第41回 藤原龍一郎『ジャダ』

朝食の卓に日は射し詩人の血わが静脈にこそ流るるを
               藤原龍一郎『ジャダ』
 藤原の短歌は、本コラム「橄欖追放」の前身である「今週の短歌」の第3回で取り上げたが、当時の私は現代短歌を読み始めて間もない頃で、歌集・歌書の類もそれほど持っていなかった。乏しい知識と浅い読書歴であんな文章を書いたのは汗顔の至りである。そこでリベンジという訳でもないが、今回は藤原の最新歌集『ジャダ』である。「ジャダ」とは、「ジャズ」と「ダダ」を合成したいわゆるかばん語で、1920年代に流行したとあとがきにある。「ダダ」は「ダダイスム」の略。この歌集題名が暗示するように、やがて戦争へと突入してゆく時代を下敷きにした歌が多く収録されているが、それは単なる懐旧ではない。装幀はクラフト・エヴィング商會で、jadaの文字が刻印された万年筆のイラストをあしらった瀟洒な造りになっている。読者にとっては造本の美しさも歌集の価値の一部だろう。
 本歌集の底に流れる基調を一言で要約すれば、詩歌の徒として選ばれた矜恃と悲惨、それとはうらはらな現代の定型詩の衰退を嘆く嗟嘆のうめきということになるだろう。掲出歌はその流れにある歌で、ここでは矜恃の方が全面に押し出されている。「詩人の血」はジャン・コクトーが1930年に制作した映画の題名。藤原の短歌に固有名が多いのは昔からだが、それ以外に芸術作品の題名や内容を暗示する表現も散りばめられていて、それを読み解くのもひとつの知的快楽となっている。言い換えれば、藤原は自分と同質の芸術世界に参入している読者に歌を送っているとも言える。共有なくして理解はないからである。詩歌の徒の歌をいくつか引いてみよう。
ブンガクと声に出すこのやましさを嘲るようにきつね雨ふる
無頼派と呼ばれることもなき日々を悔まざれども終に唾棄せよ
平成の終焉までを韻文に拠ると書きたる乱心なりや
浪漫の徒として後の日々までを生きめやも雨風強けれど
雑踏に詩を売る男ありてなき遊撃として真冬の驟雨
韻文の終末と打ちそののちを液晶のモニターの紺碧
 ブンガクという片仮名表記は発声を表すと同時に、テツガクという書き方と同じく矜恃と慚愧の背中合わせをも意味する。小池光がどこかの座談会で、「僕たちの若いころは短歌を作るというのは恥ずかしいことだった」と発言していた。当時の政治的文脈を背景とする文弱というニュアンスは薄れたものの、今でも私の知る若い歌人の中には、短歌を作っていることを周囲に秘密にしている人がいる。藤原の基調の心性はハードボイルドなので、浪漫と無頼に憧れるのだが、平成の御代に生きるサラリーマンとしてはそれもままならない。その慚愧から軋むように発せられるうめきが藤原の抒情の核である。
 欲望と虚飾の都市トーキョーの、それもお台場周辺を遊弋する都市生活者の上にはよく雨が降る。夜の暗闇と降りしきる雨はハードボイルドの記号に他ならない。
荒地派の詩の言葉なお重ければWastelandお台場の雨
大過なき日々の証のうたかたの朝のシャワーのぬるき曖昧
ドトールを出てPRONTOに遭遇し静かなる包囲進みゆくごとし
運河の水に鉄鎖浸れる誓子的夏の日暮れを 禿鷹が飛ぶ
街に棲む大鴉を我を祝福し霙にあらず/なまぬるき雨
 ここに引いた歌にも、戦後詩を代表する荒地派、俳人の山口誓子、大鴉のエドガー・アラン・ポーが散りばめられている。藤原の短歌は文学へのオマージュなのだ。
 次の歌はもっとストレートにハードボイルドである。
変身の恩寵あらば軍服のダーク・ボガード 濃き霧が降る
夜半深きホテルの闇に聞こえくるウールリッチがタイプ打つ音
回廊に闇は膿み光は凝りジョゼ・ジョバンニの深き眼窩を
ネズミの屍舗道にありて此処よりはアイソラ市87分署管内
 軍服のダーク・ボガードはヴィスコンティの映画『愛の嵐』、コーネル・ウールリッチは『幻の女』の作者ウィリアム・アイリッシュの別名、ジョゼ・ジョバンニはアラン・ドロン主演の名作『冒険者たち』の原作を書いた冒険小説家、アイソラ市はエド・マクベインの87分署シリーズの舞台となっているアメリカの架空の町である。
 藤原の作歌の根幹には何かに事寄せてという発想があり、それが成功したとき印象深い歌が生まれるようだ。これは本歌集に収録された状況歌・挽歌・頌歌によく見てとれる。
円谷が抜かれしその名ヒートリー刹那憎みてその後忘れき
若き死の理不尽なれば悲歌となりこの卵殻の鈍き蒼白
象徴の詩法の末裔すえとして生きて砂金は孔雀過ぎゆく孔雀
絶対の魔王去りたり 言霊も滅びを急ぐ韻文の闇
田園に死すべく生きて東京の雑踏にながらえてのち死す
 円谷つぶらやは東京五輪で英人ヒートリーに抜かれながらも銅メダルを獲得し、後に自殺したマラソン選手の円谷幸吉である。食べ物を延々と列挙し、「おいしゅうございました」がルフランのように反復される遺書は、何度読んでも涙を禁じ得ない。二首目は岸上大作への挽歌で、三首目は西条八十への頌歌。「砂金」「孔雀」は西条のアイテムである。四首目は塚本邦雄、五首目は寺山修司への挽歌。藤原や福島泰樹のような浪漫派には挽歌がよく似合うようだ。
 日常生活の何気ない瑣事から歌を紡ぐ人は、叙景歌や景物に触発された心情を詠む歌を作るだろう。しかし藤原の作歌の発想にこれはない。本歌集にも叙景歌や写実の歌はほとんど見られない。写実は現実を描写するものであり、現実の中に意味はない。意味は主体が解釈することで発生する。したがって真に写実的な歌の中には意味は揺曳せず、ただ風景があるだけである。ところが藤原の歌には意味が充満しており、注目すべき点は、その意味はすでに存在する他の意味から作られているということである。円谷のドラマ、岸上の悲劇、それは現実に起き、多量の意味が既に備給済みの出来事である。藤原の歌を駆動するのは、存立する意味に対する反応もしくは応射だ。藤原の目が自然観照に向かわないのはこのような理由による。藤原の歌は高度に対人的な性格を持つと言ってもよい。モノの向かわず人に向かうのである。
 このような藤原の短歌の特質が遺憾なく発揮されているのが、本歌集の白眉とも言える俳句と短歌のコラボレーションの試みだろう。
 騎馬の青年帯電して夕空を負う (林田紀音夫)
コスプレとして電飾の軍服の少女一団堕天使のごと

 丸善の封筒を買う春のくれ (戸板康二)
封筒を選びてのちを春愁の洋書売場に魯庵と我鬼と

 鮭ぶち切って菫ただようわが夕餉 (赤尾兜子)
卓上の鮭と菫を画布に塗り込めて食事ののちの房事も

「ふく風やまつりのしめのはや張られ」てんやわんやの慈姑呑み込む

「恐慌を夕刊に読む柘榴かな」わが眼に秋の星滲みたり
 最初の三首は俳句に短歌を合わせたもの。四首目は久保田万太郎の俳句を上句に配して付け句を試みたもので、五首目は自作の俳句への付け句である。藤原は若い頃に赤尾兜子に師事して前衛俳句を学んでおり、藤原月彦名義で『貴腐』という句集もある。上に引いた歌は俳句と短歌の対決というよりも、むしろ現代俳句へのオマージュであり、遊び心を多分に含んだ試みで、俳句と短歌の付かず離れずの照り返しを楽しむのが正しい鑑賞だろう。
 浪漫派の藤原の眼差しはもっぱら社会と人に向かうのだが、もしかしたら付け句の試みのように、言葉と言葉が響き合いひとつの世界を形成するような歌の境地に、ほんとうは惹かれているのかも知れないと思えるのである。