003 : 2003年5月 第2週 藤原龍一郎
または、夜の首都高速に降りしきる慚愧の雨

ああ夕陽 明日のジョーの明日さえ
       すでにはるけき昨日とならば

         藤原龍一郎『夢見る頃を過ぎても』
 著者は私と一歳ちがい。心は若いつもりでも、人が見れば立派な中年オジサンの年齢である。中学のときに「少年サンデー」「少年マガジン」が相次いで創刊された私たちの世代は、マンガ世代の走りにあたる。ちばてつやのボクシングマンガ『明日のジョー』は熱狂的に支持されたマンガである。主人公矢吹丈のライバル力石徹が死んだとき、本当に葬式を出したファンがいたことも記憶に残っている。しかし、このような背景知識だけでは掲載歌の意味は読みとれない。短歌は短詩形であるという制約から、たくさんのことを詠み込むことができないので、詠み込み残したことに寄りかかって成立するという逆説的な特殊性を持つ。

 著者の念頭にあるのは、1970年3月31日に起きた日航機よど号ハイジャック事件の犯人である日本赤軍の田宮高麿らが、「われわれは明日のジョーである」という声明を残して、北朝鮮に去ったことにちがいない。この事件の翌年に著者は早稲田大学に入学したはずである。時あたかも70年の日米安保条約自動延長の年を迎え、全国で大学紛争の嵐が吹き荒れていた。熱い理想を声高に語る政治の季節だった。それが72年の連合赤軍あさま山荘事件と、酸鼻を極めるリンチ同志殺害事件をきっかけに、左翼青年の理想は冷水を浴びせられたように急速に終息していく。だからこの歌に詠われた「明日」とは、矢吹丈が目指したボクシングの世界チャンピオンの明日と二重写しに重なる、当時の左翼青年が夢に描いた政治的理想の明日でもあるはずだ。

 第一歌集『夢見る頃を過ぎても』が出版されたのは1989年、日本がバブル経済に浮かれていた頃である。確かにもう青年の夢想ははるか遠い過去になってしまっている。著者はニッポン放送のラジオプロデューサーで、マスコミ業界の最前線にいる。「ギョーカイ」の軽薄さを自嘲を込めて描くと同時に、時代と添い遂げているという一抹の自負が混じる、固有名詞と現代風俗を取り込んだ独自の短歌世界を作り上げている。

 首都高の行く手驟雨に濡れそぼつ今さらハコを童子を聴けば
 パラダイス銀河をこえてワンナイト・ジゴロに至る、それだけの夜
 世紀末のそのAMの黄昏に「亡びて永遠(とわ)に」などと気どれば

 ハコは山崎ハコ、童子は森田童子。パラダイス銀河は光ゲンジの歌謡曲。森田童子は10年前、すでに忘れられた歌手だったが、野島伸司脚本のTVドラマ「高校教師」で主題歌に使われにわかに脚光を浴びた。今年、このドラマは藤木直人と上戸彩主演でリメイクされ、森田童子の主題歌もそのまま使われたが、あまり話題にならなかった。これらの歌に散りばめられた固有名詞は、もう今の若い人には注釈がないとわからないだろう。このことは、藤原の短歌が世代論を背景として成立しているということを意味する。だから、同世代の人間には痛切に共感できても、世代が異なればまた話は別なのである。

 『現代短歌の全景』(河出書房新社)の対談で、「あなたのつくっている夥しい固有名詞の氾濫した歌というのは、自分でとってもせわしないかたちで物語をつくって、それに自分で返して、たちまち消耗して捨てちゃってという、そういうマッチポンプ的な繰り返しですね」という小池光の発言に、「物語に対して応えながら、ただ応えるだけじゃなくて、その応える落差、応えるという作業の不毛さ自体が、あるメッセージになっている」と谷岡亜紀が引き継ぎ、「そこに泣きがあるわけよね。それで短歌のカタルシスを感ずるわけだ」と、再び小池が指摘しているのは、藤原の短歌世界の特質を余すところなく語っている。

 第二歌集『東京哀傷歌』(1992年)になると、短歌にまぶされた自嘲と虚無は、一転して挽歌の色合いを深くする。

 オキシフル泡だつ昨日ぬばたまの闇の浅川マキのうたえば
 深海のごとく空気は澱みたりもし存(ながら)えて在らば 岸上
 かつて天井桟敷のありし一角に夏の雨ふる 永遠(とわ)なる雨か

「オキシフル泡だつ昨日」は一見奇矯な比喩に見えるが、福島泰樹の「潮騒と分ち難しもわがこころいざオキシフル泡立つ海へ」を本歌取りしている。浅川マキは全共闘世代に支持されたアングラ歌手で、いつも全身黒装束で歌っていた。だから「ぬばたま」なのである。次の歌の「岸上」は、「血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする」など、60年安保闘争に参加して政治と愛を高らかに詠い、21歳で自殺した岸上大作である。次の歌の天井桟敷は、言うまでもなく寺山修司の実験演劇集団のことだ。60年代の前半に物心つき、60年代後半から70年代に青春を過ごした世代には説明不要のことがらばかりで、そこから強く立ち上って来る濃密な時代の空気は、あの時代のみんながひとしく呼吸していたものである。藤原の作る歌がすべて挽歌の色合いを帯びる所以である。

 藤原は短歌だけでなく俳句も作る人らしく、『貴腐』という伝説的句集があるという。最新歌集は『花束で殴る』(柊書房)。

藤原龍一郎のホームページ
http://www.sweetswan.com/ryufuji/tanka.cgi
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