第396回 小原奈実『声影記』

あぢさゐの天球暮れて風わたる世のうちそとよ髪ほどきたり

小原奈実『声影記』

 紫陽花は短歌で好まれる素材だ。梅雨の時期に咲く代表的な花であり、土壌のPHによって花の色が変化するところや、球形の花の形といった特徴が好まれる理由だろう。掲出歌では紫陽花の花を天球に喩えている。「天球」「風わたる」「世のうちそと」という言葉の連なりが宇宙規模の空間の広がりを感じさせる。切れ字の助詞「よ」で詠嘆した後に、「髪ほどきたり」という身体的な描写を置くことで、前半の空間の広がりと結句の個人的空間の対比が表現されている。結句だけが日常的な描写で、残りは天空を翔るがごとき高踏的な歌である。この高踏性が小原の短歌の持ち味だ。

 『声影記』は多くの人が待ち望んでいた小原の第一歌集である。平成21年(2009年)の第55回角川短歌賞において「結晶格子」50首で佳作に選ばれたときは弱冠18歳であった。それから16年経過しての第一歌集は遅いデビューと言えるだろう。版元は港の人。社の方針で帯を付けないないので帯文はなく、栞文もなくて、あとがきはわずか8行、プロフィールも2行という素っ気なさである。これほど素っ気ない第一歌集は珍しい。第一歌集はいわば歌人としてのデビュー戦なので、親しい歌人に栞文を依頼し、結社の主宰が解説を寄せることも珍しくない。そういうことを一切しないところに小原の歌人としての矜恃を感じる。「作品がすべて」ということだろう。ちなみに歌集題名の「声影」は声と姿形という意味だという。

 私は第56回角川短歌賞において小原の「あのあたり」50首が次席に選ばれたときに、その短歌の質に喫驚して本コラムで取り上げた。前年の第55回角川短歌賞では「結晶格子」で佳作に選ばれているが、小原自身もこの連作には満足していなかったようで、本歌集では「注がれて細くなる水天空のひかり静かに身をよじりつつ」という歌だけが、「天空」とタイトルを変えて収録されている。ちなみに「あのあたり」は「鳥の影」と改題されて本歌集に収録されているが、数えてみると21首しかないので残りの29首は捨てたのだろう。

 目次を見ると、「蘂と顔」は2012年の「詩客」、「声と水」は『本郷短歌』第2号 (2013)、「時を汲む」は第3号 (2014)、「光の人」は第4号(2015)、「静水」は第5号 (2016)に出詠した連作で、「鳥の宴」は同人誌『穀物』の創刊号(2014)、「野の鳥」は第2号 (2015)、「錫の光」は第3号 (2016) に掲載された連作であることが確認できる。あとがきには2008年から2021年までに製作した304首を収めたとあり、多少の前後はあってもほぼ編年体で編まれた歌集だと思われる。

 とはいうものの捨てられた歌も少なくない。批評する側から言わせていただくと、歌集巻末に初出一覧を付してもらうとありがたい。初出掲載誌に当たって、どの歌を採りどの歌を捨てたかを確認できるからである。また改作の有無も確認できる。初出の形と歌集掲載時の形との異同は作家研究の常道である。どの歌を捨てたか、また歌をどのように書き換えたというところに、作者の隠れた資質を覗うことができるからだ。

 さて、小原の歌の特質はどのあたりにあるのだろうか。歌集の中ほどからランダムに引いてみよう。

ざくろ割れば粒ごとに眼のひらきゆき醒めてかをれる果実のねむり

朴の葉のすみやかに落つみつむれば白くれゆく氷雨の昼を

遠ければひよどりのこゑ借りて呼ぶそらに降らざる雪ふかみゆく

朝の陽は硬く充ちゆき蜘蛛の糸に触れて切らざる指のしじまを

冬鴉空のなかばを曲がりゆきひとときありてとほく来るこゑ

 まず最初に注目されるのは文語(古語)を自在に操る巧みさである。小原の文体の基本は文語・旧仮名遣で、口語(現代文章語)や話し言葉が混じることはまずない。それは文語・旧仮名を詩の言葉と認識し、日常の言葉と厳格に区別しているからだろう。現代の若い歌人が口語や話し言葉で短歌を作るのは、そのほうが自分の気持ちを歌に乗せやすいからだ。今の自分の気持ちを表すには、今の言葉の方が適している。これを逆に考えると、小原が口語を選ばないのは、歌を詠む目的が自分の気持ちを表すことにはないからということになる。短歌を自己表現の手段と見なすか否かによって、決定的なちがいが生ずる。短歌で自分の今の気持ちを表現したい歌人が求めるのは〈共感〉である。「わかる、その気持ち」、「そういうことってあるよね」というボタンを読者に押してほしいのだ。小原はそういう歌人ではない。では〈共感〉を求めない歌人が歌を作るのは何のためか。それは言葉の湧き出す深く暗い泉から言葉を汲み上げ、それを玄妙な順序に配置することによって、見たことのない世界の断片をこの世に生み出すことにある。小原の短歌が高踏的というのは、このように意味合いにおいてである。

 一首ごとに鑑賞すると長くなるので、上に引いた一首目のみ触れる。秋に実り皮がばっくり割れた柘榴の赤い実が割れ目から覗いている。その様を「粒ごとに眼のひらきゆき」と表現するのは、柘榴の実の一粒一粒を眼球に見立てているのである。そうして眠りから覚めることによって、果実は芳醇な香りを放つようになるという。これは写実ではない。柘榴の実の粒は眼球ではなく、果実が目覚めることもなく、香りはすでに漂っているからである。柘榴を写実的に描写することが小原の短歌の眼目ではない。柘榴という素材を弾機として、そこに開かれる思惟によって知的に構築された抽象世界を描き出すことこそが、小原の目的なのではないだろうか。

 歌に詠まれているのが知的構築であることがとりわけよく感じられるのは、三首目・四首目に見られる否定形である。三首目では「そらに降らざる雪ふかみゆく」とあり、雪は降っていないのだから深くなることもないはずだ。しかし「降らざる雪」と否定されたとしても、雪の存在は否定の彼方に揺曳する。四首目の「糸に触れて切らざる指」では、蜘蛛の糸に指が触れても切れることはないのに、否定の向こう側に切れた指の残像がちらつく。そのメカニズムは定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」という歌で、何もない秋の夕暮れの彼方に非在の花と紅葉が現出する様と同じである。小原が駆使しているのはこういう業なのだ。

 小原が得意とするもう一つの業を見てみよう。

切り終へて包丁の刃の水平を見る眼の薄き水なみだちぬ

枝ながら傷みゆくはくもくれんの花に花弁のかげ映りゆく

身にかろくかかりそめたる夕闇のほつるがごとく黒揚羽ゆく

脚ほそく触れたるおもてせきれいの重量ほどに砂緊りたり

空のくち享けたるごとき水紋のひらきつつゆくひとつあめんぼ

 一首目は第56回角川短歌賞の評でも触れた歌で、私はこの歌に接した時に文字通り驚愕した。包丁の刃を水平にして見たとき、眼の角膜の表面をわずかに覆う涙が波立つというのである。そんなことありえないし、もしあったとしても見えるはずがない。二首目では花に花弁の影がさし、三首目では揚羽蝶の飛ぶ様が夕闇がほつれるようだと言い、四首目ではセキレイが舞い降りた地面の砂がわずかにへこみ、五首目ではアメンボの脚が作る小さな水紋が、天空と対峙するかのごとき大きさに描かれている。セキレイが砂の上に降り立つと、確かに理論上はセキレイの体重分だけ砂はへこむだろう。しかし小鳥は軽いのでそのへこみは感じられないほどわずかのはずだ。だからこれらの歌が描いているのは、まるで写実のような衣裳をまとった虚構である。それを「幻視」と呼びたい誘惑にかられるが、小原の資質はそれとはやや異なる。これはいったん要素にまで分解してから、知的に再構築され直した世界なのだ。小原のたぐい稀な資質は「世界を微分するまなざし」だと言えるだろう。

 したがって、小原が作り出す歌は自分の気持ちを伝える歌ではない。そのような意味での「自分の気持ち」などというものは、どこを探しても見当たらない。小原の歌の中には近現代短歌が前提とする一回性の〈私〉の表現はない。それに代わってこれらの歌の背後に感じられるのは、世界を分解したのちに再構築するメタ的な〈私〉の存在である。そのような文脈で考えると、小原の短歌は近現代短歌よりも王朝時代の古典和歌の世界により近いと見ることもできるだろう。かつて佐佐木幸綱は、古典和歌の特徴は「抽象性」「観念性」「普遍性」にあるとしたが、小原の歌はここからそう遠くない場所で紡がれているように思う。

 医学生の日常に想を得た歌や、「きみ」が登場する数少ない歌や、小原の歌の「くびれ」のなさや、鳥への偏愛振りなどまだ論じたいことはたくさんあるが、そんなことをしていたら止めどなく長くなるので、山のような付箋の付いた中からいくつか引いて稿を閉じることにしよう。

梅雨の日を濡れざるままの木陰にてこの世の時の過ぎなづみをり

雲の上の空深くあるゆふぐれにひとはみづからの時を汲む井戸

梨裂きて梨のかたちの刃の痕を空ひろき日の昼餉となせり

みひらけどみえぬさくらよちりゆけば息つまるまでけはひみつるを

きぬのごとく骨のごとくにひらきたるからすうりこの紺のゆふべを

 『現代短歌』86号(2021)の特集「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」において、川野芽生はもっとも影響を受けた一首に小原の歌を選び、かつて本郷短歌会の歌会で自分の歌には一票も入らず、小原の歌がトップ票だったことを回想し、もしそんなことがなければ自分はこれほどまでに短歌にのめり込むことはなかっただろうと述懐している。そんな小原の待望の第一歌集である。必ずや世の高い評価を受けることだろう。