生は揺らぎ死はゆるぎなし夕暮れて紫深きりんだうの花
小笠原和幸『黄昏ビール』
短歌総合誌の新刊歌集評をぱらぱらと見ていたら、小笠原が新しい歌集を出版したことを知り、さっそく取り寄せた。小笠原はセレクション歌人『小笠原和幸集』に収録された『馬の骨』『テネシーワルツ』『春秋雑記』の後に、『風は空念仏』『穀潰シ』という二冊の歌集を出しているようだが、そちらは見ていない。あとがきによれば、第五歌集『穀潰シ』を刊行してから12年ほどほとんど短歌を作らなかったようだ。ある日一首を得てからまた作るようになり本歌集の上梓に到ったという。岩手県に住み、短歌結社などにまったく所属しない孤高の歌人であり、短歌総合誌などで作品を見る機会がほとんどないのが残念なので、新しい歌集の出版は喜ばしい。
あとがきで本人が、「前五歌集の作とは随分違うものになった」と書いているように、作風は少しく変化している。前の歌集には次のような歌があった。
穢土浄土秋の畑に火を焚けば炎へだてて真向かふ父子
『馬の骨』
ただ二人この家に住む日が来たら継母よ蜆が煮え立つてゐる
『テネシーワルツ』
一切は烏有に帰する悦びへ火は立ち上がる逝く秋の野に
花はただ花の世に咲き人の世の道に散るとき花また芥
『春秋雑記』
小笠原の短歌の特徴は、東北の風土性、複雑な家庭環境から立ち上がる物語性、「生とは死へと到る道である」という仏教的無常感であり、そのような要素の複合から立ち上がる濃密な抒情であった。その歌は時に箴言のようであり、時に真言かご詠歌のようにも響くことがある。
第六歌集『黄昏ビール』に到って小笠原は、肩の力の抜けた飄逸と風狂、老醜の自虐の傾向を強めたように見える。
老ゆるとは若きらに蔑さるる事かつて誰かが然うした様に
エレベーターに駈込まんと来しOLは我一名に後退りせり
履歴書に書く来し方の覚束なしその日その日を思ひ起こして
本を出すため仕度せる黄白を嘲りし人わが父にして
すれ違ふさをとめが香を心肺のキャパの限りにわが吸い込みつ
小笠原は1956年生まれなので、今年65歳を迎えるのだが、殊更に老いを歌にしている。一首目、自分も若い頃に老人を馬鹿にしたように、今は自分が若者から馬鹿にされているという歌。二首目は、OLが駈け込んで来たエレベーターに、歌中の〈私〉一人しか乗っていないのを見て、OLが一瞬ひるむという歌である。作者は高校卒業後、上京していくつもの職を転々としたようなので、三首目のように履歴書に経歴を書こうとしても記憶が定かではないのだ。この三首には「我」「吾」の文字はひとつもないが、それでも自分を詠んだ歌であることがわかる。短歌が一人称の文学である所以だ。四首目の「黄白」は、黄金(くがね)と白銀(しろがね)から転じたお金の異称。小笠原は若き日に寺山修司の短歌を読んで寺山病に罹患した一人なのだが、四首目はまるで両親と故郷に容れられなかった萩原朔太郎のようだ。文学はある意味で業であるというのは事実だ。五首目も老残の自虐の歌で、吸い込んでいるのは香りだけではなく若人の発散する活力でもある。
老人の消し忘れたる瓦斯の青あの世とやらへ導きのあを
三回忌雨中を遠く近く来てその幾人か今日に見納め
田村家の刀自が孤独に死にゐたり遠からずわが恃む死に方
帰り来て身に塩まけば日の暮を己れが影を見定めがたし
前歌集に引き続き「生とは死へと到る道」というメメント・モリの歌は依然としてあるものの、前歌集で見られた苛烈さは影を潜めて、歌は軽みを帯びて飄逸さが顔を出している。少し肩の力が抜けた歌い方へと変化しているのは時の作用によるものだろうか。
裏通りに口を糊する身の程のぬばたまの過去あかねさす恥
「何といふ無駄な一生だつたらう!」理解し易き中野好夫訳
生きていて何するでない一つ身はおでんの為にローソンへ向く
地下通路に来て方向を失ひぬ然して用なき空蝉ながら
ゆるやかに下る坂道思ひの外老といふこと楽チンにして
上に引いた歌のように、自分の人生の無為と老と貧を歌う歌にも軽妙さが漂っていて、どこか境涯を楽しんでいる節すらある。すぐに頭に浮かぶのは山崎方代の歌である。
湯呑よりしずかに湯気の立ちのぼるそれをみつめて夕餉を終る
そこだけが黄昏れていて一本の指が歩いてゆくではないか
人生をお尻に敷いてまたたびの塩辛なんどを漬けておりたり
山崎は先の大戦で視力を大いに失い、「身を用なき者と思ひなして」一生を送った歌人である。山崎や小笠原の歌を読んでいると、『聖ジュネ』でサルトルが書いたように、文学には価値の極を転換する回転扉のような働きがあると思えてならない。
固有名を詠み込んだ歌もおもしろい。トニー谷が広辞苑に載っているとは知らなかった。
トニー谷広辞苑には見えれども算盤のこと記憶におぼろ
その顔に生まれ変わりたしと二枚目の文士は言ひき下條アトム
谷啓にガチョーンはありき昭和末芸でも何でもない芸にして
てんぷくを免れて一人伊東四朗╱老境にして〈タフマン〉を演る
私が特に心を引かれるのは次のように何でもないことを詠んだ歌である。内容が空疎であればあるほど定型の持つ力が前に出て来る。
一つ世の行きずりにして新聞に氏名同じき人の死を見つ
風の日に余慶はありてお向ひの美魔女のものかその娘のか
歳晩の理髪店にて思ふらくアルジェリアの位置・ナイジェリアの位置
春宵に鍵屋と電話に話す時ヲス・メスで言ふ鍵と鍵穴
その他に心に残った歌を引く。
明け方のヘッドライトに照らされて逃げまどひつつ溝を這う靄
流れ行く紙の舟しづむ紙の舟夏の終りの灯ともし頃を
夕方の渋滞にしてわが見上ぐ進まぬ自転車フロアに漕ぐを
これの世の秋のあはれを犬の糞拾ふと屈むペディキュアは見ゆ
何切ると云ふにあらねど折折は光に見入るカッターナイフ
宵闇の墓に線香の火をつけるまだ生きてゐる者のともし火
死ぬ前に目を瞠りたりその時に初めて見たる何かがありて
集中で出色の抒情的な歌は二首目だろう。飄逸と皮肉と露悪が主低音の歌集の中にこのような歌を見つけると、まるで泥田に咲く蓮の花のように見える。