第161回 田中濯『氷』

光年を超える単位を我ら持たず秋のナナカマド濡れていて
                     田中濯『氷』 
 第一歌集『地球光』(2010年)で第17回日本歌人クラブ新人賞を受賞した田中濯の第二歌集が出た。題名は何と『氷』で、盛岡暮らしを終えた作者が一番印象に残っているものだという。それにしてもシンプルなタイトルだ。このシンプルさに作者の現在の心のあり様が現れていると感じるのは深読みのしすぎか。
 『地球光』の評にも書いたことだが、田中は初期歌篇においては独特なシンタックスを用いた歌を作っており、その後「歌の別れ」を経て再開した歌では極めて平明な歌風に変化している。その傾向は本歌集にも顕著に見られ、全体を一読した印象は「体温の低さ」もしくは「熱量の少なさ」である。
夏去りて戻りし雪はさらさらと放置されたる自転車に降る
レシートを返す箱にはレシートがあふれおり白き花束のごと
ガムテープひときれ壁に残る夜を印刷室に淡き光源
週末のあるひとときは里者のただなかにいて憩うことあり
 田中の基本は近代短歌のリアリズムで、抒情は最低限に抑えられている。一首目、夏が去ってすぐ雪が来るというのは東北の自然なのだろう。情景を淡々と描いていて主情は希薄である。二首目はコンビニの風景か。レジに不要のレシートを入れる箱が置いてある。「白き花束のごと」という見立てに詩情はあるがこれまた極めて淡い。三首目はリアリズム短歌の王道である細部への着目が生かされた歌だが、これまた温度は低い。四首目は週末になって町に出て、喫茶店にでも入っている場面だろう。いずれも極めて淡々と事実を描くことに徹していて、「景」と「情」の組み合わせであるはずの短歌で「情」の含有率が低いのである。
 田中は理系の研究者であり、癌細胞が研究テーマのようだから、細胞生物学者ということになるのだろう。研究生活に題を得た歌も少なからずある。
細胞はディープ・フリーザより取り出され再分裂す 新年はじめ
科研費ののこりを精算するために購いし刷毛たおやかなりき
先のない我が研究に関わりなく宇多田ヒカルが歌辞めるらし
一本のバナナで耐えし三時間シャーレの底に細胞沈む
一年が任期削ってゆくときに深く狂いたる研究者たち
研究が五年残らぬ時代なり緑茶を淹れる間にも古びて
 田中はなかなか厳しい研究生活を送っているようだ。理科系では任期付きのポストが増えていて、三年とか五年しか同じポストに留まれない。更新なしの場合は、任期が切れたら次の場所に移らなくてはならない。なかには「深く狂う」人も出てくるだろう。短期間で成果を出すために、研究不正行為も後を絶たない。二首目は思わず笑ってしまったが、科学研究費は単年度予算なので、支給された研究費はその年度内に使い切ってしまわなければならない。そのために年度末になると特に必要でもない物品を購入して、帳尻を合わせるのである。
 田中が盛岡にいる間に東日本大震災が発生した。本書は二部構成になっていて、第一部は震災前の歌、第二部は震災後の歌が収録されている。しかし盛岡は直接の被害が少なかったせいか、震災をストレートに読んだ歌はない。
布団だけ敷きっぱなしにして店にゆけば百人すぐ列をなす
「釜石にいくためにガソリンが欲しい」リツイートできず涙流しぬ
どうやって仕入れたのだろう今週の「ジャンプ」が積まれ今日は月曜
原発の神があらぶるしずけさは眼にはみえないひかりのゆえに
汐とみなみかぜ浴びついにけがれたる尊き松を灰に還せ
 これらの歌には現場的緊迫感と動転する心の動きが表れている。そんななかでも本屋に積まれた「少年ジャンプ」に着目するところはやはり歌人である。五首目は、津波で倒れた松を京都の五山の送り火の薪にしようと計画したところ、放射能を怖れる住民からの反対で実現しなかったという出来事に憤る歌で、珍しく激情が迸る歌となっている。震災と原発事故関連の歌では、次のように出来事から少し時間をおいて、黙示録的想像力をめぐらせた歌にすぐれたものがある。
ひとならぬ忌み神占める土地ひろがり雲雀の声はふかくなりたり
あおぎみる天は燃えおり可視外の炎ともなう放射性降下物フォールアウト
濡れ髪に染むセシウムもくくられて月光に照る馬の尻尾ポニーテイル
融け落ちし炉心秘仏のごとくしてそらはかぶさる伽藍のように
 集中で異彩を放つのは、病を得て入院した折りの歌と、東電OL殺人事件の歌である。
病棟は左手ゆんで使えぬ人多し右手めてが利き手が大半なれば
よろぼいて詰所に薬うけとりに行くわれらいま月面にいる
カミソリは禁止もちろん紐状のものも厳禁自死防ぐため
一度きりくるしみて死ぬ初春の円山町のくらやみのした
切り込みの深き渋谷の谿に降る雨はあなたの鬢を濡らして
 東電OL殺人事件の歌は、東電福島第一原発が事故を起こしたことにより思い出されたものかと思う。ここへ来てあらためて感じるのは、本歌集を貫いているのが「死への思い」ではないかということである。田中は巻頭に「死は通りぬけるのがひじょうにむずかしい門です、傲慢なものが通れるようにはできておりません」というベルナノスの『田舎司祭の日記』の一節をエピグラフとして掲げているのである。
 最後に心に残った歌を挙げておこう。
ドーナツに糖のかがやき 並びたるひとに秘かな汗にじみけん
ハゼノキの蝋燭、蝋はそらに融けかすかに薫るこのゆうぐれに
マウスから血を絞るときわたくしのたなごころよりたちのぼる湯気
骨流れつく秋の入り江にたたずみしゾウの群れには古代の夕陽
セシウムのはつか含まれたる雨に打たれてすごすこの新世紀