第261回 田中まひる『ピース降る』

星ひとつ滅びゆく音、プルタブをやさしく開けてくれる深爪

田中まひる『ピース降る』

 田中まひるは1983年生まれで未来短歌会所属、「七曜」同人の歌人である。第一歌集『晴れのち神様』(2004年)、第二歌集『硝子のボレット』(2014年)があり、『ピース降る』は書肆侃侃房からユニヴェール叢書の一冊として2017年に上梓された第三歌集。田中はしんくあと短歌ユニット「ぺんぎんぱんつ」としても活動しており、実生活においては精神科医であるという。精神科医と短歌は相性がよい。歌集題名の『ピース降る』はもちろん英語のpeaceful「平和な、平穏な、安らかな」からだろう。

 田中が結社内の未来賞を受賞していることを知り、受賞作「ひとりひとり」が『硝子のボレット』に収録されていたので、結局今回は歌集二冊読みという荒技に挑戦とあいなった。

 『ピース降る』を読んでいる途中でしきりに感じたのは、名言の宝庫穂村弘が『短歌はプロに訊け!』などでしきりに述べている「短歌のくびれ」ということである。曰く、短歌は読む人に「驚異」つまりワンダーを手渡すものである。そのためには一首の中にしぼりこんである箇所がなくてはならない。それは砂時計の途中が狭くなったくびれのようなものである。穂村は「人の不幸をむしろたのしむミイの音の鳴らぬハモニカ海辺に吹きて」という寺山の歌を例に取って、この歌のくびれは「ミイの音の鳴らぬハモニカ」だという。この歌を「人の不幸をむしろたのしむただひとり古きハモニカ海辺に吹きて」と改作すると寸胴になってしまい、ワンダーがなくなってしまう。「ミイの音の鳴らぬ」という具体性が一首にくびれを与えているという。

 いかにも穂村らしい明晰な分析である。それと同時に感じるのは、近年どっと増えた口語短歌にはこのくびれが見られない寸胴の歌が多く、また口語短歌でくびれを作るにはそれなりに工夫が必要だろうということである。たとえば掲出歌を見てみよう。この歌は二句切れとなっている。「星ひとつ滅びゆく音」は、本当にそんな音が聞こえるはずもないので、失恋の深い喪失感を表す喩だろう。下句は恋人が缶入りドリンクのプルタブを開けてくれるという実景描写である。優しくプルタブを開けて「はい」と手渡してくれるその人が、〈私〉に失恋の喪失感を与えた張本人だろう。この歌は心理を表す喩の部分と、それに呼応する実景部分とから成っていて、短歌の基本を押さえている。そしてこの歌の「くびれ」は「深爪」である。「深爪」の具体性が歌にリアリティーを与え奥行きを生み出している。田中はこのような歌の組み立て方がとてもうまい。いくつか見てみよう。

胸骨にくちをつければ笑い出すきみが片手で飲むVolvic

心臓をさわってみたいあたらしい牛乳石鹸おろす夕刻

生まれたかった季節のことを言いながら冷凍果実つまむ指先

昨日まで戦前でしたゼラニウムオイルを髪になじませる朝

半年は死ねないように生き延びるために予定を書く細いペン

 一首目は恋人と戯れる日常の場面。「胸骨」はやや医学的語彙だが、それよりもこの歌のくびれは結句の「きみが片手で飲むVolvic」だろう。これを「きみが片手で飲む鉱泉水」とか「きみが飲み干すミネラルウォーター」などとするとぐっと歌の解像度が落ちる。二首目は掲出歌と同様二句切れで、「心臓をさわってみたい」までが心理で残りが実景である。この歌のくびれは「あたらしい牛乳石鹸」だ。三首目は「私は9月に生まれたかったな」などという恋人とのたわいない会話から始まる歌で、くびれはもちろん「冷凍果実つまむ指先」である。ただの果物ではなく冷凍果実とすることによってリアリティーが生まれる。また結句に向かって指先という微細な場所にズームインする効果も高い。四首目、「昨日まで戦前でした」というのだから、今日からどこかで戦争が始まったのだろう。それは遠い国の本当の戦争かもしれず、また人間関係や内心の葛藤の喩かもしれない。この歌では「ゼラニウムオイル」でくびれている。五首目は生き延びるために予定表に予定を書くという歌で、この歌のくびれはもちろん「細いペン」だ。ペンの細さが予定の実現の危うさを表しているということもある。これがもし「モンブラン」だったら台無しだ。こうして歌を並べてみると、田中はどうやら結句で歌のくびれを作って着地させるのが巧みなようだ。

 未来賞受賞作の「ひとりひとり」からも引いてみよう。

美しい傘をいっぽん抜き取って空とふたりを遮断する夏

こいびとはひとりでもいい傾いた電信柱にもたれるように

人型を濡らして歩くわたしから永遠に鳴る鍵束の音

きりのない反射 皮膚からこぼれ出す熱を確かめ合う午後三時

花飾りつきのヘアピンすべり落ち冷たい床で待つ絶頂期

 選考会で岡井隆は「知的な処理をやった歌ですね」と発言したという。岡井の発言の真意はわからないが、おそらくは歌にしたい感情をそのまま言葉に置き換えるのではなく、言葉を選んで再構成する処理を施しているということではないかと思う。たとえば一首目、一本の傘の中に入って二人だけの世界に籠もるという恋愛感情の高まりを詠んだ歌だが、それを「空とふたりを遮断する」と表現し、その前段に恋愛感情とは直接関係しない「美しい傘をいっぽん抜き取って」を置く構成となっている。岡井はこのような構成意識に注目したのではないか。

 精神科医としての仕事を詠んだ歌もある。

傷痕は表皮に残るだけというきみのたましいが終えるパレード 『ピース降る』

先生も切ってみろよとカッターを突きつけられて吐く白い息

一生眠れる薬ほしがる女子生徒に言い返せない 夕立ですか 『硝子のボレット』

「別に。彼と電話しながら突き刺した」シャーペンの芯残る太もも

明日こそ死ぬ約束をいつまでも更新させて生き延びたいね

 精神科医や心療内科の医者は人の心に直接触れる仕事なのでたいへんな職業である。多く詠まれているのは自傷行為をくり返す少女だ。上に引いた歌は解説が不要で、批評するのもためらわれるほど重い内容である。『ピース降る』と『硝子のボレット』を読み較べてみると、『硝子のボレット』の方に精神科医としての仕事に想を得た歌が多く、また苦しみを吐き出すような歌も多く見られる。人の立ち位置は移動することによって初めてわかる。田中も変化したのかもしれない。

 最後にいくつか心に残った歌を挙げておく。

こころには水際があり言葉にも踵があって、手紙は届く  『ピース降る』

また老いを口にするねと笑われて天然水で飲むロキソニン

書きかけの手紙を伏せて眠るときだれかを待っている雨後の森

ポケットの奥の荒野に文庫版詩画集を入れ抜ける改札

言い訳の作法もうつくしいひとのゆりのストラップがゆれている

いつの日か官僚になる友達をジギタリス咲く裏庭で抱く  『硝子のボレット』

ひだまりににおいの秘密聞かされるときゆるやかに上がる体温

わたしより重い臓器をつめこんだ男のひとと選ぶ白菜

おとうとのカルピスは濃くこいびとのカルピスはやや甘くする朝

 『ピース降る』に「借りていた傘を返しに行くときの時雨『カフェー小品集』を鞄に」という歌があり、懐かしくて思わず目を止めてしまった。『カフェー小品集』は2001年に刊行された嶽本野ばらの短編集である。やや背表紙が焼けているが今でも書架にある。

 『硝子のボレット』にも『ピース降る』にも、岡井の言う「知的処理」がなされておらず、感情が生の形で露頭している歌や、言葉が甘く口語のポエムになっている歌がある。しかし適切な構成意識が発動するとき、田中の短歌は上質の口語短歌となっている。