第252回 工藤玲音『わたしを空腹にしないほうがいい』

てんと虫よ星背負ふほどの罪はなに

工藤玲音『わたしを空腹にしないほうがいい』

 今回は久々に短歌ではなく俳句である。工藤玲音くどうれいんは1994年、岩手県の盛岡市生まれ。石川啄木の生地である旧渋民村に生を受けたと聞く。私が最も印象深く記憶したのはその名前である。工藤玲音は本名で、Twitterは#rain。生まれ故郷といい、その名前といい、文芸に運命づけられたとしか言いようがない。現在盛岡で一番の有名人らしい。盛岡三高で文芸部に所属し、その頃から投稿少女だったようだ。2012年には岩手日報随筆賞を最年少で受賞。宮城大学に在学中は東北大学短歌会に所属。卒業後、盛岡に戻り、社会人として働くかたわら、母校の盛岡三高文芸部で後輩を指導し、2018年には短歌甲子園で準優勝に輝いている。俳句結社「樹氷」と「コスモス短歌会」に所属。

 さっそく話題の『わたしを空腹にしないほうがいい』(Book Nerd)を取り寄せた。小ぶりな小冊子に俳句とエッセイが収録されている。また雑誌「ソトコト」2019年1月号に工藤が取り上げられていると知り、それも取り寄せた。長文のインタヴューが載っている。工藤の短歌も読んでみたいと思い、「コスモス」の事務局に連絡し、最新号を含めて過去の5号分の歌誌を購入した(事務局は狩野一男さんで、ていねいに対応していただいた。お礼を申し上げる)。掲載された歌を虱潰しに調べたが、工藤の短歌は見つけることができなかった。どうやら定期的に出詠しているわけではないようだ。

 さて『わたしを空腹にしないほうがいい』収録の俳句である。

芍薬は号泣をするやうに散る

角のなき獣に生まれオクラ茹でる

夏風邪をライバル同士分け合えば

ソーダ水すべてもしもの話でも

ファインダーとまつげの間まで薫風

はつなつを出刃包丁ではね返す

夕立が聞こえてくるだけの電話

 一句目、芍薬は夏の季語。貌佳草かおよぐさの別名があるという。芍薬は咲ききった時にどさっと豪快に散る。その様を「号泣をするやうに」と表現した句。直喩が効いている。二句目のオクラは秋の季語。「角のなき獣」は、オクラがアフリカ原産なので、アフリカの大地を疾走する獣からの発想かもしれない。「お前もアフリカに育てば草食動物に食べられたもしれないのに、日本くんだりに生まれたばかりに角を持たない私に茹でられている」ということか。三句目、ライバルと言えば高校の女子生徒同士が頭に浮かぶ。ライバルだがしょっちゅういっしょにいるので、風邪も分け合うのが微笑ましい。四句目はソーダ水が夏の季語。語っていない余白の多い句だが、おそらく喫茶店でソーダ水を飲みながら二人が話しているのだろう。恋人同士かもしれないし、女友達かもしれない。「もしもこうだったとしたら」と話していることは、実は本当のことかもしれない。あるいは逆に架空のことかもしれない。「も」と「し」の音の連続が弾けるようで楽しい。五句目、今ではデジタルカメラを使う人の方が多いので、ファインダーを覗くことは少なくなった。ファインダーと睫毛の間という微細な隙間に到るまで初夏の薫風が通り過ぎるという爽やかな句である。六句目、襲って来るのは初夏の思いかげず強い日差しだろう。それを出刃包丁を振るってはね返すという威勢のよい句である。今時出刃包丁を持っている人がどれくらいいるかと思うが、後でも触れるように工藤はたいへんな料理好きなので、自分で持っているのだろう。七句目、友人か恋人との電話か。言葉が途切れ途切れになって無言の時間が生まれ、夕立の音だけが受話器から聞こえて来るという句。携帯電話かスマートフォンでもいいのだが、昔ながらの固定電話の黒電話の方が趣がある。

 一読してわかるように、工藤の俳句の強みは何ものをも蹴散らしてしまうほどのその若さである。また四句目や七句目に見られるように、はっきりと句の中に登場しなくても、背後に友人とか恋人といった人物が感じられ、その人物との距離感にも若さが感じられる。若いときは友人や恋人との距離を詰めてもっと親しくなりたいという気持ちと、距離を詰めすぎて相手に拒絶されるのではないかという畏れが同居しているものだ。そんな微妙な心理の機微が句からも感じられる。

 関西現代俳句協会のサイトに掲載された句から引く。

パポと鳴きさうな西瓜を鳴く前に

まだまだの芒の中を救急車

点滴に月の光の混入す

病院の窓をはみ出す大花火

頷きの合間に崩す桃のパフェ

 おもしろいのは一句目だろう。西瓜がパポと鳴き出すという発想がユニークで、「鳴く前に」で留めたところも俳句的。三句目は実際に経験した人でないと作れない句だと思う。入院して夜になり、一人でベッドに寝て点滴を受けている。病室のカーテンの隙間から月光が差して、点滴のパックか輸液管をきらきらと照らしているという情景である。五句目は誰かと喫茶店かフルーツパーラー(今でもこんなものがあればだが)でパフェを食べているという句で、ここにもいっしょにパフェを食べる相手が含意されている。このように日常的な人間関係を句に詠み込んでいるのも工藤の俳句の特徴と言えるだろう。ふつうは俳句の中に対面している人物は登場しないものだ。

 『わたしを空腹にしないほうがいい』は句文集なのだが、収録されたエッセーのほとんどが食べ物話である。たとえば「夏風邪をライバル同士分け合えば」のエッセーはお粥に凝ったことがあるという話題で、もちろん米から炊くのだが、粥に添えるものが、刻んだ搾菜、カリカリに焼いたお揚げ、甘辛く炒めた蕪の葉、佃煮風の豚バラ肉と実に豊富だ。その他にも、フレンチトースト、温泉卵、給食のゼリー、トマト、コロッケ、パセリなど、食べ物の話題が満載である。出刃包丁を振るって鯛を丸ごと一尾捌いたり、圧力鍋で豚の角煮を作ったり、ホームベーカリーでパンを焼くなど、実に本格的に料理を作っているらしい。

 今後が愉しみというのは使い古された陳腐なフレーズだが、ほんとうに工藤は今後が楽しみだ。工藤の短歌を読みたかったのだが、それは叶わず残念である。またの機会を期待したい。