みづの上に青鷺ひとつ歩めるを眼といふ水にうつすたまゆら
藪内亮輔『海蛇と珊瑚』
2012年に第58回角川短歌賞を「花と雨」で受賞した藪内亮輔の第一歌集が角川書店から出版された。奥付の発行日は2018年12月25日となっているので、昨年のクリスマスである。備長炭のような輝きのある黒一色の装幀で、これは何と呼ぶのか帯がぐるっと本を取り巻いて袴のようになっている珍しい造りだ。帯文は岡井隆、跋文は永田和宏という錚々たる布陣を見ても、短歌界が藪内に寄せる期待の大きさが知れよう。
藪内亮輔は1989年生まれ。京大短歌会を経て塔に所属、編集委員を務めている。角川短歌賞を受賞した時は、京都大学理学部の大学院で数学を専攻する学生だった。跋文で永田和宏も書いているが、選考会では4人の委員が全員藪内に二重丸を付け、満場一致の受賞決定だったそうだ。ふつうは選が割れて議論になることが多い選考会では珍しいことである。受賞作の「花と雨」は本歌集の冒頭に収録されている。
帯文で岡井は、「若い世代の歌を象徴する好著です」と始めながら、「激しい賛否の中にまき込まれそうですから反響がたのしみです」と締めくくっている。確かに激しい賛否が巻き起こるかもしれない。歌に詞書きとも言えない長い散文を付したり、さまざまな表現方法を試行したり、大胆な喩を用いたりしている歌も多くあり、よい歌とそうでない歌との落差が非常に大きいからである。
たとえば上に挙げた掲出歌を見てみよう。藪内の基本は口語を交えた文語ベースの旧仮名遣いなのだが、この歌は実に見事に文語定型にぴったりと収まっている。この歌のポイントは「眼といふ水」にあり、光景を捉える眼球を光を映す水と捉えて、「たまゆら」で締めくくり、それを私たちが生きる短い時間の中に配するという構造になっている。かと思えば「鶏の唐揚げにレモンはかけて種付きのやつをきみらによそつてあげる」のようなやけくその歌もあってびっくりするのである。ちなみにこの歌のように完全口語なのに旧仮名で書かれると抵抗がある。
掲出歌のようなラインの歌を見てみよう。
頭蓋に蝶形骨をしのばせてわれら街ゆくときの霜月
敗北はかくも静かであることのほの灯りして窓の辺の雪
おしまひのティッシュペーパー引くときに指は内部の空もひけり
死に近き人に馴れゆく日々のなか耳にしづかに鳴る魚がゐる
桃ひとつ卓の上に割かむとす肉体といふ水牢あはれ
一首目、蝶形骨とは鼻の奥の方にある骨の名称で、羽を開いた蝶の形をしている。だれもが頭蓋骨の中に蝶を一頭飼っているというのは実に詩的だ。「われら街ゆく/ときの霜月」が軽い句跨がり。二首目、何の敗北かはこの歌からはわからないが、青春の敗北といえば恋か受験か学業か。いずせにせよ実際に敗北してみると想像していたより心が平静なのだ。下句がこのような上句の心情の喩となっている。窓辺の雪とは実に古典的だ。三首目、ティッシュペーパーから最後の一枚を引き出すと、箱は空になる。箱に残るのは空っぽの空間なのだが、作者は最後の一枚と同時に無の空間を引き出したと感じたのである。四首目、「死」は普遍的な青春の主題であると同時に、藪内にとって親しいテーマのようだ。角川短歌賞受賞作「花と雨」にも見られたように、身近に死を体験したからだろう。四首目でも病を得たか死に近い人が近くにいる。死は個人にとって絶対的な事象であるが、身近な人は死の観念に馴れてゆく。その想いを下句で耳の中で鳴る魚という喩が受け止めている。五首目は初夏の食卓に桃を切る歌。ちなみに桃は歌人の好むテーマで、桃を詠んだ歌は数多い。
行き先に灯り仄かに点るがに白桃一個水に浮かべり 石田比呂志
暑のひきしあかつき闇に浮かびつつ白桃ひとつ脈打つらしき 小池光
いずれも桃が希望のようなポジティヴなアイテムとして捉えられている。しかるに藪内の想念は自らの肉体に向かい、人間とは己れの肉体の内部に水牢のごとくにとじ込められていると観じるのである。豊富な語彙を多彩に駆使しつつ文語定型に収めてゆく力量は確かなものである。そこに青春期の熱情と鬱屈の想いと死の想念が陰影を加えるところに確かな詩情が成立している。角川短歌賞の審査員諸氏が唸ったのも無理はない。
永田和宏は同じ結社なので藪内を個人的に知っている。「声は低く、無口で、おまけに愛想が悪い」と描写し、「この作者が抱え込んでいる鬱屈としてほの暗い、救いがたい洞のようなもの」を感じるという。あとがきで藪内本人は自分を「激情肌」であるといい、「歌は暗い呪いである」とまで書いている。そのような趣の歌を引いてみよう。
君も私もクソムシでありそれでよく地平線まで星で星で星で
おし花のかたちに雲がうかびをり諦めながら寄り(死ね)ゆくこころ
われのいかりは本を投げ捨て鉛筆を投げ捨てつひにわれを投げ捨つ
灰のやうに砕かれたこころであなたから最後に貰つたののしりをいとしむ
絶望が明るさを産み落とすまでわれ海蛇となり珊瑚咬む
青春とは心の激動期であり、若い心は些細なことにも傷付く。いずれも青春の激情がほとばしるような歌で、藪内があとがきで歌は自分にとって濾過器であるというのはこういうことだろう。歌はやり場のない感情を濾過し、言葉に置換することで外部化してくれる。ちなみに二首目の下句は本来は「諦めながら寄りゆくこころ」と収めるところなのだが、その間に「死ね」という呪詛が挿入されているのである。五首目は歌集題名が採られた歌で、海蛇は自分の喩で、おそらく珊瑚は短歌の喩であろう。
とはいえ藪内の美質は次のような歌にいちばんよく表れていると思う。
傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出でゆく
春のあめ底にとどかず田に降るを田螺はちさく闇を巻きをり
電車から駅へとわたる一瞬にうすきひかりとして雨は降る
鉛筆を取り換へてまた書き出だす文字のほそさや冬に入りゆく
花束の茎のぶんだけせり上がる花瓶の頸のあたりの水は
一首目と二首目は「花と雨」から。一首目は「一瞬ひとはうつむいて」がポイント。傘をさす時には、取っ手のボタンや留め具の場所を確認するために、誰でも一度下を見る。その何気ない動作が下句の「雪にあかるき街」と対比されることによって、明暗の陰影が歌に生まれている。二首目は田んぼにふる春の温かい雨と、タニシが巻き貝の奥に蔵している闇とが対比され、その闇は短歌的喩として機能する。三首目は電車を降りる場面で、電車の屋根とホームの屋根のわずかな隙間に降る雨を詠んだ歌。四首目、何を書いているのか、鉛筆の先が太く丸くなってきたので、新しい鉛筆に持ち代える。するとそれまで太かった文字がとたんに細くなる。その些細な変化を掬い上げて、「冬に入りゆく」と収めるところは見事だ。五首目、花瓶に水を入れる。次に花束を入れると、茎の体積の分だけ水が上に押し上げられる。花瓶は頸の部分が細くなっているため、その部分で水面の上昇が顕著である。いずれも的確な観察と描写を抑えた言葉遣いで表現していてよい歌となっている。
かといってこんな歌ばかり並んでいたらよい歌集かというと、そうでもないところがおもしろい。角川短歌賞のような連作でもそうだが、歌集も一本調子では読んでいる人が退屈してしまう。起伏と陰影と思いがけない曲がり角が必要だ。本歌集にはいささか起伏が多すぎるような気はするが。
残る歌を挙げておこう。
日々に眠りは鱗のやうにあるだらう稚き日にも死に近き日も
幾筋か底に轍をしづめゐるにはたづみあり足裏は燃ゆ
白鷺をつばさは漕いでゆきたりきあなたの死に間に合はざりき
眼窩には雪はふらないそれなのに眼窩にみちる雪のひかりは
川の面に雪は降りつつ或る雪はたまゆら水のうへをながるる
わたしがつひにわたしで終はるかなしみも肯ふ。橋をいつぽん渡る。
向かう側の雪をうつして窓がらす静かでゐるといふ力あり
人ごとに祈るつよさの違ふこと噴水の影われを打てども
樹のなかにすずしく鳥の満ちるとき夕景はみづから始まつて
【附記】
角川短歌賞の受賞のことばに添えたプロフィールには、「故島崎健先生の和歌の授業に強い影響を受け、京大短歌会に入会」とあり、『海蛇と珊瑚』のあとがきにも島崎健の名前を挙げている。そうだったのか。藪内を短歌の世界に導いたのは島崎さんだったのか。島崎さんは私と同僚で、京都大学の旧教養部を改組してできた総合人間学部で国文学を教えていた。私とは研究室が近かったので、廊下で擦れ違うと挨拶して二言三言言葉を交わすことがよくあった。総合人間学部の教員は全学共通科目と名を変えた一般教養科目を担当していて、あらゆる学部の学生が履修する。最初の2年間だけで姿を消す学生の心に何とか爪痕を残そうと授業をしている。島崎さんの授業は履修者こそ多くはなかったが、ファンが多く濃密な授業だったと聞く。藪内もきっとそのうちの一人だったのだろう。
大学の教員・研究者の中には志を得ないで終わる人もいる。実験用のラットから細菌感染して療養を余儀なくされ、実験ができなくなった人とか、根源的問題を考え続ける内に迷路に入り込んでしまい、一本も論文を書くことなく定年を迎えた人もいる。島崎さんは在職中に病を得て早期退職し、その一年後に亡くなった。きっと残念だったにちがいない。しかし島崎さんが講義を通じて播いた種が藪内君の中で実を結んだことを知ったら、島崎さんも天国で喜んでいるだろう。