なだらかに底を見せたる泥の上を鷺は歩めり影揺らしつつ
西川啓子『ガラス越しの海』
京都市右京区嵯峨に広沢池という大きな池がある。昔から観月の名所として知られていて、多くの歌が詠まれた歌枕である。「更級も明石もここにさそひ来て月の光は広沢の池」という慈円の和歌がある。広沢池では一年に一度池の水を抜くかいぼりをする。すると普段は見えない池の底が見える。掲出歌はその様を詠んだ歌である。池の底のなだらかな泥という場所、歩く鷺という対象、そして鷺が歩く様と生まれる影が、過不足ない措辞で詠まれている。
作者の西川啓子は1956年生まれで「塔」の所属。『ガラス越しの海』は2018年に上梓された第一歌集で、跋文は「塔」の真中朋久が寄せている。あとがきによると、作者は河野裕子の歌との出会いを契機として短歌を表現手段に選び、家族の歌を残したいと念ずるようになったという。その言葉どおり本歌集の大きな主題は家族である。同居する父母、成人して独立した二人の息子、息子たちの妻たちとその子供たちが、季節の移ろいとともに様々に詠まれている。
黒豆が皺なく炊けたと言うときの呪術師めきてははそはの母
薬害の原告団に投げられし生卵にも触れし一節
社史にのみ残りし社屋にただ一度父と入りたり半ドンの午後
リクルートスーツ着なれてずぶずぶとうつつに入りゆくを見ており
また一つ嘘ついて子は離れゆくリュックのように哀しみ背負って
だれにでも抱かれるときは短くて代わる代わるに双子抱きあぐ
いまだ子の仕事に躊躇い持つことを言いてその父挨拶を終える
丹前の袖ほどくとき零れ落つ祖父の遺しし「いこい」の粉よ
一首目は正月の準備に黒豆を炊く年老いた母親を詠んだ歌である。黒豆が皺なく炊けて快心の笑みを浮かべたのだろう。作者の父は製薬会社に勤めていたようだ。二首目は退職して自分史を執筆しているというくだりの一首。三首目は、取り壊されて現存しない父が働いていた社屋を詠んだ歌。半ドンは土曜日のこと。昔はこのように、子供を自分が勤めている会社や工場に連れて行くということがあったが、今はどうなのだろうか。次の二首は子の歌である。就職して最初は着慣れないスーツもだんだん体に着いてくる。それは社会人としての経験値が上がったということなのだが、作者は現実にずぶずぶと入って行く危うさも感じている。五首目は親離れする子の歌だ。息子の一人には双子が誕生する。生まれた子が一人ならば長く抱いていることができるが、双子なので平等に代わる代わる抱かなくてはならない。勢い一人を抱く時間は短くなるのがせつない。七首目は息子の結婚式の締めくくりに父親、つまり作者の夫が挨拶した場面の歌。「躊躇い」については後に触れる。最後はもうこの世にいない祖父の歌である。祖父が着ていた丹前の袖から煙草の粉が零れ落ちたという。その世代の人は帰宅すると冬には丹前を着ていた。「いこい」は代表的な当時の煙草の銘柄である。私の祖父も「いこい」を吸っていた。
このように作者の祖父から孫に到るまで、五代に及ぶ家族の暮らしが丹念に詠まれており、まさに作者の言のとおり家族の歌となっている。またそれぞれの場面の折々に作者が感じたこと、思いを馳せたことが詠み込まれていて、あらためて短歌は民衆の詩であることを思わせられる。
家族が本歌集の表の主題ならば、裏の主題はさしずめ原発ということになろう。作者の息子の一人は、原子力発電所を製造している会社に技術者として勤めているのである。
原発を責める連作二作ありそれのみ読みて書棚に戻す
いくたびもチェルノブイリを言いしかど核エネルギーに魅せられて子は
辞めろとも帰れとも言えず「あのさぁ」と問う燃料棒の仕組みなど
福島の桃あまた食みし夏ありき詫びたきような廉価のままに
原子の灯と大きく書かれしEXPO70の夜の灯のなか昂ぶりて歩みぬ
電池ばかり設計したという人の手触り感を子はうらやみぬ
東京電力福島第一発電所の苛酷事故の前から作者は危惧を抱いていたようだが、その危惧は現実のものとなった。1979年のスリーマイル島、1986年のチェルノブイリと並び、2011年の福島第一発電所はまさに悪夢のような事故だ。先に引いた歌で新郎の父が述べた「躊躇い」とは息子の従事している仕事をさす。巨大な技術となった原子力発電所では、誰もがそのごく一部にしかタッチしていない。上の六首目はそのことを詠んだ歌で、勤務する息子もまた巨大な機構の歯車となっているのだ。五首目は大阪万博の跡地を訪れた折の歌と思われる。広島と長崎で原爆の惨禍を経験した戦後の日本において、忌避の対象となるはずの原子力が、「原子力の平和利用」の名のもとに希望の光へと転化する奇妙な捻れがどのようにして起きたのか不思議でならない。
作者は家庭においては妻であり母であり主婦なので、日々の生活に材を得た歌や厨歌も多くある。私は食いしん坊のせいか食べ物が登場する歌に特に引かれる。
アンペイドワークばかりの10000日そら豆のスープきょうは作りぬ
跳ね上がる泥土のように思いたり主婦にしてはと言われるたびに
あいまいに厨に立ちて出汁を取る海に棲みいしものの中から
父と夫の首締め来たるネクタイをほどきて作る座布団カバー
冬のひかり閉じ込めたような柚子ジャムの瓶を並べて恍惚とせり
主婦業が給与が支払われず社会的評価の低いアンペイドワークであることに誰しも倦むことがあるだろう。二首目のような歌を見るときいつも思い出すのは、「マニュアルに〈主婦にもできる〉といたはられ〈にも〉の淵より主婦蹶起せよ」という島田修三の歌である。上に引いた四首目はなかなかおもしろい。スーツとネクタイは会社人としての男の象徴である。そのように記号性のあるネクタイを再利用して座布団カバーを作りその上に座るという行為は、密やかな復讐とも見ることができるだろう。その一方で、ネクタイが父親と夫の首を窮屈に絞め続けて来たということ憐れみも感じているのである。
私が本歌集を読んでいちばん感心したのは、西川の鋭い観察力とそれを歌にする的確な描写力である。それが最も感じられるのは次のような歌だと思われる。
電線をひょいと上げるもバイトなりその下をゆく神輿の矛先
点描で育ちゆく葉よ春楡のあわいに閉じてゆく空が見ゆ
看護師に夜勤明けかと問われたる医師は小さきゴミ提げており
窓の向こう藪の迫りてときおりに風とは違う枝の揺れあり
水張田に揺らめくひかり区切られて影のようなる細き道あり
扇の骨辿りしような水脈引きていく艘か見ゆひかり放つ海
一首目は10月に北野天満宮で行われるずいき祭りを詠んだもの。神輿の矛先が電線に触れるのを避けるために、長い棒で電線を持ちあげる係がいるのだ。それをユーモラスに詠んでいるのだが、電線で読者視線を上に誘導し、次に視線を下げて巡行する神輿を登場させるのが巧みである。二首目は楡の葉の成長を印象派の点描になぞらえた歌で、葉が成長するにつれて下から見える空が小さくなってゆくという視点がおもしろい。三首目はなにげない病院の場面だが、夜勤明けの医師がおそらく夜食に食べたコンビニおにぎりかサンドイッチのゴミを手に持っているところに注目するのが鋭い観察眼である。四首目は家の窓から見える庭の光景で、風と違う揺れをする枝があるのは小鳥が停まったり飛び立ったりするからだ。小鳥を詠まずに、枝の揺れで小鳥の存在を詠んでいるのが巧みである。五首目、水田の畦道が水に反射する光を区切るという描写と、畦道が光に挟まれて影のように見えるという描写が鋭い。六首目は船の航跡を放射状に広がる扇の骨に喩えているのだが、「扇」「骨」「水脈」「海」のとり合わせが典雅だ。いずれの歌も言葉に無理な圧をかけることなく、過不足ない措辞で詠まれている。そのことを特筆しておきたい。
最後に個人的な思い入れのある歌を挙げる。
伐りくれし葡萄の枝を鉢に挿す 京大農場わが街より消ゆ
作者は高槻市に在住している。阪急電車で京都から高槻駅に近づくと、沿線に京都大学の附属農場が見える。長い並木道の向こうに、左右に細長く伸びる二階建てのレトロな建物がある。私は古い建物を見るのが好きなので、一度訪れてみようと思っているうちに、農場は移転し跡地は公園になるという。あの建物がどうなるのか気がかりだ。