第115回 永井祐『日本の中でたのしく暮らす』

思い出を持たないうさぎにかけてやるトマトジュースをしぶきを立てて
               永井祐『日本の中でたのしく暮らす』
 兎の記憶力がよいのかどうか私は知らない。しかし兎の顔を眺めていると、確かに思い出を持たないようにも思えて来る。「思い出を持たない」とは、永遠の現在を生きるということだ。瞬間を生きて、通過した瞬間は過去へと振り捨てるということである。兎にトマトジュースをかけるという行為に特に象徴的意味はない。白い兎の毛皮に真っ赤なトマトジュースが飛び散る視覚的映像が鮮烈だ。意味の深読みを拒絶する、もしくは深読みできないように歌を作る永井にしては、いろいろな意味を読み込める歌である。曰く、瞬間を生きる兎はバブル崩壊後の失われた20年を生きる低成長・省エネ若者の喩である、とか。しかしそれは永井の本意ではあるまい。ここではちゃんと修辞が用いられ、短歌として立派に成立しており、詩的世界の構築に成功していることだけを指摘しておこう。
 永井は1981年生まれだから、10歳でバブル経済が崩壊した1991年を迎え、2000年前後から作歌を始めている。まさにゼロ年代歌人である。学生短歌会の名門ワセタンこと早稲田短歌会の出身。2002年に北溟短歌賞の次席に選ばれている。正賞は今橋愛、もう一人の次席は石川美南。2005年の第3回歌葉新人賞では最終候補に残る。この年の受賞者は「卓球短歌カットマン」のしんくわ。『日本の中でたのしく暮らす』は永井の第一歌集で、Book Parkから歌葉叢書として刊行されている。北溟短歌賞の審査員は穂村弘と水原紫苑で、歌葉新人賞の審査員は加藤治郎・穂村弘・荻原裕幸だから、永井は一世代上のニューウエーヴ短歌世代に選ばれ見いだされた歌人と言える。しかしその歌風はニューウエーヴ短歌とは似ても似つかぬもので、そこに永井の独自性を見る。
 2000年の短歌研究社「うたう作品賞」以後、ゼロ年代の短歌シーンは、「棒立ちのポエジー」「修辞の武装解除」「一周回った修辞のリアリティー」という穂村の巧みな言い回しを一つの参照点として議論されることが多くなった。棒立ち短歌の代表格として永井の次のような歌が引かれることが多い。
あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな
わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる
 おおむね否定的な文脈で議論の対象になるのだが、方向性は大きく分けて2種類見られる。一つは作歌技法という観点から修辞の不在、もしくは稚拙さを批判する意見である。もう一つは低体温で内向きの世界観を批判する論調だ。どちらにせよ上の世代からは「トホホな歌」(島田修三)、「ゆるい歌」の代表格として否定的に見られがちな永井の短歌であるが、「レ・パピエ・シアン II」の2012年9月号が組んだ特集「若手歌人を読む」で大辻隆弘が永井を高く評価する論陣を張っていて注目される。
 大辻が評価する点は二つある。一つは永井の口語の選択である。あるシンボジウムで永井は自分が完全口語を用いて歌を作る理由を明快に説明したという。曰く、自分は口語・文語・外来語といった様々な言語をツールとして自由に選び取るという言語観を否定する。自分にとって言語とは自己の存在を規定している身体の延長であり、口語は「自分の生まれた国」であるという。また永井の作歌の原点には、ニューウエーヴ短歌の不自然な口語と文語の混在があるとも述べている。つまり永井の短歌のフラットともとれる口語表現は意識的に選択されたものなのである。
 大辻が永井を評価するもう一つのポイントは、助詞の「てにをは」を駆使する「てにをは派」だという側面である。大辻は「たよりになんかならないけれど君のためのお菓子を紙袋のままわたす」という歌を取り上げ、「君のために」ではなく「君のための」とするところに修辞を見て、それが微妙な解釈の揺らぎを生み出していると評価する。
 大辻のこのような指摘には頷くところもあるのだが、いささか「てにをは」に拘りすぎて、贔屓の引き倒しの観もなくはない。しかし永井の短歌は「修辞の武装解除」などではなく、短歌的修辞が用いられているという見方には同意したい。ではそれはどのような修辞なのだろうか。そしてなぜ上の世代から「ゆるい歌」と見られてしまうのだろうか。
終電を降りてきれいな思い出を抜けて気付けばああ積もりそう
日曜の夕方吉祥寺でおりてそこにいるたくさんの若い人たち
コーヒーショップの2階はひろく真っ暗な窓の向こうに駅の光
 品詞を体言と用言に分けると、永井の短歌には用言が多い。たとえば一首目には「降りる」「抜ける」「気付く」「積もる」と動詞が4つもある。また用言の連接も独特である。「降りて」「抜けて」や「ひろく」のように、テ形や連用形で次と繋いでいる。この語法から二つのことが帰結する。まず動詞は基本的に動作・行為を表し、時間的展開をその意味の中核とする。「降りて」「抜けて」「気付けば」の連続で時間が推移している。つまりここで表現されているのは「流れる時間の中を生きている〈私〉」であり、それは日々を暮らす私たちの基本的経験である。一般に動詞が多い短歌は批判される。動詞に内在する時間性が叙景を一幅の絵のように定着することを阻害するからである。永井が嫌うのは、まさにこの「一幅の絵のように定着する」無時間性の不自然さなのではなかろうか。そこに揺曳する「きめポーズ」、TV番組の表現を借りれば「ドヤ顔」を嫌っているのではないだろうか。ゼロ年代歌人の等身大の「リアル」感と相容れないのであろう。
 同じことは三首目にも言える。「コーヒーショップ」で始まり、私たちの視線は2階へと誘導される。するとそこには広い客席があり、次に窓へと導かれ、窓の外の駅の光へと誘われる。ここには動詞は一つもないが、視線誘導による時間の推移がやはり見られる。読者が感じるのは時間の中の移動の感覚であり、最終的に叙景として定着する風景は存在しない。永井の歌に修辞があるとすれば、それは用言の多用や巧みな視線の誘導によって、時間の中を生きている今の〈私〉を描いていることではないだろうか。
 用言の連接から帰結するもう一つの点は、知的再構築による因果の否定である。たとえば上に引いた一首目、「終電を降りて」と「きれいな思い出を抜けて」はテ形で繋がれているが、テ形は隣接関係を表すだけで因果関係を示さない。たとえば「私は朝食を食べて、家を出た」は単に二つの行為を並べただけである。従って次の「気付けば」も単に隣接しているだけである。「気付けば」自体もくせ者だ。「気付けばもう12時になっていた」では、気付いたことと12時であることに何の関係もない。だから次の「ああ積もりそう」は因果の連鎖から遊離した感慨なのである。同じように二首目の「日曜の夕方吉祥寺でおりてそこにいるたくさんの若い人たち」でも、「日曜の夕方吉祥寺でおりて」までとそれ以下との間には、ただ隣り合って存在しているという隣接関係しかない。おまけにここには修辞の捻れまである。「日曜の夕方吉祥寺でおりて」と来れば、次には「○○した」と同一主語の行為が続くのが定石である。ところが実際には「そこにいるたくさんの若い人たち」という連体修飾句付きの体言が控えていてうまく連接しない。この修辞の捻れこそが永井の意図的な工夫なのである。
 なぜこのような作り方をするのか。それは上に述べた一つ目のポイントと同じように、「今を生きる〈私〉のリアル」を表現するためだろう。私たちがAという事象とBという事象に因果関係を認めるのは、コトが済んでから世界を知的に再構築するからである。たとえば、昨日私が寝坊していつも乗る電車に乗り損ね、会社に遅刻したとする。ホームへの階段を駆け上がっているときは、「どうか間に合ってくれ」ということしか考えていない。私たちの頭の中は、その時その時の時点で切実なことで一杯に占められているのがふつうだ。「寝坊したので遅刻した」という因果関係を考えるのは、後ほど時間の余裕ができて、世界のあり方を知的に再構築したときである。しかしそうやって再構築された世界は知的処理を経たものであり、その時点で私が生きていた世界ではない。このようなことではなかろうか。
 永井の歌集を通読していて気付く語法の一つに次のようなものがある。
バスタブに座って九九を覚えてる 遠くにデルタブルースが聞こえる
明け方の布団の中で息を吐く部屋の空気がわずかに動く
電車の音で電話の声が聞こえない 鉄橋の下、マンガをつかむ
 どれも上句と下句が「覚えてる」「聞こえる」のように動詞の終止形で終わっている。ここにも事象の並列があり、因果による世界の構造化は拒否されている。なぜか。事後の知的処理を拒否することによって、まさに私たちが生きる一瞬一瞬の生の有り様である「世界に投げ出された〈私〉」を表現することができるからではないか。そのように思われる。もしこの解釈が正しいとするならば、永井の歌は「棒立ち」などではなく、周到に作り込まれた歌だということになるだろう。
 修辞に関しては、多くの歌に微妙な歪みが施されていることにも注意したい。
春雨は窓を打ちつつこの本に何かがきっと書かれるだろう
まあまあと言い合いながら映画館を出てからしばらくして桜ある
水のりの匂いのようなものがする秋をスーツの人しかいない
 一首目では「春雨は窓を打ちつつ」で断絶があり、この後に続くべき句はどこかへ消えてしまっている。二首目は「桜ある」までは通常の話し言葉のつながり方で、その後が「喫茶店に入る」(字余りだが)ならわかるが、「桜ある」が異常である。三首目の「水のりの匂いのようなものがする」の最後を連体形と取ると、次の「秋を」まではうまくつながるが、その後で断絶している。これもおそらく意図的であり、永井の考えるリアルの一部なのだろう。
 永井の短歌には確かに修辞がある。その修辞のめざしているものが、近代短歌のセオリーとは方向が異なっているというだけだ。それにしてもそんなに有効射程の短いリアルでよいのかという疑問は残るだろう。その疑問に答えることができるのは作者だけしかいるまい。