第201回 光森裕樹『山椒魚が飛んだ日』

小夜しぐれやむまでを待つ楽器屋に楽器を鎧ふ闇ならびをり
 光森裕樹『山椒魚が飛んだ日』
 夜になり店を閉じた楽器店の軒先で雨宿りをしている光景である。照明を落とした店内はまっくらだが、ところどころに外光にかすかに光る金管楽器やヴァイオリンがうっすら見える。管楽器にしろ弦楽器にしろ、音を共鳴させるため内部は空洞にしてある。まっくらな店内に置かれた楽器の内部はさらに暗い漆黒の闇である。楽器が内部に闇を内包しているのではなく、闇が楽器をまとっているという視点の逆転がこの歌のポイントだ。しかもその様を「鎧ふ」と表現すると、美術館に展示された戦国武将の鎧兜がうっすら脳裏に浮かび、その様子が二重写しになることで、楽器店のショーウィンドーに荘厳な雰囲気が漂うという作りである。観察の鋭さもさることながら、光森が得意とする現実の知的処理が光る歌だ。
 光森裕樹みつもりゆうきは1979年生まれ。京大短歌会を経て現在は無所属の独立系歌人である。「空の壁紙」で2008年に第54回角川短歌賞受賞。第一歌集『鈴を産むひばり』(2010年)で第55回現代歌人協会賞受賞。2012年の第二歌集『うづまき管だより』は電子ブックの形で発表された。『山椒魚が飛んだ日』は昨年12月末に書肆侃侃房より「現代歌人シリーズ」の一冊として出版された第三歌集に当たる。編年体で371首が収録されている。
 歌集タイトルの『山椒魚が飛んだ日』は集中の「婚の日は山椒魚が2000粁を飛んだ日 浮力に加はる揚力」から取られている。飼育している山椒魚を水槽ごと飛行機で運んだのだ。だから水槽の水の浮力に加えて飛行機の揚力も働くのである。作者は会社を辞めて東京を引き払い、石垣島に移住し結婚して子供が生まれた。いずれも人生の一大事であり、それがそのまま本歌集の主題となっている。大きな主題があることがそれまでの二冊の歌集とのちがいである。
やはりはうしやのうでせうかと云ふこゑのやはりとはなに応へつつ、否と
蝶つがひ郵便受けに錆をればぎぎぎと鳴らし羽ばたかせたり
南風の湿度に本は波打ちぬ文字は芽吹くか繁りて咲くか
琉歌かなしく燦たり候石垣島万花は錆よりにほひにほふも
島そばにふる島胡椒さりしかりさりと小瓶を頷かせつつ
 一首目、「石垣島に移住することにしたよ」と知人に告げると、「福島第一原発事故の放射能が心配だからですか」と問われたのである。問うた人は俵万智のことが念頭にあったのだろう。作者は「そうではない」と答える。二首目と四首目には「錆」が登場する。塩分を含む海風が吹く島では鉄製品が早く錆びるのだ。沖縄本島よりさらに南に位置する八重山諸島は亜熱帯で、気候と植物相が本土と大きくちがう。新しい土地に住むことは、その土地の気候風土に慣れることである。三首目では湿気を含んだ南風のせいで本のページが波打つ様が詠まれている。水分を与えられた文字が芽を出すと、咲かせた花が歌となるのだろう。「蝶番」と「羽ばたく」、「文字」と「芽吹く」に詩的飛躍と圧縮がある。八重山はまた伝統芸能の島々でもある。四首目の琉歌は八・八・八・六を基本形とする定型詩。五首目、島そばは本土では沖縄そばの名で呼ばれる。「さり」「しかり」「さり」は漢字にするといずれも「然り」で、「そうだ」「そのとおりだ」の意。それを連ねて島胡椒を振る音を表すオノマトペにして、小瓶がうなずく様子を表している。
みごもりを誰にも告げぬ冬の日にかんむりわしをふたり仰ぎつ
六コンマ一の単位は光年か医師より授かる星図のごときに
たまひよのほほ笑むたまごは内側に耳くち持たむまなぶた持たむ
人名用漢字一覧を紙に刷り鉱石箱のごとく撫でたり
うたびとの名をまづ消してゆくことを眠りにちかき君はとめたり
其のひとが屈みこむ秋、胸そこの枯れ葉に火を打つ名はなんだらう
 生まれて来る子を待つ時間の歌である。誰しも経験することだが、期待と不安が交錯するかけがえのない十月十日だ。二首目の「六コンマ一」は超音波診断機の映像に映った胎児の身長で6.1センチなのだが、ぼんやりしたエコー画像はまるで星図のようで、単位は光年かと思えたという歌である。極小から極大への飛ばし方がいかにも作者らしい。三首目は出産育児雑誌の「たまごクラブ」と「ひよこクラブ」か。両方併せて「たまひよ」と呼ばれる。たまごはまだ生まれる前だが、内部にもう耳や口や瞼ができているのだろうと想像する。生まれ来る子への期待が溢れる歌だ。四首目もまた誰しも経験する命名の楽しみと苦労である。子の名前をあれこれ考えるのは楽しいが、なかなか決まらず悩むこともある。また名前に使える漢字には制限があるので、その範囲内で考えなくてはならない。「鉱石箱のごとく」という喩が切実だ。一読して笑ったのは五首目で、子供の名前が歌人の名前とかぶらないように、歌人の名前をまず候補から外しているのである。確かに「邦雄」や「茂樹」とか「妙子」や「晶子」はまずかろう。この歌集では生まれ来る子は一貫して「其のひと」と呼ばれている。六首目は子に付ける名がその子が歩む人生の道標となり糧となってほしいという親の願いが籠められた歌である。
 歌から読み解くと出産は難産だったようで、入院と手術を必要とし、生まれた子はすぐに保育器に入れられたようだ。集中の圧巻は何といってもこの緊迫した出来事を詠んだ一連だろう。
陣痛の斧に打たるる其の者の夫なら強くおさへつけよ、と
点滴の管のかづらが君を這ひあがりゆくのを吾は掻き分く
砕けつつ樹のうらがへる音をたてぼくらはまつたき其のひとを産む
保育器はしろく灯りて双の手の差し入れ口を窓越しに見つ
うしなはずして何を得むかたぶかぬ天秤におく手と目と口と
吾子のため削がるる手足目鼻口耳肉なれば此の手を終に
 連作では五首目の前に、病院から帰宅する途中、あるはずのない場所に石敢當いしがんとうが見えるという歌がある。石敢當は沖縄の魔除けである。このあたりから歌は幻想的というか妄想的な雰囲気が濃厚になり、子供を生かしてもらう代償として自分の手足を失う契約を悪魔と交わすという話になる。それを受けての五首目と六首目である。その後の三首は画面上表現できないのだが、歌の中にある手という文字と、口偏・手偏・肉月などの漢字部首が血飛沫とともに周囲に飛び散る体裁になっている。タイポグラフィー上の工夫も手伝って鬼気迫るものがある。
 第一歌集『鈴を産むひばり』を取り上げたときは、「世界の情的把握よりは知的把握に優れている」と評したのだが、それから6年が経過して、歌の中の「人生成分」の比重が増したようだ。現代短歌には近代短歌から継承した「人生成分」に加えて、「知的成分」と「空想成分」もあり、その配合の割合は歌人それぞれだ。光森の歌はどちらかといえば「人生成分」が少なく「知的成分」の割合が多かったのだが、移住、結婚、子供の誕生という人生の大事を経験すればこの変化は当然と言えよう。とはいえそこは言葉の手練れの光森のことなので、GANYMEDE59号に寄せた「トレミーの四十八色」題された連作では、48のプトレマイオス星座にこと寄せてそれぞれに異なる色を詠み込むという離れ業を見せている。

斬り落とすメドゥーサの首より散りゆける蛇よ流星群の山吹
戦闘馬車チャリオット壁画に彫られ牽く馬を弓にて狙ふ馭者の亜麻色

 このような技巧を駆使した歌もまた見所ではあるのだが、歌の中に想いが沈むような静かな歌が読後の印象に残った。

隣宅のドアノブの雪おちてをりさてもみじかき昼餉のあひだに
島時間の粒子を翅からこぼしつつ空港跡地は蝶ばかりなり
其のひとの疾き心音はなつかしく雨ふりどきのなはとびの音
ああ、雪 と出す舌にのる古都の夜をせんねんかけて降るきらら片
0歳を量らむとしてまづ吾が載りて合わせぬ目盛りを0に
ことばもてことば憶ゆるさぶしさを知らざるくちのいまおほあくび
ドラム式洗濯機のなか布の絵本舞はせて夏をうたがはずあり

 ことに六首目は印象深い。最初は目の前にある物を指さして「おはし」と親が言うことで幼児は物の名を覚える。現物学習である。このとき「おはし」という言語記号は指示対象と取り持つ「手触り」や「感触」や「重さ」などの豊かな身体的関係を内に包含する。しかし、年齢が進むに従って現物学習の機会は減り、「○○とは××のことだよ」と言語を用いて言語を教えるようになるにつれて、現実との豊かな身体的関係は失われてゆく。子供の成長は喜ばしいことだが、その影に一抹の淋しさを感じることがあるのはそのためだろう。言葉に敏感な歌人ならではの歌である。
 音声学者の教えるところによれば、生まれたばかりの嬰児はどのような言語の音でも発音できるのだそうだ。生後の言語の学習とは、その発音レパートリーを自分の母語の音へと狭め、他の音は捨てる過程と見ることもできる。成長とは可能性の縮減なのである。
 第一歌集『鈴を産むひばり』は帯なし、帯文なし、栞文なしのないない尽くしだったが、『山椒魚が飛んだ日』は書肆侃侃房より「現代歌人シリーズ」の一冊として出版されたせいか、帯も帯文も著者プロフィールもちゃんとある。小豆色の表紙の落ち着いた色と手応えのある厚さの帯が印象的な装幀だ。奥付によると昨年の12月21日の刊行なので、昨年度の歌壇の回顧には間に合わないが、今年の収穫として記憶されるだろう一冊である。