりと変わっているのである。
てのひらに蟻歩ましめてのひらに限りのあれば戻りきたりぬ
いちまいの花びら咬みて小鳥遊びそのはらびらのあまたなる傷
つよき陽射しうけとめかねて夾竹桃に寄れば夾竹桃にならむよ
いつくしく薄暮となりて青鷺はとけゆくごとく片脚に立つ
金木犀および少女ら香りけふの日をうしなひながら生きつつあらむ
 『片翅の蝶』の至る所に顔を覗かせていた「悩める〈私〉」はすっかり影を潜めて、対象に寄り添う視線が勝る歌になっている。歌は景物(=対象)とそれを見る〈私〉(=主体)との出会いを契機として生まれるものであるが、その際に対象の側に比重を置くか、それとも主体の側に比重を置くかで歌の性格が大きく異なる。対象に比重を置いた歌がいわゆる客観写生であるが、100%対象側ということは理論上あり得ない。なぜなら対象を認識するには主体の能動的活動が必要で、対象描写には必然的に主体の把握が混じるからである。逆に主体に比重を置いた歌はロマン的かつ抒情的性格を色濃くすることになり、その中には幻想的世界を描くものもあるだろう。『片翅の蝶』には主体に比重が置かれた歌が多く見られたが、『青雨記』では振り子が反対側に振れるように主体を離れた歌が中心となっている。
 では高木は対象に即した写実に転向したのかといえば、ことはそれほどかんたんではない。上に引いた一首目を見てみよう。自宅の庭か公園で、戯れに蟻を手の平に乗せている情景が描かれている。手の平は狭いため、端まで行った蟻がまた戻る。それだけを詠んだ歌である。これは客観写生だろうか。そうではあるまい。「てのひらに限りのあれば」は主体側の認識である。では子規の「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」はどうか。「藤の花ぶさみじかければ」も同様に主体側の認識だから同断ではないか。子規の歌の核は対象認識にあり、歌意は対象の認識と認識した主体という契機に回収されるが、高木の歌ではそこに回収されない何かが残る。それは「てのひら」の反復によって生じる非現実感である。リフレインは童謡でよく用いられる手法で、現実を虚構の世界へと転轍する作用がある。対句的定型が反復されることによって、その話は現実のことではなく昔々ある所で起きたとさ、へと変換されて時空を超える。よく見ると上に引いた二首目にも「はなびら」の反復がある。
 おまけに一首目は蟻、二首目は小鳥が嘴で花びらに付けた傷という、超微細世界である。これが高じると「つばさより鱗粉こぼれ紋白の揚がりゆくなり幾らかかろく」となって、こぼれた鱗粉の分だけ体重が軽くなっただろうというマイクログラムの世界になる。ここまで行くともはや幻視の世界である。そう考えれば「潮音」には葛原妙子がいたことが思い出されないだろうか。高木は第一歌集『片翅の蝶』の主情的歌風を脱して客観写生へと向かったのではなく、対象と主体の二項対立という図式を超える幻視の領域へと踏み出したのだろう。そう考えれば次のような歌も了解できるのである。
透きとほるそれら雨滴のふくらみてあをく動きつ傘の傾きに
しづみゆく糖の崩れを見送りぬアールグレイのその深さまで
skypeにみづうみの映ゆすぎゆきに潜水士帰らざりしみづうみ
ゆくらかに点灯夫来て空の鳥海の魚を灯すゆふぐれ
琥珀石透かすいつときゆふぐれは右の眼にのみ訪れぬ
 四首目の点灯夫の歌や五首目の琥珀石の歌はうっとりするほど美しい。高木は第二歌集に至って独自の歌の世界を確立したと言えるだろう。
 最後になったが高木は福島県いわき市の在住であり、東日本大震災で爆発事故を起こした福島第一原子力発電所による放射能被害を受けた。歌集巻末には原発事故を詠んだ歌が置かれている。
見よ、それが欠伸をすればをののきて逃げまどふのみちひさき吾ら
海嘯ののちの汀は海の香のあたらしくして人のなきがら
繊すぎる雨の降りきてをさなごのやはき身体を汚しゆくなり
 いずれも一読して沈黙するしかない歌である。あとがきに「雨は、青葉を潤すものとしての雨から、汚染される悪しき雨へと変わった」とあり、いまだに除染作業が進まない地元の現状が窺われる。この苛酷な体験が高木の短歌をどのように変えるかは今後を見守るしかあるまい。