今回取り上げるのは歌集ではなく、今年(2009年)7月に深夜叢書社から刊行されたSF作家として名高い眉村卓の句集である。長大なあとがきによれば、眉村は高校生のときから俳句を作っており、赤尾兜子の知遇を得て句誌「渦」に投稿するなど、断続的に句作は続けて来たが、このたび句集としてまとめることになったという。一説によれば俳句人口は短歌人口の10倍はいるという話で、各界で句作に親しむ人は多い。しかしあとがきに綴られた人生の軌跡を見ると、眉村にとって俳句は小説家の余技ではなく、自身の文学的営為により深く埋め込まれたもののようだ。
帯文に署名はないものの、おそらく深夜叢書社社主で自身俳人でもある斎藤愼爾の手になるものと思われるが、次のように書かれている。「日本SF史上に不滅の金字塔を樹立した泉鏡花文学賞作家は、高校時代から半世紀に亘り俳句界を疾走してきた前衛俳人でもある。生と死をめぐる象徴的、神秘的、幻想的、夢幻的、そして根源的な情念の表白の結晶、ここに成る。」そして次のような句が抜粋されている。
木犀の香の闇ふかし別れ来て
灯の中に鬼灯夢も暗からむ
亡妻佇つ桜もつとも濃きところ
冬麗や切絵のごとき姫路城
眉村の句を「象徴的、神秘的、幻想的、夢幻的」と評するのは、「蝶殺めおれば日月入れ替わる」「月光の創かくれなし蟻地獄」などの句のある斎藤愼爾自身の美学に基づく判断である。帯文の抜粋句もまた同じ美学に基づいて選ばれている。
斎藤の指摘はそれとして、私が眉村の句を読んで強く感じるのは濃密な物語性である。あとがきで眉村は、SFの本質はセンス・オブ・ワンダーであるとの説に触れ、「SF的感覚を援用して言えば、私の俳句とは、時空の集約が感じられるものでありたい」と述べている。俳句の王道は二物衝撃だが、二物の出会いによる衝撃に止まらず、宇宙をクルミの大きさに閉じこめるように、時空が圧縮されたような感覚をめざすということだろう。その圧縮された時空間に物語が匂い立つのは、ショート・ショートという得意ジャンルを持つSF作家の故にちがいない。たとえば次の句はどうだろう。
氷菓出て転職依頼ためらひつ
獄塔出て異郷の蜂がつきまとふ
風花や女がくだる螺旋階
ぶらんこがどこかで軋み濠の昼
終着駅近しまだ在る冬の虹
一句目、「氷菓出て」はアイスクリームが食卓に出されたという意味だから、誰かの家にお邪魔しているか、レストランでの情景だろう。自分は転職を頼みに来ているのだが、どうしても言い出せないという、一片の人生風景を切り取ったような句である。季語は氷菓で夏。二句目、「獄塔」は監獄の塔屋で、どこかよその国で昔監獄として使われていた建物を観光しているのだろう。監獄ゆえに幽閉されていた人物の物語が立ち上がり、「異郷の蜂」にも意味がまとわりつく。季語は蜂で春。三句目、螺旋階段を下りる女性には、色鮮やかなワンピースを着ていてほしい。階段を下りる回転動作にワンピースの裾が広がって美しい弧を描くという高度に視覚的な句。螺旋階段を下りる女というだけで一編の掌編小説のようだ。季語は風花で冬。四句目、濠とあるので皇居のお濠のような城の環濠が目に浮かぶ。ぶらんこは春の季語なので、うららかな春の昼である。そこにぶらんこが軋む。近所に公園があれば子供がぶらんこに乗って遊んでいてもおかしくはない。しかし「どこかで」の一語が句に潜む危うさをあぶり出す。五句目、終着駅まで列車に乗っている男がいるのだが、「まだ在る」により男がずっと虹を見ているという時間の流れが句に生まれている。虹は夏の季語だがここでは冬。このように一句17音に凝縮された時空間にどこか物語が感じられるのである。
眉村は句友から「言葉の使い方が俳句のそれとはどこか違う」と言われたそうだ。それはこのような眉村の句に潜む物語性に関係するのかもしれない。この間の事情を詳らかにするのは私の手には余るが、ざっくり言って近代俳句の骨法は写実であり、現代俳句はそれに言葉の彫琢が加わる。
白葱のひかりの棒をいま刻む 黒田杏子
腐みつつ桃のかたちをしていたり 池田澄子
万緑や死は一弾を以て足る 上田五千石
白葱を光りの棒と見たとき黒田の句は生まれたのであり、腐ってゆく桃にまぎれもない桃の形を見たとき池田の句は生まれたと言える。カメラが対象に肉薄し、眼前の極小の対象をこれ以外にないという見方で的確に捉えた瞬間に、ベクトルが反転してそこに極大の世界が生まれる。また現代俳句のひとつの特徴として、上田の句のように情け容赦のない断言が定型を屹立させるというものがある。いずれも言葉を削ぎ落としてゆくことで到達する世界である。これにたいして眉村の俳句では、言葉を削ぎ落とすのではなく、逆に物語を呼び込むような言葉の選び方がされている。このことが「言葉の使い方が俳句のそれとはどこか違う」ということにつながるのではないだろうか。
掲出句「過去追ひて眼鏡に障子歪みをり」はこれだけ読むと解読が難しいが、眉村の妻が病を得て亡くなった直後の歌である。
妻元気並木の辛夷咲き始め
紫陽花よ妻確実に死へ進む
西日への帰途の彼方に妻はなし
妻逝きし病院を訪ふ秋の雲
際限もなく銀杏散る明る過ぎる
ふつうは「妻元気」とは書かないから、すでに病が進行していることが知れる。一連は慟哭の句であり、最後の句の「明る過ぎる」もこの文脈で見れば哀切の句となる。掲出句の過去は妻が生きていた過去であり、眼鏡に障子が歪むというのも悲しみの表現であろう。次のような句も印象に残る。
哀歓の涯は枯木に触れゐたる
雨後黒く馬と藁塚まじり佇つ
永くバス待ちて案山子の視野の中
草にまぎれ得ぬ秋蝶をみつめをり
春愁や不意に鉄橋轟々と
路地幻視秋の夕日が嵌め込まれ
剃られつつ刃を感じゐる五月かな
加速する時間の雫鬱王忌
最後の句の鬱王忌は赤尾兜子忌のこと。「大雷雨鬱王と会うあさの夢」の句のある兜子は鬱病に苦しみ自死している。「加速する時間の雫」は兜子に捧げるSF作家のオマージュだろう。ふつうの俳句作家の発想ではない。
眉村の父の村上芳雄は夕刊紙の記者をしており、歌人だったという。父は短歌で息子は俳句というわけだが、おもしろいことに眉村の長女の村上知子は短歌を作っており、旅行記の散文と短歌を組み合わせた『上海独酌』(新人物往来社、2004年)という著書がある。歌を二三引いてみよう。
既に死にたなびく君の魂をつなぎとめむと秋刀魚焼きたり
大叔父の残せし煙草菊の紋誰も昭和を喫いきれぬまま
水引の花は穂先を天の川星の高みに詠記すなり
短歌と俳句とジャンルは違え、三代に亘って短詩型文学の血が脈々と流れているのは興味深い。親子の継承がほとんどない小説や詩と、短歌や俳句という短詩型文学の生理の差だろう。その生理の差とは、言葉の中に込められる〈私〉の分量と位相に集約される。言葉の中に〈私〉が塗り込められる機序はいかに、というのが積年の私の疑問なのだが、それはまた別の話である。