第201回 光森裕樹『山椒魚が飛んだ日』

小夜しぐれやむまでを待つ楽器屋に楽器を鎧ふ闇ならびをり
 光森裕樹『山椒魚が飛んだ日』
 夜になり店を閉じた楽器店の軒先で雨宿りをしている光景である。照明を落とした店内はまっくらだが、ところどころに外光にかすかに光る金管楽器やヴァイオリンがうっすら見える。管楽器にしろ弦楽器にしろ、音を共鳴させるため内部は空洞にしてある。まっくらな店内に置かれた楽器の内部はさらに暗い漆黒の闇である。楽器が内部に闇を内包しているのではなく、闇が楽器をまとっているという視点の逆転がこの歌のポイントだ。しかもその様を「鎧ふ」と表現すると、美術館に展示された戦国武将の鎧兜がうっすら脳裏に浮かび、その様子が二重写しになることで、楽器店のショーウィンドーに荘厳な雰囲気が漂うという作りである。観察の鋭さもさることながら、光森が得意とする現実の知的処理が光る歌だ。
 光森裕樹みつもりゆうきは1979年生まれ。京大短歌会を経て現在は無所属の独立系歌人である。「空の壁紙」で2008年に第54回角川短歌賞受賞。第一歌集『鈴を産むひばり』(2010年)で第55回現代歌人協会賞受賞。2012年の第二歌集『うづまき管だより』は電子ブックの形で発表された。『山椒魚が飛んだ日』は昨年12月末に書肆侃侃房より「現代歌人シリーズ」の一冊として出版された第三歌集に当たる。編年体で371首が収録されている。
 歌集タイトルの『山椒魚が飛んだ日』は集中の「婚の日は山椒魚が2000粁を飛んだ日 浮力に加はる揚力」から取られている。飼育している山椒魚を水槽ごと飛行機で運んだのだ。だから水槽の水の浮力に加えて飛行機の揚力も働くのである。作者は会社を辞めて東京を引き払い、石垣島に移住し結婚して子供が生まれた。いずれも人生の一大事であり、それがそのまま本歌集の主題となっている。大きな主題があることがそれまでの二冊の歌集とのちがいである。
やはりはうしやのうでせうかと云ふこゑのやはりとはなに応へつつ、否と
蝶つがひ郵便受けに錆をればぎぎぎと鳴らし羽ばたかせたり
南風の湿度に本は波打ちぬ文字は芽吹くか繁りて咲くか
琉歌かなしく燦たり候石垣島万花は錆よりにほひにほふも
島そばにふる島胡椒さりしかりさりと小瓶を頷かせつつ
 一首目、「石垣島に移住することにしたよ」と知人に告げると、「福島第一原発事故の放射能が心配だからですか」と問われたのである。問うた人は俵万智のことが念頭にあったのだろう。作者は「そうではない」と答える。二首目と四首目には「錆」が登場する。塩分を含む海風が吹く島では鉄製品が早く錆びるのだ。沖縄本島よりさらに南に位置する八重山諸島は亜熱帯で、気候と植物相が本土と大きくちがう。新しい土地に住むことは、その土地の気候風土に慣れることである。三首目では湿気を含んだ南風のせいで本のページが波打つ様が詠まれている。水分を与えられた文字が芽を出すと、咲かせた花が歌となるのだろう。「蝶番」と「羽ばたく」、「文字」と「芽吹く」に詩的飛躍と圧縮がある。八重山はまた伝統芸能の島々でもある。四首目の琉歌は八・八・八・六を基本形とする定型詩。五首目、島そばは本土では沖縄そばの名で呼ばれる。「さり」「しかり」「さり」は漢字にするといずれも「然り」で、「そうだ」「そのとおりだ」の意。それを連ねて島胡椒を振る音を表すオノマトペにして、小瓶がうなずく様子を表している。
みごもりを誰にも告げぬ冬の日にかんむりわしをふたり仰ぎつ
六コンマ一の単位は光年か医師より授かる星図のごときに
たまひよのほほ笑むたまごは内側に耳くち持たむまなぶた持たむ
人名用漢字一覧を紙に刷り鉱石箱のごとく撫でたり
うたびとの名をまづ消してゆくことを眠りにちかき君はとめたり
其のひとが屈みこむ秋、胸そこの枯れ葉に火を打つ名はなんだらう
 生まれて来る子を待つ時間の歌である。誰しも経験することだが、期待と不安が交錯するかけがえのない十月十日だ。二首目の「六コンマ一」は超音波診断機の映像に映った胎児の身長で6.1センチなのだが、ぼんやりしたエコー画像はまるで星図のようで、単位は光年かと思えたという歌である。極小から極大への飛ばし方がいかにも作者らしい。三首目は出産育児雑誌の「たまごクラブ」と「ひよこクラブ」か。両方併せて「たまひよ」と呼ばれる。たまごはまだ生まれる前だが、内部にもう耳や口や瞼ができているのだろうと想像する。生まれ来る子への期待が溢れる歌だ。四首目もまた誰しも経験する命名の楽しみと苦労である。子の名前をあれこれ考えるのは楽しいが、なかなか決まらず悩むこともある。また名前に使える漢字には制限があるので、その範囲内で考えなくてはならない。「鉱石箱のごとく」という喩が切実だ。一読して笑ったのは五首目で、子供の名前が歌人の名前とかぶらないように、歌人の名前をまず候補から外しているのである。確かに「邦雄」や「茂樹」とか「妙子」や「晶子」はまずかろう。この歌集では生まれ来る子は一貫して「其のひと」と呼ばれている。六首目は子に付ける名がその子が歩む人生の道標となり糧となってほしいという親の願いが籠められた歌である。
 歌から読み解くと出産は難産だったようで、入院と手術を必要とし、生まれた子はすぐに保育器に入れられたようだ。集中の圧巻は何といってもこの緊迫した出来事を詠んだ一連だろう。
陣痛の斧に打たるる其の者の夫なら強くおさへつけよ、と
点滴の管のかづらが君を這ひあがりゆくのを吾は掻き分く
砕けつつ樹のうらがへる音をたてぼくらはまつたき其のひとを産む
保育器はしろく灯りて双の手の差し入れ口を窓越しに見つ
うしなはずして何を得むかたぶかぬ天秤におく手と目と口と
吾子のため削がるる手足目鼻口耳肉なれば此の手を終に
 連作では五首目の前に、病院から帰宅する途中、あるはずのない場所に石敢當いしがんとうが見えるという歌がある。石敢當は沖縄の魔除けである。このあたりから歌は幻想的というか妄想的な雰囲気が濃厚になり、子供を生かしてもらう代償として自分の手足を失う契約を悪魔と交わすという話になる。それを受けての五首目と六首目である。その後の三首は画面上表現できないのだが、歌の中にある手という文字と、口偏・手偏・肉月などの漢字部首が血飛沫とともに周囲に飛び散る体裁になっている。タイポグラフィー上の工夫も手伝って鬼気迫るものがある。
 第一歌集『鈴を産むひばり』を取り上げたときは、「世界の情的把握よりは知的把握に優れている」と評したのだが、それから6年が経過して、歌の中の「人生成分」の比重が増したようだ。現代短歌には近代短歌から継承した「人生成分」に加えて、「知的成分」と「空想成分」もあり、その配合の割合は歌人それぞれだ。光森の歌はどちらかといえば「人生成分」が少なく「知的成分」の割合が多かったのだが、移住、結婚、子供の誕生という人生の大事を経験すればこの変化は当然と言えよう。とはいえそこは言葉の手練れの光森のことなので、GANYMEDE59号に寄せた「トレミーの四十八色」題された連作では、48のプトレマイオス星座にこと寄せてそれぞれに異なる色を詠み込むという離れ業を見せている。

斬り落とすメドゥーサの首より散りゆける蛇よ流星群の山吹
戦闘馬車チャリオット壁画に彫られ牽く馬を弓にて狙ふ馭者の亜麻色

 このような技巧を駆使した歌もまた見所ではあるのだが、歌の中に想いが沈むような静かな歌が読後の印象に残った。

隣宅のドアノブの雪おちてをりさてもみじかき昼餉のあひだに
島時間の粒子を翅からこぼしつつ空港跡地は蝶ばかりなり
其のひとの疾き心音はなつかしく雨ふりどきのなはとびの音
ああ、雪 と出す舌にのる古都の夜をせんねんかけて降るきらら片
0歳を量らむとしてまづ吾が載りて合わせぬ目盛りを0に
ことばもてことば憶ゆるさぶしさを知らざるくちのいまおほあくび
ドラム式洗濯機のなか布の絵本舞はせて夏をうたがはずあり

 ことに六首目は印象深い。最初は目の前にある物を指さして「おはし」と親が言うことで幼児は物の名を覚える。現物学習である。このとき「おはし」という言語記号は指示対象と取り持つ「手触り」や「感触」や「重さ」などの豊かな身体的関係を内に包含する。しかし、年齢が進むに従って現物学習の機会は減り、「○○とは××のことだよ」と言語を用いて言語を教えるようになるにつれて、現実との豊かな身体的関係は失われてゆく。子供の成長は喜ばしいことだが、その影に一抹の淋しさを感じることがあるのはそのためだろう。言葉に敏感な歌人ならではの歌である。
 音声学者の教えるところによれば、生まれたばかりの嬰児はどのような言語の音でも発音できるのだそうだ。生後の言語の学習とは、その発音レパートリーを自分の母語の音へと狭め、他の音は捨てる過程と見ることもできる。成長とは可能性の縮減なのである。
 第一歌集『鈴を産むひばり』は帯なし、帯文なし、栞文なしのないない尽くしだったが、『山椒魚が飛んだ日』は書肆侃侃房より「現代歌人シリーズ」の一冊として出版されたせいか、帯も帯文も著者プロフィールもちゃんとある。小豆色の表紙の落ち着いた色と手応えのある厚さの帯が印象的な装幀だ。奥付によると昨年の12月21日の刊行なので、昨年度の歌壇の回顧には間に合わないが、今年の収穫として記憶されるだろう一冊である。

 

第59回 光森裕樹『鈴を産むひばり』

おたがいの母語に訳して聴いてみるおのまとぺいあミュンヘンは雨
                 光森裕樹『鈴を産むひばり』
 作者は旅行中にミュンヘンにいて、おそらくドイツ人と英語で会話をしている。話の中で擬音語が話題になり、英語でまず言われた擬音語を日本語とドイツ語にそれぞれ言い換えて自分の耳で聴いているという場面だろう。擬音語は動物の鳴き声を表す「ワンワン」や、事物のたてる音を表す「バタン」など自然界の音を模したものなので、どの言語でも共通だと思われるかもしれないが、実はそうではない。その言語の音韻体系というフィルターを通して濾過されるため、かなり異なっている。だからこの歌ではおたがいの母語に訳しているのだが、擬音語を「訳す」という発想に一瞬虚を突かれる思いがする。音と言葉に敏感な歌人ならではの発見だろう。それまでの二人の会話が止んで、それぞれ自国語の擬音語に内省的に耳を傾けている静止的な場面と、それに反比例して前景化される窓の外に降るミュンヘンの雨との対比も美しい。「おのまとぺいあ」の日本語表記が歌の意味に貢献しつつ、韻律を内部から支えている点にも注目すべきだろう。平仮名表記は読字速度を遅くする効果があるからである。
 光森裕樹は1979年生まれ。京大短歌OBで、「新首都の会」や「さまよえる歌人の会」などに参加しているが、所属結社はなし。2005年に「鈴を産むひばり」で第16回歌壇賞候補、同年「水と付箋紙」で第51回角川短歌賞次席、2008年「空の壁紙」で第54回角川短歌賞を受賞している。『鈴を産むひばり』はこれらの候補作や受賞作を収録した第一歌集なのだが、誰しも驚くのはその造本の簡素さである。カバーなし、帯なし、帯文なし、栞なし、跋文なしのないない尽くしで、巻末の経歴はたったの2行しかない。しかも版元は「港の人」という無名の出版社で、歌集を出すのは初めてだという。ふつう角川短歌賞受賞クラスの歌人なら、歌集専門の出版社から美麗な装幀で出版し、名のある歌人に依頼した栞文を添え、結社に所属していれば主宰の跋文を拝領するのが普通のやり方だろう。光森はその一切を実に軽やかに拒否してみせたわけだ。これには二つのことを感じる。まず若い現代歌人の多くは、結社のような前世紀的組織体への帰属と、その中での〈雑巾掛けから始める〉的人間関係のしがらみを嫌うということである。それはよくわかる。しかしそれと同時に感じるのは、歌人として生きる以上、人間関係的しがらみは避けようもなく、またしがらみは逆説的ながら歌を生み出すエネルギーともなるということである。爽やかにスタイリッシュに生きたい人はドロドロを嫌う。そのことは光森の歌の質に如実に反映されているように思う。
 若い歌人の短歌をひと言のキーワードで言い表すのは難しいのだが、あえて光森の短歌を形容すると、「あらかじめ傷ついていた〈私〉的気分の完全な不在」という、我ながらいささか「長すぎる」ルナール的形容になるだろう。光森が成人した頃にはバブル経済が崩壊して「失われた20年」に突入していた世代なのだが、この世代の男性歌人には珍しく「不景気な感じ」(by荻原裕幸)がない。近代短歌の王道を行く清新な抒情詩である。これが最も感じられるのが、連作「水と付箋紙」だろう。「水と付箋紙」という題名は水泳と遺稿歌集を表しており、この二つのテーマが光と影のように交錯する構成になっている。
泳ぐとき影と離れるからだかなバサロキックでめざす大空
しろがねの洗眼蛇口を全開にして夏の空あらふ少年
いちにちの読点としてめぐすりをさすとき吾をうつ蝉時雨
どのように挿れるフォークもこぼすだらうベリータルトにベリーはあふれ
 バサロキックは背泳ぎのスタート時の泳法で、仰向けになり腕を伸ばして壁をキックする。バタフライのドルフィンキックと並んで力動的な泳法である。よりポピュラーなドルフィンキックを選ばなかった点に作者の工夫がある。二首目はバリバリの青春歌。三首目は特に私が好きな歌で、朝日新聞の短歌時評で田中槐もこの歌を引いていた。青春の明るさだけでなく、ふと過ぎる暗さを感じさせる。四首目に若者の不全感が若干感じられはするが、全体の基調とはならない。
だとしてもきみが五月と呼ぶものが果たしてぼくにあったかどうか
「きみ」が『われに五月を』の寺山修司であることは明らかだが、「髪の毛をしきりにいじり空を見る 生まれたらもう傷ついていた」(嵯峨直樹)のような不全感全開の方向には光森は行かないのである。
 本歌集で素材的に新しさを感じさせるのは次のような歌群だろう。
ハーケンのごとく打たれし註釈を頼りにソースコードを辿りぬ
あかねさすGoogle Earthに一切の夜なき世界を巡りて飽かず
行方不明の少女を捜すこゑに似てVirus.MSWord.Melissa
つひに巴里さへ燃えあがる夜も冷えびえと検索窓は開いているか
 作者は生き馬の目を抜くIT業界で働いている。近代小説と並んで近代短歌はこの世のあらゆる物事をテーマとしうる術を開発したが、コンピュータ・ネットワークの形成するサイバースペースも短歌で詠われるようになったのである。一首目、「ソースコード」とはコンピュータのプログラム開発の最初の状態で、コンパイルされる前の状態を言う。原作者のコメントが書き込まれており、それを頼りにプログラムを解読しようとしているのである。他人が作ったプログラムはわかりにくいのだ。原作者のコメントをハーケンに喩える喩は、おそらく短歌では初めてだろう。Google Earthはグーグル社の提供する衛星写真で、原理的に地球の昼の世界のみが写されており夜の映像はない。当然と言えば当然なのだが、改めて指摘されると夜のない地球に愕然とする。三首目のMelissaはミレニアム前後に世界的に流行したコンピュータ・ウィルスの名前。パソコンのどこかにウィルスが潜んでいないか捜索しているのである。メリッサが女性の名前であることからの連想から生まれた歌。ちなみにメリッサとは、後に逮捕された作者が贔屓にしていたストリッパーの名前だったらしい。四首目にはBrennt Paris?と詞書がある。ヒットラーの「パリは燃えているか」だが、それをウェブ・ブラウザの「検索窓は開いているか」へとずらしている。これらの歌ではコンピュータという素材の新しさに寄りかかることなく、作者の目指す知的な抒情へとうまく組み込まれていると言えるだろう。
 光森の作風は時に「クール」と評されることがあるが、確かに身を捩るような詠嘆はあまり見られない。すべての歌に知的な世界把握が勝っている。そのような世界への向き合い方は、次のような歌によく現れている。
ていねいに図を描くのみの答案に流水算の舟すれちがふ
フィラメント繋げる如く綴りゆき立ちかへりては打つウムラウト
国匡匡圧土十一くにほろぶさま一十圧匡匡国くにおこるさまけふも王が王座を吾にゆづらぬ
ほほゑみを示す顔文字とどきゐつ鼻のあたりで改行されて
指示をだすケネディ国際空港JFKを”Jack-Fox-King”と呼び替へ
 流水算は算数の問題のひとつで、「ある川のA地点からB地点に川を遡るときはa時間、下るときはb時間かかる。水の流れる速度と舟の速度は一定だとすると、それらはいくらか」というのが典型的な出題形式である。掲出歌の答案には川を遡る舟と下る舟とが描かれているが、計算と解答がないのである。学習塾の光景だろうか。答のない二艘の舟だけが答案用紙の上ですれ違うところに詩的抒情が漂う。次の二首は言葉そのものを素材にした歌。二首目のウムラウトとはドイツ語で発音を表す記号のこと。ドイツ語を筆記体で綴っているので「フィラメント繋げる如く」なのである。三首目の2文字目はほんとうは「はこがまえ」に「玉」なのだが、文字コードの制約で表示できないのでご勘弁いただきたい。「一十圧匡匡国」の5文字目も同様。「国滅ぶ様」とルビの打たれた「国匡匡圧土十一」は、漢字の画数が少しずつ減っていて、国が滅ぶ有様を視覚的に表現した一種の漢字遊びなのである。四首目は電子メールなどで使う顔文字を素材にした歌。顔文字は既存の記号を組み合わせて作るので、鼻のあたりで行末になってしまい、顔の残りが次の行に行っている。微笑みが分断されているところが哀れを誘う。五首目は、航空機のパイロットの交信で空港を表す略号JFKを伝達する際に、聞き間違いが起きないようにJをJack、FをFox、KをKingと発音して伝えている場面。悲劇の大統領ケネディが「キツネの王ジャック」になっているところにおかしみがある。いずれの歌も人生の重大な場面での喜怒哀楽を詠った歌ではなく、ふつうならば気づかれずに過ぎてゆく日常のささいな場面に静かな詩情が漂う歌になっている。これが光森の持ち味であり、そのように歌を組み上げて行く手つきは非常にうまい。
 しかし少しやり過ぎると、読んだだけではわからない考え落ちになることもある。次の歌などそうだろう。
ものの影増しゆく厚みにつまづけば八月が持つ二度のヴェイユ忌
日本語にVersionありや紅玉の名を持つ言語にゆふべ戯る
 よく知られているのは哲学者のシモーヌ・ヴェイユで、1943年8月24日に亡くなっている。戦争に反対しての自発的餓死である。その兄アンドレ・ヴェイユは有名な数学者で、1998年8月6日に死亡している。だから8月には2度のヴェイユ忌があるのだが、ふつうの人は兄の数学者を知らないので理解できないだろう。二首目には「Ruby 1.8.7」という詞書がある。Rubyは日本で開発されたコンピュータ言語の一種で、宝石のルビーの和名は「紅玉」という。これを知らないと歌の意味はわからない。詞書の「Ruby 1.8.7」はこの言語のバージョンを表しているので、「日本語にVersionありや」なのである。かなり凝った造りで、少しやり過ぎの感もないではない。
 しかしこれらの歌を見ても光森の基本的スタンスが、世界の情的把握ではなく知的把握に傾いていることがわかる。読者はその痕跡をなぞるように歌の世界に導かれ、軽い驚きと静かな抒情を味わうことになる。若手の男性歌人でこのような歌の世界を作り上げている人は少ない。その意味でもこれからますます期待される歌人と言えるだろう。本書は待望の第一歌集であり、本書を繙く人は決して期待を裏切られることはあるまい。
 最後に特によいと思った歌を挙げておこう。
ポケットに銀貨があれば海を買ふつもりで歩く祭りのゆふべ
売るほどに霞みゆきたり縁日を少し離れて立つ蛍売り
今日、星の遠心力はおだやかにして径のに揚羽蝶あり
廃線になる日は銀杏のふるさとを囲ふ踏切すべてあがる日
火にかざすべくうらがへすてぶくろの内側となる冬のゆふやけ
ビル壁面を抜けて鴉にかはりたり羽ばたく影とみてゐしものが
ドアの鍵強くさしこむこの深さならば死に至るふかさか
致死量に達する予感みちてなほ吸ひこむほどにあまきはるかぜ
 長くなるので一首ごとの読みは書かないが、二首目の蛍売りは夜の闇の中で売り物の蛍の明かりに照らされているので、蛍が減ると闇に霞んでゆくという仕組みである。ほんとうにあった光景とはとても思えないが、幻想的で美しい。三首目は前衛俳句のような味わいの歌。東経・西経を表す経線はほんとうに地球上に描かれているわけではないが、ちょうど経線上に蝶がいるという把握である。地球という極大と蝶という極小の取り合わせが前衛俳句的で歌柄の大きな歌だ。このような味わいの歌がもう少しあってもよいか。六首目は影と見えたものが実際には鴉だったという発見の歌で、これもおもしろい発想。五首目や八首目の歌の感触は、どこか村木道彦を思わせるものがある。
 最後にもう一度造本に触れておくと、活版印刷なのがよい。紙に触れたとき文字に凸凹が感じられ、活字に表情がある。コンピュータ製版のオフセット印刷の文字は平板で表情がない。ここにも作者のこだわりが感じられる。糸かがり綴じ製本も近頃はあまり見ないやり方だ。作りたいように作った歌集である。何を幸福と感じるかは人によってちがうが、やりたいようにできたというのは幸福の一つの形かもしれない。ならば作者は幸福な歌人と言えるだろう。

第3回 [sai] 歌合始末記

 すべては一通のメールから始まった。
 2005年の暮れも押し詰まった11月のことである。同人誌[sai]で歌合を企画しているので、判者になってくれないかという依頼が黒瀬珂瀾氏から舞い込んだ。[sai]は黒瀬珂瀾氏をはじめとして、石川美南、今橋愛、生沼義朗、島なおみ、高島裕、正岡豊、玲はる名、鈴木暁世らを立ち上げメンバーとして発足した短歌同人誌で、2005年の9月に第1号が出ている。この歌合は第2号に向けての企画なのだという。
 いきなりの依頼に驚いた。「歌合の経験がないのはもちろんのこと、ルールも知らないので、とても判者が務まるとは思えない」ととっさの返事をしたのだが、黒瀬氏からは「参加するメンバーもルールを知らないのは同様で、真剣な遊びと考えてもらえばよい」との答えが返って来た。逡巡の末に受諾したのは、おもしろそうだという単純な好奇心もさることながら、それまで姿を見たことのない歌人という人種に会えるという魅力に抵抗できなかったからである。
 私は2003年から自分のホームページで「今週の短歌」と題して素人短歌批評(のようなもの)を毎週書いていた。しかし純粋読者を目指す私の短歌との付き合いは本を通してのものに限られており、生身の歌人に会ったことは一度もなかったのだ。私にとって歌人とは、言葉の魔術を巧みに操る超人のように思えるので、歌人とじかに会うのは恐ろしいが、会ってみたいという誘惑も抗しがたかったのである。
 そうこうするうち12月11日(日)の歌合当日を迎えることとなった。待ち合わせ場所は京都駅の七条側改札口である。黒子役で黒瀬珂瀾夫人の鈴木暁世さんが目印に[sai]を一冊手に持って待っているという。ホームページに実物そっくりの似顔絵を掲載しているので、先方が私を見つけるのはかんたんだ。少し早めに待ち合わせ場所に到着してあたりを観察するが、私は歌人たちの顔を知らないのできょろきょろするばかりだ。ふと見ると改札口を出た所に、並々ならぬ存在感を発散させている男性がいるなと思っていたら、参加メンバーの一人、北の歌人・高島裕氏であった。やがて参加者が続々と到着し、とりあえず昼食をとることになる。あいにく日曜の時分時で飲食店はどこも混雑している。京都駅を出て向かいにある京都タワービル地階の食堂に入る。こんなとき自然とリーダーとなってみんなを引率するのは黒瀬珂瀾氏で、そのカリスマ性はすごいなと横から観察する。昼食が終わったところで、歌人たちはふたつのチームに分かれて作戦会議に入る。私は判者なので会議には加わらず、手持ちぶさたで所在がない。作戦会議が終了し、地下鉄に乗って会場へ移動する。会場は四条烏丸を少し北上した所にあるウィングス京都である。楽屋裏のような場所を通って予約した会議室にたどり着き、いよいよ歌合わせの幕が切って落とされた。
 今回の歌合のルールはこうである。方人(かたうど)は東方が生沼義朗、高島裕、光森裕樹、玲はる名、西方が石川美南、今橋愛、黒瀬珂瀾、土岐友浩、司会は鈴木暁世、判者は不肖私。東方には「ゆりかもめ」、西方には「チーム赤猫」というニックネームがつく。参加者にはあらかじめお題が出ており、「パパイヤ」「たんす」「半島」「姉」の4つを詠み込んだ歌を準備している。方人は一首ずつを出して一騎打ちの対戦をする。残りのメンバーは念人(おもいびと)となって、自軍の歌を弁護し敵軍の歌を攻撃する。ひとしきりの議論の後で、判者の私が判辞(裁定理由)とともに勝ち負けを宣告するという手順で、小林恭二『短歌パラダイス』(岩波新書)のルールにほぼ則っている。『短歌パラダイス』では高橋睦郎が判者として見事な裁定を下しているが、もとより私にはそんな能力も権威もないので、心臓に汗をかく思いである。
 最初のお題は「パパイヤ」で、対戦者は「ゆりかもめ」から光森裕樹、「チーム赤猫」から石川美南。
 光森裕樹は「京大短歌会」OBで、現在は東京でIT関係の仕事をしており所属結社なし。2005年に「水と付箋紙」50首で角川短歌賞の次席に選ばれている。何首か引いてみよう。
 しろがねの洗眼蛇口を全開にして夏の空あらふ少年
 てのひらは繋がるかたちと知るゆふべ新京極に影をうしなふ
 はさまれし付箋にはつかふくらみて歌集は歌人の死をもて終はる
 80年代後半からの修辞全盛を通過した目で見れば、古典的とも言える端正な作りで、手堅い骨格のなかに清新な抒情を漂わせる作風である。しかし欲を言えば、歌の中にひっかかりが少なく、すらすらと結句まで読めてしまう。そんなところが、選考委員の河野裕子の「感じのいい歌ですが、迫力がないのね」という発言に繋がるのだろう。日本語にもっと負荷をかけて、言葉を撓ませることもときには必要ではなかろうか。
 かたや「チーム赤猫」の石川美南は『砂の降る教室』(2003年)でデビューした若手の注目株である。最近東京で「さまよえる歌人の会」なる組織を結成したらしい。水原紫苑に「口語とも文語とも判別がつかない文体」と評された石川の歌も引用しておこう。
 窓がみなこんなに暗くなつたのにエミールはまだ庭にゐるのよ
 いづれ来る悲しみのため胸のまへに暗き画板を抱へてゐたり
 カーテンのレースは冷えて弟がはぷすぶるぐ、とくしやみする秋
 さて、お題「パパイヤ」の出詠歌である。
  タイ内陸部、チェンマイ
 パパイヤを提げて見てをり瞑想のまへに僧侶がはづす眼鏡を  光森裕樹

 うるはしきルーティンワーク犇めけるパパイヤのたね身に飼ひながら  石川美南
 光森の歌はタイ旅行に取材したもので、一見すると単なる叙景歌に見える。歌合参加者がこの歌についてどのような発言をしたかは[sai]第2号の記録に譲るとして、私には高島裕の示した解釈が印象深かった。眼鏡は近視の人がこの世の事物を見るために必要なものであり、この世を暫時離脱する瞑想に入る僧侶には必要のないものである。眼鏡を外す行為は、見える世界から見えない世界への移行の喩であり、この歌にはそのような仏教的世界観が表現されているというのである。高島が自軍の念人であることを差し引いても優れた読みと言えよう。
 一方の石川の歌は働く日常がテーマである。この歌のポイントは「犇めける」という表現で密集する種の様子を描写した点と、パパイヤの種を外在的事物として詠むのではなく、体内の感覚の喩として提示した点にある。その感覚はルーティンワークに象徴される卑小な日常性に対する焦燥だろう。
 題詠では「パバイヤ」という題が十分生かされているか、「パパイヤ」でなくても成立する歌ではないかといった点が、歌の優劣を判定するポイントとして重視される。光森の歌をめぐっても、ひとしきりそのような議論が続いた。私は議論に参加する立場にないので黙って聞いていたが、後日思いついたのは、パパイヤの形状と、黄色い果肉の中に黒い種がぎっしり詰まっている内部構造が重要ではないかということだ。パパイヤの外見はやや括れた卵形をしているが、卵はしばしば宇宙や再生のシンボルとされる。また内部に詰まった種はビッグバンのごとき爆発的な生産力を暗示する。するとパパイヤ自体を転成を繰り返す宇宙の暗喩とみなせるのではないか。ならば僧侶が眼鏡を外す行為が象徴するこの世からの離脱と、パパイヤが体現する宇宙的次元はよくマッチするのである。
 判定は東方の光森を勝ちとした。僧侶が眼鏡を外すという何気ない情景に精神性を詠み込んだ光森の手腕と、倒置法による手堅い措辞を多としたのである。石川の歌もおもしろいが、二句切れなのか三句切れなのか判然とせず、上句の調子があまりよくない。これで東方「ゆりかもめ」チームが一勝となる。
 次のお題は「たんす」。方人は東方が生沼義朗、西方が今橋愛である。生沼は短歌人会所属。『水は襤褸に』(2002年)で日本歌人クラブ新人賞を受賞して注目を浴びた歌人であり、荒廃を抱え込む現代都市東京を背景とする神経症的な抒情に持ち味がある。
 ペリカンの死を見届ける予感して水禽園にひとり来ていつ
 塩辛き血の腸詰を喰いながらわがむらぎものさゆらぎはじむ
 嚥下するピリン錠剤 精神の斜面(なだり)にしろき花咲かすため
短歌人会には現代では珍しく「男歌」の系譜が脈打っているように感じるが、生沼も確実にその衣鉢を継ぐ一人だろう。
 一方の今橋は『O脚の膝』(2003年)で北溟短歌賞を受賞した若手で、『短歌研究』800号記念臨時増刊の「うたう作品賞」には赤本舞の名前で投稿していた。多行書きで場所を取るので『O脚の膝』から1首だけ引用する。
 「水菜買いにきた」
 三時間高速をとばしてこのへやに
 みずな
 かいに。
 独特な言葉の浮遊感と、現代詩と淡く接続した詩想は、明治以来の近代短歌の作歌原理と完全に切れている印象が強い。その個性はとうてい他人が真似できるものではなく、ヘタに短歌のお勉強などしないよう切に願いたくなる作風である。
 さて、生沼と今橋のタンスの歌に移ろう。
 人生の荷物を背負うこと思い、タンスかつげばタンスは重い  生沼義朗

 うかがって うすくわらっておりました
 たんす ながもち どの子がほしい?  今橋 愛
 生沼の歌は今回のお題と波長が合わなかったのか、いつもの調子が出ないようで、敵軍からは人生の荷物をたんすで象徴するのは陳腐だとか、「思い」「重い」の脚韻もうさんくさいだとかさんざん攻撃されていた。ちょっと反論しにくいのが気の毒である。自軍の東方の念人もほめあぐねている感があった。また「本当にたんすをかつげるのか」という話題にも花が咲いたが、その昔、TBSの「ベストテン」で演歌歌手の大川栄策がかついでいるのを見たことがあるのでその点は心配ない。
 今橋のたんすの歌は、上句の主語が意図的に消去され、下句にわらべ歌を引用して、人気のない大きな日本家屋で座敷童が白昼に戯れているような不思議な印象を生み出している。初句「うかがって」が「伺って」なのか「窺って」なのかひとしきり議論があったが、これは「窺って」だろう。
 題詠で重要なのは、題の持つ意味場の潜在力をいかに引き出すかという点と、日常的文脈に回収されていない意味や結合をいかに発見できるかという点である。今回の対決では、生沼の歌の「人生の荷物」と「たんす」の取り合わせはいささか平凡に堕した感が否めない。今橋の歌は、日常的什器であるたんすから滲み出る不気味さの感覚をよく捉えている。実力派の生沼には気の毒な結果となったが、判定は西方の今橋の勝ちとした。ここでコーヒーが運ばれてきて、いったん休憩となる。
 次のお題は「半島」。なかなか手強いお題だが、今回の歌合わせ白眉の勝負となった。お題から放散される意味場の強度が歌人の創作意欲を刺激したと見える。東方は玲はる名、西方は黒瀬珂瀾である。
 東方の玲はる名は「短歌21世紀」所属。歌集に『たった今覚えたものを』(2001年)があり、印刷媒体よりもインターネット上で活躍している歌人である。今回の歌合でもずっと膝の上にノートパソコンを置いて何か打ち込んでいた。何首か引いておく。
 便器から赤ペン拾う。たった今覚えたものを手に記すため
 冬の間は忘れ去られる冷蔵庫の製氷皿のごときかわれは
 体には傷の残らぬ恋終わるノンシュガーレスガム噛みながら
 かたや黒瀬珂瀾は『黒耀宮』(2002年、ながらみ書房出版賞)の耽美的世界で注目された歌人で、「中部短歌」を経て現在は「未来」所属。批評会やシンポジウムなどの常連と言ってよいほど短歌シーンで活躍している。短歌の未来を担う逸材であることはまちがいない。得度したとも聞いているので、私が万一のときには一面識もない坊さんより、黒瀬氏に経をあげてもらいたいものだ。
 咲き終へし薔薇のごとくに青年が汗ばむ胸をさらすを見たり 『黒耀宮』
 世界かく美しくある朝焼けを恐れつつわが百合をなげうつ
 父一人にて死なせたる晩夏ゆゑ青年眠る破船のごとく
 さて両者の「半島」の出詠歌である。
 半島に夕暮れどきを 半熟の卵で汚れたスカートに銃を  玲はる名

 ひとづまのごと国を恋ふ少年にしなやかに勃つ半島のあれ  黒瀬珂瀾
   ふたりが詠んだ歌は期せずして強いエロスの磁場を発散するものとなった。玲の歌は「夕暮れどきを」と「スカートに銃を」と、二重の希求体を並置して高いテンションを付与し、「スカート」の女性性に「銃」という男性性を対置することで、歌の内部に緊張感を演出している。また「夕暮れ時」を権力の凋落、「半熟の卵で汚れた」を抑圧・陵辱、「銃」を闘争の喩と読むならば、政治的な解釈も可能な歌である。歌合では実際にそのような解釈を示す人もいた。二句切れの不安定さもここでは歌にこめられた切迫した希求感を強める効果がある。
 一方黒瀬の歌は、「人妻」と「少年」の対置が醸し出す「禁忌」と「隔たり」を、「少年」と「国」の関係へ投影し、「勃つ」と「半島」の連接が性的暗喩を生む構造になっている。直喩と暗喩を駆使した技巧的な歌であり、黒瀬の得意とする同性愛的世界である。
 「半島」というお題が二人の歌でこれほどの物語性を押し上げるのには驚く。海に向かって突き出しているという形状もさることながら、半島がしばしば政治的軋轢や戦闘の舞台となったという歴史的経緯も、この語に強い意味的磁場を付与しているのだろう。  さて判定である。事前になるべく「持ち」(引き分け)は出さないようにと言われていたのだが、こういう秀歌が出そろうと判者の心は千々に乱れる。考えた末、この対決ばかりは甲乙付けがたく、よって持ちとすることとした。
 歌合もいよいよ大詰めを迎え、最後のお題は「姉」である。東方「ゆりかもめ」チームからは高島裕、西方「チーム赤猫」からは土岐友浩。労働で鍛えた頑丈そうな高島の体格と、神経質そうな痩せた土岐の体格が対照的な対戦である。別に体格で勝負するわけではないけれど。
 高島は「首都赤変」で1998年の短歌研究新人賞候補に選ばれて注目された歌人で、「未来」に所属していたが現在は無所属。歌集に『旧制度(アンシャン・レジーム)』、『嬬問ひ』、『雨を聴く』、『薄明薄暮集』がある。最近は故郷の富山の風土に沈潜するような歌を作っているらしい。北国の人らしく寡黙だが、歌の解釈を述べるときの冷静にして的確な意見は印象に残った。
 蔑 (なみ) されて来し神神を迎えへむとわれは火を撃つくれなゐの火を
                『旧制度(アンシャン・レジーム)』
 森の上 (へ) にふと先帝の顕ち給ふ苦悶のごとく微笑のごとく
 雪の野に横たふわれの掌のなかで灯る青あり青はいもうと 『嬬問ひ』
 一方の土岐友浩は京大短歌会所属の現役大学生。2005年の第3回歌葉新人賞では「Cellphone Constellations」で、2006年の第4回歌葉新人賞では「Freedom Form」で最終候補作品に選ばれている。最近、Web歌集「Blueberry Field」を上梓したので、何首か引用しておこう。
 首もとのうすいボタンをはずしたらゆびさきにのりうつったひかり
 ウエハースいちまい挟み東京の雑誌をよむおとうとのこいびと
 こいびとの黄色い傘をもったままイルミネーションへ移る心は
 土岐の世代にとってはニューウェーブ短歌はすでに歴史であり、その資産は組み込み済みのものとして作歌を始めるのだろう。
 ふたりの「姉」の出詠歌は対照的な歌となった。
 姉歯、とふ罪人の名を愛でながら夕餉の魚を咀嚼してをり  高島 裕

 かろうじてきれいな川をふたりして見る 姉にしてお茶をくむひと  土岐友浩
 高島の歌には今となってはいささか解説が必要である。歌合の少し前、姉歯一級建築士による建築強度偽装問題が発覚して大騒ぎになったので、これは時事的な歌なのである。お題の「姉」が姉歯という固有名として詠み込まれている。題詠ではお題をストレートに詠み込まず、少しずらして詠むというやり方もあって、これもアリなのだ。描かれているのは男の孤独な夕食の場面で、「罪人の名を愛でながら」にどこか屈折した心理が読み取れる。また「咀嚼してをり」には、世の出来事に対して距離を置いた即物的な反応が暗示されている。全体として静かな中に鬱屈した心情を体臭のように発散させるよい歌だと思う。また「姉歯」の「歯」と「咀嚼」とが遠く呼応しているという指摘もあった。
 土岐の姉の歌は解釈をめぐっていろいろな議論があった。なかなか読みにくい歌である。「ふたりして見る」とあるので、女性と「私」が川を見ているのだろう。「お茶をくむひと」は死語となった感のある「お茶汲みOL」か。「姉にして」も本当の姉か、姉のような人か解釈が分かれる。私など最初は、川を見下ろす旅館の二階で女性がお茶を淹れている場面を想像してしまったが、みんなの読みはそうではないらしい。テーマは年上の女性に対する淡い恋情と、まもなく関係が壊れるという予感あたりだろうと推測される。
 歌合では一首ずつで勝負を決めるので、一首の屹立性が弱くまた結像力に欠ける口語短歌は不利である。「決まった」という感じが薄いからだ。口語短歌における連作の重要性とも関係する問題だろう。
 判定は高島の勝ちとした。土岐の若さも高島の作歌経験のぶ厚さを突破するには少し勢いが不足したようだ。
 都合四番の勝負の結果、東方「ゆりかもめ」チームが2勝1引き分け、西方「チーム赤猫」が1勝1引き分けで、東方の勝ちである。「ゆりかもめ」チームは快哉を叫び、[sai]歌合はお開きとなった。
 開始が予定時間より遅れたので、会場を出ると京都の町はもう暮れ方である。これから喫茶店に行くという歌人たちと別れて、疲労困憊した私は一人家路についたのであった。

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