第221回 今年の短歌賞雑感

壺とわれ並びて佇てる回廊に西陽入りきてふたつ影伸ぶ
睦月都「十七月の娘たち」

 今年も恒例の短歌研究新人賞と角川短歌賞の受賞作が出そろった。まず短歌研究新人賞から見てみよう。受賞したのは小佐野彈の「無垢な日本で」30首である。小佐野は昭和58年生まれの34歳で「かばん」所属。慶応義塾大学経済学部の博士課程に在学中で、台湾で企業している実業家でもある。短歌と出会ったのは中学の頃だという。

革命を夢見たひとの食卓に同性婚のニュースはながれ
ママレモン香る朝焼け性別は柑橘類としておく いまは
ほんたうの差別について語らへば徐々に湿つてゆく白いシャツ
はつ夏に袖を断たれて青年の腕は真つ赤に照らされてゐる
なんとまあやさしき社名きらきらと死にゆく友のむアステラス

 やはり注目されるのは作者がゲイであり、それを正面から歌のテーマとしている点だろう。性別をめぐる葛藤が自分の中にあり、それは内面的問題であるのだが、一方でゲイやトランスジェンダーに対する偏見が社会の中にあって、社会的問題という側面も持っている。勢いゲイの人は内と外の両面において軋轢と衝突にさらされることになる。その煩悶と痛みが歌のテーマとなっている。連作題名の「無垢な日本で」の「無垢な」には相当な重みと皮肉がこめられていると見るべきだろう。
 選考座談会での米川の発言によれば、キューバのカストロ元首相の娘はアメリカに亡命して、同性婚の合法化を求める活動をしているという。そうすると一首目の「革命を夢見たひと」はカストロで、「同性婚のニュース」はアメリカかヨーロッパでの同性婚を報じるニュースということになる。
 近現代短歌の大きなテーマは生老病死であるが、近年はそれに「生きづらさ」が加わった感がある。たとえば鳥居の短歌が代表的だが、小佐野の短歌もその系列に連なるものだろう。選考座談会でも歌のテーマをはっきり出しているところが評価の大きなポイントになっている。これに対して穂村弘が「作品にテーマや現実のアリバイがないと、短歌のメインストリームで評価されないということへの根本的な違和感がある」と発言しているのが印象に残った。
 候補作・最終選考通過作に残ったものからいくつか引いてみよう。

ずいぶんと長い昼寝をする君をみんなでフラワーマンにしていく
                 うにがわえりも「フラワーマン」
触れたことなかった部位もひとつひとつお箸でつまんでいる君の骨
複雑なかたちの急須すすぎつつあの世のことなど考えている

首都の空を飛び交うヘリが追いまわす車列にひとりだけ死者が乗る
                      ユキノ進「弔砲と敬礼」
早朝の緊急事態宣言は持ち主不明のテディ・ベアのため
渋谷空爆。瓦礫の陰に民兵を追い詰めてゆく装甲車両

近づけばよりひかれあう寂しさはファンデルワールス力の正体
                       奥村知世「臨時記号」
はるかなる水平線を切り取って実験台に置くメニスカス
子の影をはじめて作る無影灯長男次男は手術で生まれ

人間にふたつきりなる踵あり揃へて春の鞦韆に立つ
                    晴山未奈子「風に瞠く」
しやぼん玉まろきおもてに色うごき動きゆらめくこのたまゆらに
遠くへと退すされば見ゆるものありてわれらの上に遊ぶいとゆふ

 うにがわえりもは「かばん」「塔」所属。妻を失い寡夫となって子育てをするという一連だが、自身の体験ではなくフィクションである。しかし奇妙にリアリティがある。ユキノ進は無所属。海外での反政府軍との戦闘で自衛隊員が死亡し、それを隠蔽しようとする政府に反逆して帰還部隊が首都蜂起するという内容は、高島裕の「首都赤変」を彷彿とさせる。奥村知世は心の花所属。職業が開発研究員となっているので理系の女性である。理系らしく「ファンデルワールス力」や「メニスカス」という理系用語が散りばめられている。ファンデルワールス力は原子間に働く微少な引力で、メニスカスはピペットのような口径の細い容器内で容器壁と液体の相互作用によって生じる液体の曲面のこと。水のような液体では凹型になる。だから「はるかなる水平線を切り取って」なのである。晴山未奈子は所属なしで生年・居住地ともに不詳。私がいちばん驚いたのはこの人の歌である。今回最終選考まで残った人のなかで最も完成度が高く「短歌らしい」歌を作っている。きっちりした定型感と使っている語彙から見て、年配でそうとう短歌を作り馴れている人だろう。しかしそのあまりの「短歌らしさ」が災いしてか、選考ではあまり票を集めなかった。惜しいことである。この人の歌をもっと読んでみたいものだ。

 さて、次は角川短歌賞である。今年の賞を射止めたのは睦月都。1991年生まれの26歳で「かばん」所属。今年は短歌研究新人賞と角川短歌賞の両方を「かばん」同人が受賞した。非結社系の若手歌人が力をつけて勢力を伸ばしてきたということだろう。

腕の傷さらして小径歩むとき傷より深く射せる木漏れ日
悲し、とふ言葉がけさはうすあをき魚の骨格となりて漂ふ
ラナンキュラス床にしをれて昼われがすこし飲みすぎてゐる風邪薬
円周率がピザをきれいに切り分けて初夏ふかぶかと暮るる樫の木
わが生まぬ少女薔薇園を駆けゆけりこの世の薔薇の棘鋭からむに

 タイトルの「十七月の娘たち」というのが謎めいている。選考座談会でもひとしきり話題になった。睦月を推した選考委員の東直子が解説しているように、十七月立てば本当なら翌年の五月なのだが、年が改まることなく同じ年の中で月日を重ねているというある種の不全感の喩だろう。選考委員の小池光が評するように、歌の骨格と形の美しさが際立つ。私も付箋を付けた歌が多かった。睦月の短歌はあまりニューウェーヴ系ではなく、近代短歌の遺産をうまく吸収して清新な抒情としているように思える。
 今年の角川短歌賞は話題性の高い歌人が最終選考に残った。その一人は次席となったカン・ハンナである。韓国から来日して日本語を学んだ人で、テレビのNHK短歌でアシスタントを務めている。

東京はエレベーターでも電車でも横目でモノを見る人の街
思うより30代は怖くないと言い張る前に飲みきるコーラ
「外人は借りられぬ部屋があります」と物件探しに熱くなる耳
宛名ないチラシ噴き出す郵便受け 今日もダイヤル回して覗く
膨らんだ風船抱いて電車にもバスにも乗れぬ私の住む街

 習得した外国語で詩歌を作るのはたいへん難しく努力の要ることなのでまず感心する。日本に憧れて来日し日本語を学び、なおかつ日本では外人扱いされる現実を、比較的素直な言葉で歌にしている。それは好感が持てるのだが、引いた四首目の「宛名ない」「チラシ噴き出す」のように助詞が省かれているのがどうしても気になる。短歌はある意味で助詞の文芸なので、助詞の選択ひとつで歌のニュアンスや姿が変わってしまう。不用意に助詞を省くのはよくないだろう。
 佳作に選ばれた「ナイルパーチの鱗」の作者知花くららはしばらく前から「塔」に所属して短歌を作っているが、ミスユニバース代表にも選ばれたモデル・タレントとして有名な人である。

あのねとふ君の前歯の隙間からシリア砂漠の匂ひがした
爪を噛みオーストラリアと囁いたヒジャブの君の唇赤らむ
数錠の薬に生かさるるけふもバオバブの影が夕陽に浮かぶ
牛糞のにほふ暗き片隅に目だけこちらを見つめる子あり

 おそらくはボランティアか親善大使として難民キャンプを訪れた体験に基づいた歌である。細かい観察とディテールがなかなかよく生きており、体験を素材として歌にする力のある人なのだろう。ただきちんと五・七・五・七・七に収まっていない歌が多いのが気になる。
 佳作「やがて孵る」の辻聡之は昭和58年生まれで「かりん」所属。

弟とその妻サザエさん観ており あなたは死語として存在するギャル
盗み見る義妹の腹にみっちりとしまわれている姪らしきもの
パラサイト・シングルもまた死語であり地縛霊のごと実家に暮らす
おにいさん、とバニラの匂う声で呼ぶ義妹のながいながい睫毛よ
菜の花のとおく聴きいる春雷のどこかに姪を呼ぶ声がする

 独身のまま実家で暮らす作者の弟が金髪のギャルと結婚し、姪が生まれるが、わずか2年で離婚して姪が幻の存在と化すまでを一連の歌にしている。歌に詠まれている出来事に驚くし、弟の嫁のお腹にいる姪に思いを馳せるという、おそらく短歌で詠まれたことのない状況の新しさも目を引く。それもあるのだが、「この日々も砂絵に描かれいしものとコメダ珈琲店までを歩みぬ」のように普通によい歌がいくつもある。これからに期待したい。

 

【附記】
 読者の方から「小佐野氏はトランスジェンダーではなくゲイであり、自分でそのことを公表している」とのご指摘があった。小佐野氏のブログを見ると、確かに自分がゲイであると書かれている。ご自身の自己規定を尊重して語句を修正した。(2017年11月10日)