第178回 法橋ひらく『それはとても速くて永い』

自閉する日々にも秋の降るように惑星(ほし)は優しく地軸を傾ぐ
           法橋ひらく『それはとても速くて永い』
 本歌集は書肆侃侃房の「新鋭短歌シリーズ」の一巻として上梓された法橋の第一歌集である。法橋は1982年生まれで「かばん」所属。2014年(平成26年)の短歌研究新人賞において連作「灯台」で最終選考通過作に選ばれている。
 歌集題名の『それはとても速くて永い』は、指示詞「それ」の指示対象が明かされていないためいささか謎めいているが、私なりに謎解きをしてみると、「それ」が指しているのは、「人生」もしくは「人生に流れる時間」ではないかと思う。歌集を読み進むにつれてそのように感じられてくる。解説を寄せた東直子は、法橋の短歌に見られる「生きづらさ」に焦点を当てている。東が引くのは次のような歌である。
風に舞うレジ袋たちこの先を僕は上手に生きられますか
冬がくる 空はフィルムのつめたさで誰の敵にもなれずに僕は
 確かに短歌に詠まれた内容の面で東の指摘は正しいのだが、ここではもう少し短歌の作り方に着目して考えてみたい。
 法橋は世代的にはいわゆるゼロ年代の歌人に属する。1981年生まれの五島諭・永井祐と1歳しかちがわない。物心のつく小学校高学年の頃にバブル経済が破綻し、その後長く続く低成長とデフレの時代に青春を送った世代である。穂村弘は「ゼロ金利世代」と呼んでいる。作歌の面で五島らと共通する特徴は口語・フラット・低体温だろう。一世代上の加藤治郎らが推し進めた短歌の口語化はほぼ所期の目標を達成し、口語それも日常的話し言葉がこの世代には多く使われている。「フラット」にはいくつもの側面があるが、韻律面では内的な短歌韻律の喪失、調子の面では「歌い上げる」「ドヤ顔で決める」ことへの含羞、内容面では身近な日常の拡大が挙げられる。これは3つ目の特徴である「低体温」と密接に関連している。法橋の歌にもこれらの特徴がほぼすべて当てはまる。
上達しないいくつかのこと真っ直ぐにタトルテープを貼りつけるとか
君はもう眠れたろうかぼんやりとタイムカードを差し込みながら
優しかった雨の終わりを聴いているカーテンのそと白紙のひかり
 「貼りつけるとか」や「眠れたろうか」は若者の口語であり、どの歌にも淡い感情が表現されているものの、激しい感情の起伏や他者への訴えといったものは見られず、まるで色彩の淡い水彩画を見ているかのようだ。
 全体に生活感が希薄で、仕事や社会を詠んだ歌が少ない。ちなみに法橋は図書館に勤務しているようで、「タトルテープ」は盗難防止のために本に張るテープのことである。生活感があまり感じられない理由は、法橋の歌の世界では〈私〉がほぼ〈感じる私〉に限定されているからだろう。本来〈私〉は多面的な存在である。〈行動する私〉もあれば、〈考える私〉や〈愛する私〉も〈働く私〉もある。その多様な〈私〉の局面のそれぞれに光を当てて短歌を作れば、もっと多種多様な歌が生まれるはずだが、法橋の歌の中心は〈感じる私〉から離れることがない。その遠因はおそらく持って生まれた自意識と、心から離れることのない不全感・閉塞感だと考えられる。たとえば、次の歌の「なけないぼくら」には強い不全感があり、レジ袋は自ら進路を決めることのできない〈私たち〉の喩である。
鳴けよ海(なけないぼくらのみるひかり)廊下に立てたあのキャンバスへ
従順なレジ袋たち河口まで運ばれふいに惑いはじめる
 このような現代短歌の傾向について、穂村弘はおおむね次のように述べている。
「たくさんのおんなのひとがいるなかで / わたしをみつけてくれてありがとう」(今橋愛)のような歌では、一首全体が〈私〉の想いで、それがそのまま「うた」になっていて、想いと「うた」の間にレベルの差がない。想いに対してあまりに等身大の文体は「棒立ち」に見える。この変化は「うた」より自分の想いを重視した結果ではなく、「うた」の文体以前の、世界の捉え方そのものの変化による。90年代の後半から世界観の素朴化と自己意識のフラット化が起こり、それに合わせるように「うた」の棒立ち化が顕著になった。(『短歌の友人』所収「棒立ちの歌」、初出は『みぎわ』2004年8月号)
 つまり短歌のフラット化は、「〈私〉の想い」と「歌の姿形」の比重の変化によるものではなく、その前に世界観がフラット化した結果によるものである、という分析である。法橋の短歌は穂村の言うような「棒立ち歌」ではなく、そこには短歌的修辞が施されていて、これについては後述するが、確かに近代短歌と較べればフラットな文体であることはまちがいない。しかしそれが穂村の言うように、「世界観の素朴化と自己意識のフラット化」によるものかどうかはにわかに断定しがたい。もしそうであるならば、そのような世界観と自己意識の変化は、短歌以外の芸術や学問や社会運動の領域においても、平行的な変容をもたらしているはずで、これを検証してみなければ断定はできない。
 法橋や五島・永井らの口語・フラット・低体温短歌は若い人たちのあいだに急速に広まっており、共感と支持を獲得している。それに較べて伝統的な近代短歌の世代の人たちは、このような短歌を読みあぐねているように思われる。本コラムの五島諭の回でも触れたように、法橋や五島らのフラット短歌は近代短歌の解読コードでは十分に読むことができないようだ。その理由はどこにあるのだろうか。私はふたつの理由があると考えている。
   そのひとつはこれも五島諭の回で触れたが、フラット短歌には永田和宏の言う「問いと答えの合わせ鏡」の構造がないか、あっても非常に希薄である。次の二首を較べてみよう。
マッチ擦るつかのまの海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや  寺山修司
「先輩」と呼びかけられて返すとき左の頬がぎこちなくなる  法橋ひらく
 寺山の歌には明確な切れがある。この切れを境に、上句が問いを誘い出す契機となって下句の問いが浮上し、結句の「ありや」の反語によって答えは霧散し、再び上句の情景へと跳ね返るというのがこの歌の内的構造である。これに対して、法橋の歌では「とき」節による主節・従節構造にはなっているものの、上句は下句の時点を設定しているのみで、両者に「問いと答えの合わせ鏡」の緊張関係はなく、全体としてひとつの流れとなっている。
 なぜ近代短歌が「問いと答えの合わせ鏡」構造を磨いて来たかというと、それは近代短歌が自らを「自我の詩」と定義したためである。一首の中で「問いと答えの合わせ鏡」構造によってホログラム映像のように焦点位置に結像するものが、近代短歌における〈私〉である。もっとも近代短歌にも「問いと答えの合わせ鏡」構造を持たない歌は数多く見られる。
あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ  小野茂樹
 あまりにも有名なこの歌には切れがなく、合わせ鏡の構造がない。それはこの歌が輝いていた愛への挽歌だからである。挽歌は本来死者を悼む慟哭の歌であり、挽歌を詠むとき人は〈私〉を滅して古典和歌の世界に接近するのである。
 フラット短歌では合わせ鏡構造の欠如のせいで、結像するはずの〈私〉が見えにくく希薄である。これが近代短歌に慣れた人にフラット短歌が解読しにくい理由である。
 いまひとつの理由は歌の作り方の手法にある。またまた穂村弘で恐縮だが、穂村は短歌の読みのコード(ひいては作り方のコード)として、「想いの圧縮と解凍」という比喩を用いて語っている(『短歌の友人』所収「『想い』の圧縮と解凍」、初出『文藝』2004年冬号)。ここで言う圧縮と解凍とは、コンピュータの世界で大容量のデータファイルに対して行なう操作のことである。穂村は、小説などの散文と較べて、短歌・俳句・詩などの読みが難しいのは、情報に圧縮がかかっているからで、読者は読むときにある手順に従った解凍の操作を要求されるからだとしている。次は穂村の挙げた例ではなく、手元のアンソロジーからランダムに選んだ例である。
宵々をピアノをたたく未亡人何か罪深く草に零る灯  大野誠夫
 さてこの歌のどこに圧縮がかかっているかというと、それは「何か罪深く」だろう。しかしこの圧縮の意味を十分に解凍するには、この歌が戦後間もない昭和26年に出版された歌集『薔薇祭』に収録されたもので、敗戦後の社会風俗と日本人の心情を活写したものであることを知らなくてはなるまい。
 ゼロ年代のフラット短歌では想いの圧縮という短歌的手法はきわめて希薄である。ではそれに代わって用いられる手法は何かというと、よく見られるのは「5W1H」の過剰な消去である。再び法橋の歌集から引く。
触れないことで触れてしまった核心があってしばらく窓を見ていた
だけどまた透明になる 藤棚のしたを過ぎてく夏の荷車
走っては引き戻されてそうやって春はこころを象りながら
 言うまでもなく「5W1H」とは、明快な文章に必要とされるWhen, Where, Who, What, WhyとHowのことである。しかしこれは情報伝達を目的とする散文の世界の話で、詩ではしばしば「5W1H」の一部消去という手法が用られることはよく知られている。ところがフラット短歌ではこの消去が過剰なまでに行われることが多い。短歌ではもともと作中の〈私〉は表現しないことが多いので、Whoの消去はふつうである。しかし上に引いた一首目の「触れない」の主語は〈私〉としても、それ以外の「4W1H」はまったく表現されていない。「核心」とは何の核心なのだろう。また二首目では、まさか荷車が透明になるはずはないので、「透明になる」の主語 Who / What?が不明であり、上句と下句の意味的関係よくわからない。三首目でも「走っては」の主語は〈私〉だとして、なぜ引き戻されるのか。また「こころ」とは誰の心なのか? これは「想いの圧縮」ではなく、意味解釈のために読者にとって必要な要素の「消去」である。
 仮に穂村の考えとは逆に、フラット短歌の出現が世界観の変容ではなく「〈私〉の想い」と「歌の姿形」の比重の変化によるものであり、作者が「〈私〉の想い」に重点を置いて作っているのだとしても、その目的は十分に果たされているとは言いがたい。近代短歌に慣れた読者がフラット短歌を読みあぐねているのは、このような理由によるものではないだろうか。
 少し法橋の短歌から離れた短歌論になってしまったので、再び法橋の歌集に戻る。法橋の短歌によく登場する単語は「ひかり」と「手を伸ばす」で、「生きづらさ」と「他者との交通の困難」が大きなテーマとなっている。
空がまたうすくなるから見てしまう硝子の向こう、日々の向こうを
揺れやすい姉のこころを想いつつ秤に注ぐブラウンシュガー
星のない夜にも視るよ眼裏にすずしく冴えたヘキサグラムを
叙情せよ体温計もアラームもおしなべてみな夜の無音に
Gardenの縁を歩めば音もなく雨は街灯(ひかり)の下から降れり
光るものすべてを窓と思うときみんなどこかへ帰るひとたち
ただひとり立ち尽くすとき雑踏に渦の目のごと生存はある
 一首目、「硝子の向こう、日々の向こうを」という対句に、硝子という具体物と日々という抽象物を配しており効果的である。二首目、「揺れやすい」ことを秤で形象しており、分銅を用いる天秤秤がふさわしかろう。三首目、「眼裏(まなうら)」という短歌的文語を使っている点がフラット短歌と一線を画す。作者は西洋占星術が趣味だそうで、だからヘキサグラムである。四首目は「叙情せよ」という力強い命令形の歌で、結句が「無音の夜に」ではなく「夜の無音に」と倒置されているのもよい。五首目は秀逸な発見の歌。確かに街灯の上は暗がりで雨が見えず、街灯の下で照らされているところだけ雨が見えるため、まるで雨が街灯の下から始まっているように見えるものだ。六首目、みんなが帰る先は家族の待つ自宅であると同時に、未生以前の世界なのかもしれないと思わせる歌。七首目は自己の生存の根拠を渦の目に喩えたもので、他の歌に較べてずっと力強い言挙げになっている。
 これらの歌は近代短歌のコードでも十分に読める歌であり、また若い感性を感じさせる秀歌と言ってよいだろう。しかし何と言っても私のお気に入りは、冒頭に挙げた掲出歌である。
自閉する日々にも秋の降るように惑星(ほし)は優しく地軸を傾ぐ
 地球という星に四季があるのは、地軸が公転面に対して23度余り傾いているからである。もしこの傾きがゼロであれば、一年中同じような気温になってしまうだろう。この歌はその事情を詠んだ歌だが、いくつもの工夫が凝らされていて美しい歌になっている。「自閉」とそれを慰撫する「優しさ」、「惑星」が内包する「惑う」という意味と、それを覆い隠す「ほし」というルビ、また「秋の降るように」という意味的圧縮などがそれだ。地球の公転という天文学的スケールの事象と、私の自閉という極私的な出来事が一首の中に美しく共存しており、勝手に法橋の代表歌としたい。