第387回 第70回角川短歌賞

 角川『短歌』11月号に今年の角川短歌賞受賞作が掲載されたので、今回はこれについて書いてみたい。角川短歌賞の審査員は、昨年までの俵万智が中川佐和子に交替して、松平盟子、坂井修一、藪内亮輔と中川の4人が務めている。

 今年度の角川短歌賞を射止めたのは平井俊の「光を仕舞う」である。

影のいろは黒ではないと吾の手に手を添え母は絵筆をすす

〈バートナー〉と口にするときのざらつきよ言い得ることば無きこの国に

流木のように互いを添わせたり産めないからだと産めないからだ

目を伏せて話し始めるまでの間はフォークを沈む苺のムースに

燃え尽きる精子のごとく降る雪を高架歩道ペデストリアンデッキに見上ぐ

 作者の平井は1990年(平成2年)生まれ。「八雁」に所属し、阿木津英に師事している。平井はすでに2018年の第64回角川短歌賞で「蝶の標本」と題した連作で次席となっている。今回で5度目の挑戦だという。平井の所属する「八雁」は、石田比呂志の歌誌「牙」が石田の死去により終刊になった後、かつて「牙」に所属し「あまだむ」を主宰していた阿木津英が島田幸典らと創刊した歌誌である。「八雁」は「はちかり」と読み、万葉集から取られている。

 「光を仕舞う」には、藪内が5点を、坂井が4点を入れている。連作の主な登場人物は作者とその母親である。連作の主題は同性を愛している作者と、それを母親に告げるまでの葛藤であり、LGBTQという極めて今日的なテーマを扱っている。1位に押した藪内は、一連の構成がしっかりしており、一つの気持ちをこちらに伝えてくるという意味で他の作品とは明確な違いがあると評している。坂井も、完成度が高く、作品の読ませ方を心得ていると述べている。

 今回の「光を仕舞う」はテーマ性の方が前面に出ているが、以前に次席となった「蝶の標本」も読んだときに注目した作品である。文語(古語)の歌も混じっていて、今回の受賞作よりも抒情性が高い。審査員の伊藤一彦などは、作者は若い女性だろうと言っているほどだ。

心臓を持たざるものはうつくしく胸をそらしてマネキンは立つ

薔薇色の香りに飢えた傷兵の集まるようなスターバックス

鎖骨へと指を這わせるまっしろな朝のひかりの満ちたる部屋で

 今回の角川短歌賞の選考座談会はいつにも増して激論となり、その結果、次席はなしで佳作が3点という結果となった。

 佳作の一人目は刈茅の「アパートメント」である。名前をどう読むのかわからない。「かるかや」だろうか。1968年(昭和43年)生まれで、この人も「八雁」の所属なので、今回は「八雁」がワンツーフィニッシュということになる。

地にあくた掃きたつる音のぼりきてはらはらねむり解けゆく朝は

洗濯を晴れわたりたればせねばとて硬貨を借りに隣人が来る

アパートは夜をいさかひやまぬおとどこかで水のほとばしる音

隣室のふたり小雨を出でゆけりひとりしらかみひとりはあふろ

Noli me tangereわたしにふれるなかれよ 椅子のうへ折りたたまれて丸めがねあり

 作者については情報が一切ない。坂井が受賞作の「光を仕舞う」とどちらにしようか迷ったと言いつつ5点を、藪内が2点を入れている。まず連作題名が素っ気ない。また内容はたぶん古いアパートに住んでいる一人暮らしの作者の日常が淡々と詠まれているだけで、特に事件もなく盛り上がりもないという不思議な感触の作品である。しかし、芥、飲食おんじきましらくさびら予言かねごと翡翠そにどりなどの古語が散りばめられていて、なかなかの歌人かとお見受けする。淡々とした詠み振りながら何とも言えない味わいがある。坂井は「光を仕舞う」の方が作品の質は高いが、こちらの方が文学的に何か形にしようという意図が強いので選んだと述べている。何となく言いたいことはわかる。

 しばらく前の朝日新聞の「折々の言葉」というコラムに、哲学者の鷲田清一が社会学者の鶴見和子の言葉を紹介していた。データをいくら取って統計処理しても学問にはならない。学問にするためには魂をくぐらせねばならないという意味の言葉だった。含蓄のある言葉だ。

 「アパートメント」の作者の詠風にも似たようなことが言えるかもしれない。作者は現実をありのままに描いているのではなく、〈私〉という眼鏡を通して世界を見ているのだが、その眼鏡が独特の歪み方をしている。その歪み方がブンガクなのだ。

 佳作の二人目は藤島花の「花を抱えて」が選ばれた。藤島は2004年(平成16年)生まれで、応募時の年齢は19歳となっている。京大短歌会の所属。

医療とはサービス業と説かれたる講堂の机は傾いて

学生のうちに読めよと渡されし『偶然と必然』のつややか

可惜夜の星のかたちの細胞が脳にあるらし 教科書を閉ず

君の背を指でなぞりて椎骨に棘突起あることを確かむ

死に向かうものの一人として我は交差点ゆく花を抱えて

 中川が5点を、藪内が1点入れている。中川は知的な抒情性で詩情が豊かなのが魅力だと言い、藪内は技巧もありつつ華もあってバランスがいいと評している。

 連作の題名は五首目から採られている。私たちはなべて死へと向かう存在であるという冷厳な事実が詠われている。一首目を読むと、医学部に入学して1年目か2年目だということがわかる。講堂の机が傾いているような気がするのは、先生が思いがけないことを言ったからだ。サービス業ではなく、人のために働く仕事とでも言えばよかろう。二首目の『偶然と必然』は分子生物学者ジャック・モノーの名著。私は原文をときどき教材に使っていた。三首目の可惜夜は「あたらよ」で、何もせずに過ごすのは惜しいような夜のこと。「惜夜」と書くことの方が多い。脳に星形の細胞があるとは知らなかった。若手の歌人には珍しく文語(古語)を巧みに使っていて、清新な抒情性のある歌で、全体に歌のレベルが高い。

 作者の藤野は関西の医科大学に通う大学生で、今までは本名の船田愛子名義で歌を作っていたという。『京大短歌』29号に船田名義の短歌が掲載されている。高校生の時から短歌を作っていたらしく、『短歌研究』の第1回短歌研究ジュニア賞の高校生部門で金賞を受賞している。受賞作は次の歌で、高校一年生の時の作である。

「エル・グレコの受胎告知みたいな空」指差す君にうなずいてみる

 この他に、大友家持大賞児童生徒の部で大賞を受賞したりしていて、歌の完成度が高いのも頷ける。

 第1回短歌研究ジュニア賞が発表されている『短歌研究』2021年1月号を見ていたら、第1回U-25短歌選手権で優勝した中牟田琉那の「真夜中の台所にてリプトンの光の部分だけを飲み干す」という歌が入選作に選ばれていたことに気づいた。中牟田も当時は高校1年生である。いずれ劣らぬ将来が楽しみな歌人だ。

 三人目の佳作は千代田らんぷの「雨宿り」が選ばれた。千代田は1985年(昭和60年)生まれで、所属なしとある。

こんなにも卵を抱えて立っていて子宮の位置にある製氷器

体内を覗くことなく終わるのにプラネタリウムの暮れていく空

自分だけ濡れていなくてきっと夢、水族館は順路を逆へ

パンだけを並べた店の明るさに手を閉じ込めて帰る黄昏

県境の川 お互いの性別が逆だったらと噛む林檎飴

 松平が5点を入れている。言葉の展開のさせ方に意外性があり、こう来たらこう行くかと思うとそうじゃない方に読者を運んでくれると評している。藪内も上位に残っていた作品で、ノスタルジックなイメージがあると述べている。

 なかなかおもしろい歌だと思うが、意味が取れない歌も少なくない。一首目は冷蔵庫に卵を仕舞おうとしている場面だろう。自分は手に鶏卵を持っていて、製氷器のある位置に自分の子宮があり、そのなかにも卵があるということか。二首目は私たちは自分の体内を見ることができないのに、プラネタリウムでは何光年も遠くにある星を見ることができるという驚きを詠んだ歌。プラスチック容器に入った鶏卵と自分の子宮内の卵、人間の体内と遠い星辰のように、遠くにあるものを結びつけてポエジーを発生させるという手法か。三首目は、水槽の魚はみんな水に濡れているのに、自分だけは濡れていなくて乾いているのが夢だろうという歌。水族館なのだから魚が水の中にいて、観客は濡れていないのは当たり前なのだが、その常識を敢えてひっくり返している。

 千代田は千代田環の名前でも短歌を書いており、南紀短歌大会や和歌の浦短歌賞などでも入選している。故郷の和歌山に根を下ろして歌を作っている人らしい。

 今回の角川短歌賞の応募総数は721篇で、昨年より150篇少なかったというが、昨年が870篇という過去最高の応募者数だったので特に少ないわけではない。しかし予選通過作品一覧を見ると、昨年は短歌賞の渡邊新月、次席の福山ろかなど入選者が多かった東京大学Q短歌会に所属する人が一人も入っていない。学生短歌会は有力会員の卒業などメンバーの入れ代わりがあるので、そのせいかもしれない。昨年は短歌賞以外に次席が1篇と佳作が4篇あったが、今年は次席なしで佳作が3篇とやや淋しい結果となっている。