第39回 関口ひろみ『あしたひらかむ』

ししむらを借りてたましひ傷めるをさくらまばゆき闇に還さむ
              関口ひろみ『あしたひらかむ』
  作者の関口ひろみは1961年生まれで、1988年に歌林の会に入会して馬場あき子に師事している。『あしたひらかむ』は1998年刊行の第一歌集。掲出歌では、肉体を借りて魂が傷んだというから、魂が先に存在し、現世においてかりそめに肉体に宿ったということだろう。それを闇に返すという。その闇を「さくらまばゆき」と形容するのは短歌的修辞である。その実体は、私たちがそこからやって来て、そこへ帰ってゆく、決して知ることを得ない領域である。短歌的工夫を凝らして作られた歌だが印象に深く残る。
 実は『あしたひらかむ』の前にある若い人の歌集(と称するもの)を読んでいた。しかしその言葉の平板さと作品世界の幼稚さに辟易して途中で投げ出した。時間を無駄にしたのも業腹である。おさまらぬ腹の虫を抱えつつ『あしたひらかむ』を読み始めるや、干天の慈雨のごとくに言葉が染み込み、波だった心が平らかに静まる。ああ、短歌はやはりこうでなくてはならない。
 さて関口の作風であるが、馬場あき子麾下の歌林の会にふさわしく、古典の素養に裏打ちされた端正な言葉遣いによる本格定型短歌である。
公園に泣きゐしをさな新緑はふたつのまみをしたたりて落つ
を容れず拒まず海は銀ねずのまなぶた薄くひらきゐるなり
ひと恋へばたちまち濁る鏡かな虚空燦々夏はわたるを
きみへ漕ぐ櫂とはつひにならざりしかひなを二本さげて佇む
虫のこゑかそか残れるあかときを樹はみづからの翳より目覚む
 歌集冒頭近くから引いた。あとがきに「I章の歌を作っていたころは、ひたすらたましいを鎮めたく、(…)古風といわれるのを恐れないでつくろうと」とあり、習作期を脱しつつ主題を模索し表現を試みていた時期の作と思われる。作者には「たましいをしずめる」逼迫した必要があり、それは二首目の「吾を容れず拒まず」に遠く感じられる。作者の凝らした短歌的工夫は、一首目の「ふたつの眸をしたたりて落つ」や、二首目の「まなぶた薄くひらきゐるなり」に顕著であり、あえて古風な表現は三首目の「ひと恋へば」と鏡と夏の取り合わせに看て取れる。
昏るる田に火色ひらめきむらぎもの心の在り処たまゆら照りつ
ささなみの眠りのにたてり万葉の相聞に咲く沖つ藻の花
夏麻引くいのち傾けひひややけき山手線に舟漕ぐわれは
手酌してゑふに似るなり閑吟集 空櫓の音がころりからりと
わがこころ浦渚うらすの鳥ぞ 地下ホームに銀の車輌が風を起こし来
 一首目の「むらぎもの」や三首目の「夏麻引なつそびく」はよく知られた枕詞であり、古風を恐れぬ姿勢はここにも見える。二首目の「ささなみの」は本来は大津・志賀・比良などの地名や、波が寄ることから「夜」にかかる枕詞で、「夜」から「眠り」へと続いている。四首目の「空櫓」は水に浅く入れた櫓のことで、下句の「空櫓の音がころりからりと」は閑吟集からの引用。五首目の「浦渚」は浦辺にある州のことで、「わが心浦州の鳥ぞ」は古事記からの引用である。これらの歌はおそらく言葉から発想された歌で、実景から出発したものではなく、狭義のリアリズムに立脚していない。
 もちろん本歌集には言葉の世界に遊ぶ歌だけではなく、作者の身辺生活に材を得た歌もある。作者は出版社の校正部で働いているらしく、次のような歌がある。
フィットネス特集の校正刷ゲラ配られて校正室は定番の春
流れもののやうに集へる校正者おのれを隠しつつおのれ濃し
校正者のさかしらがほは疎まれて消さるべきメモこまごま記す
 フィットネスが定番になるのはコートを脱ぎ捨てる春を迎えた女性誌だろう。おもしろいのは二首目で、校正係が流れ者のような人たちだとは知らなかった。校正係は表に出ない黒衣役なので「おのれを隠しつつ」なのだが、その実個性豊かなので「おのれ濃し」なのである。三首目には校正係の心情がよく出ている。私も仕事柄書いた原稿を校正されることが多いが、大手出版社や新聞社の校正係の仕事にはいつも舌を巻く。誤字脱字や送り仮名の不統一は言うまでもなく、人名表記や年号の間違いに始まり、TV番組「笑っていいとも!」には最後に感嘆符が必要なことまで指摘してくれる。私はいつも校正係の訂正はほぼそのまま受け入れているが、人によっては「さかしらな!」と怒り出す人もいるのだろう。
 また歌集後半を中心に次のような瑞々しい相聞歌もある。
きみを恋ふわれはもつともわれなるか草のもみぢをまみに充たしぬ
いつ逢ひても見慣れざる貌きみはもちおのが寒さのうちに棲むなり
きみとゐる春の茶房にやはらかく水押す鳥の胸おもひたり
きみの黙のみなもとに掌をふれたきをフォークにパスタからめゐるのみ
手を洗へばみちくるうしほきみがゐてわがゐる暮らしかりそめならず
 作者は恋に不器用な自分を感じているらしく、相手との距離感に淋しさを感じているようだ。「きみ」と詠われている人かどうかは不明ながら、やがて作者は結婚して五首目のようなふたりの暮らしを始めるところで歌集は終わっている。第一歌集としては抜群の完成度を備えた歌集と言えよう。関口は2008年に第二歌集『ふたり』を上梓している。難しい病を得て療養生活を送っているらしく闘病詠が中心である。作者には切実な主題だが、読んでいると辛い。
 『あしたひらかむ』は構成の手を加えてはいるが、ほぼ編年体で編まれている。注目した歌に付箋を付けてゆくと、付箋は前半に多く後半に進むほど少なくなった。これはどういうことだろう。ふつう年月を経るにつれて作者の技量は向上し、歌境は深まるはずではないか。これについて考えるところがあった。
 同じ時期に穂村弘の対談集『どうして書くの?』を読んだ。長嶋有との対談で穂村は次のように発言している。
 「いま時代全体の趨勢として『ワンダー (驚異)』よりも『シンパシー(共感)』ですよね。読者は驚異よりも共感に圧倒的に流れる。ベストセラーは非常に平べったい、共感できるものばかりでしょう。以前は小説でも、平べったい現実に対する嫌悪感があったから、難解で驚異を感じる、シュールでエッジのかかったものを若者が求めていた。でも今は若者たちも打ちのめされているから、平べったい共感に流れるのかな。(…) すると、詩歌にあるような、言葉と言葉同士が響きあう衝撃みたいなもの、俳句でいう切れになるような感覚は、圧倒的に読みにくいという話になりますよね」
 私は穂村よりさらに上の世代なので、もちろん文学はワンダーの世界を構築するものと思っている。穂村の発言を読んであらためてそうなのかと再認識したのは、一読者として短歌を読むときにも私はシンパシーよりもワンダーという態度で臨んでいるということだ。若い作者の短歌に不満を感じることがあるのも同じ理由で、短歌でも若い作者はシンパシーに傾斜しているのは明らかである。関口の第一歌集を読んでいて、むしろ前半の方に付箋の付く歌が多くあったのはこのような理由による。するとこれは作者の技量の向上とか歌境の深化という問題ではない。もちろん作者関口の責任でもなく、その歌の価値を貶めるものでもない。関口は短歌をより自分に引きつけて捉えるようになっただけである。
 俳句や短歌などの短詩型文学では、〈読み手=作り手〉という構図が成立する。私のように自分では短歌を作らず読むだけという純粋読者はほとんどいない。私が短歌にワンダーを求めるのは読者としての私の嗜好にすぎない。と、ここまで言うと議論は終わってしまうのだが…。言葉でワンダーを立ち上げる短歌を読みたいと思うのである。